悟りの境地に達するという仏教観【現世で努力と実践を繰り返すことによって涅槃寂静の境地に達する】

宗教的に「幸せに生きる」という意味は、どの宗教でも煩悩から解脱し悩みがなくなる状態と言えると思いますが、そのために神にすがるのではなく、現世で努力と実践が必要だとされるのが、仏教の他の宗教との大きな違いであり、お寺で和尚さんが仏さまの教えを説くのが説法です。

供養とは現世に生きる人間に対して行うもの【この世に生まれてきて良かったと考えられること】

浄土真宗の教えでは、供養とは来世の死者を弔うという意味ではなく、現世に残された人間が命日等の区切りの日に、死者の生前の行為や言葉に思いをめぐらせ、この世に生まれてきた良かったと思えるよう導くことです。 法律的にも宗教的にも天寿を全うすることは正であり、どんな理由であれ故意に命を絶つ安楽死は認められず、延命治療を止めて自然の死を待つという尊厳死は、生きながらえることに対して消極的ではあれども認められます。

宗教によって異なる「死んだらどうなる」の考え方 【天国への帰り方、地獄への逝き方】

キリスト教もイスラム教もともにユダヤ教から派生した宗教であり、それぞれイエス・キリスト(本人が神)またはアッラーという唯一無二の神を信じます。 死んだあとは天国の主の元に帰るか地獄に逝くかの二択であり、あの世に逝ってまた戻ってくるという仏教の輪廻転生という宗教観とは異なります。 死んだあとの地獄逝きさえ回避できれば、この世で生きる上での死への不安が和らぎ、地獄逝きが判っていれば自殺はできないというのが、クリスチャン的見解です。

ジャワの神秘信仰と日本の八百万の神 【自然界の霊的スピリットからパワーを吸収する】

16世紀から17世紀に中部ジャワで隆盛を誇ったKerajaan Mataram(マタラム王朝)がジョクジャカルタのSultanとスラカルタ(ソロ)のSusuhunanに分裂しました。 ジャワの土着信仰であるkejawenは日本の八百万の神に近いもので、山や川など自然界の霊的スピリットを感じ取り、パワーを吸収しようとするものです。 日本人の気質が八百万の神という土着信仰から醸成されてきたとすれば、似たような土着信仰であるkejawenを信仰してきたジャワ人の気質と似通ったものになるはずですが、せっかちな日本人とのんびり屋のインドネシア人という違いは、厳しい冬を前にきっちりと農作を終えないと春を迎えられない日本人と、年中米やフルーツが取れて飢え死にする心配がいらないインドネシア人という、気候の違いが生み出す時間軸に対する感覚の違いに起因するものと思われます。

インドネシア人の悪魔祓い 【心の中に潜むサタンを除霊のような方法で退散させるクリスチャンの儀式】

人間誰しも自分の中に悪魔が潜んでおり、それが何らかのきっかけで表面に出て来るという考え方自体には、背景に宗教が有るか無いかの違いだけで、基本的に理解できる話であり、それを信じるか信じないかは別として、そういう考えがあることを認めることは大切なことだと思います。

宗教の違いによる価値観の差をどこまで許容できるか 【政治と宗教のバランスが絶妙に保たれるインドネシア】

スハルト大統領退陣後の民主化以降、インドネシアではイスラム政党が第1党になったことが1度もなく、BHINNEKA TUNGGAL IKA(多様性の中の統一)を国是とするインドネシアのイスラム社会では、世界最大のイスラム人口を抱えながらも、政治と宗教のバランスが絶妙に保たれています。

インドネシア人の嫁さんの信仰に乗っかって有名賛美歌バンドのコンサートに行ってみた。【宗教と切り離して曲として聴いたときに泣けるかどうか】

インドネシアのキリスト教徒はカトリックとクリスチャンに分かれますが、礼拝に行けばどっちも必ず賛美歌を歌います。 カトリックの賛美歌はパイプオルガンの伴奏の中で厳粛かつ荘厳な雰囲気の中で祈るように歌うのに対して、クリスチャンの賛美歌はテンポのいいノリノリの曲や、ロマンチックなバラード調が多く、英語の歌詞を意識しなければ宗教っぽさは感じません。 ウーピー・ゴールドバーグ主演の「天使にラブソングを」でゴスペルが一躍有名になりましたが、世界的にはアメリカンポップっぽい現代的な旋律の歌が流行のようです。

インドネシアで普段は敢えて考えないようにしている宗教について 【相手を尊重する気持ちさえあれば十分】

日本人がインドネシアで一番最初にぶつかるカルチャーショックは宗教に関するものだと思いますが、どんな宗教でも自己中心的でなく相手の考えを尊重するということが共存のための前提条件です。 そして祈ることで心が落ち着くのであれば、それは理屈抜きですばらしいことだと思います。

インドネシアのカトリックとクリスチャン 【16世紀の宗教改革でカトリックから分離したクリスチャン】

インドネシアのキリスト教徒は一般的にカトリックとクリスチャンと分類されますが、クリスチャンとは正確にはKristen Protestanであり、プロテスタントの人は自分を「クリスチャンです」と言います。 16世紀以前から存在するのがカトリックに対して、ルターが宗教改革で偶像崇拝を禁止し、金を払えばすべて免罪されるという商業主義的な免罪符を廃止したことによって新しく出来たのがプロテスタントです。 旧約聖書とはイスラエルの民の歴史であり、ユダヤ人は新約聖書を受け入れておらず、神はイスラエル人を選び、彼らを用いて全人類を救おうとされました。 旧約と新約「約」とは神と人間との契約です。