ストレッチで柔軟性が高まることによる心の平安【ヨガとの目的や効果の違い】

本記事の概要

ストレッチとヨガの違いは、最終目標到達点が体の柔軟性なのか、精神の安定なのかの違いです。

ヨガは本来ヒンドゥ教の修行方法であり、身体能力を極限まで生かすポーズと呼吸法で、神に近づくという宗教的意味合いが大きかったのですが、ヨガが宗教から切り離されることによって、瞑想により心の平安を求めたり、美容と健康の手段となったり、普遍の学問的原理である哲学を見出す手段に変化しています。

ストレッチは直接的に精神の安定や神への帰依を目指すものではありませんが、血流の循環が活性化することにより、肉体的にも精神的にも心の安定を得られる効果があります。

ストレッチの目的


今となっては黒歴史ですが、自分は学生時代に中国武術とインド音楽に傾倒し、中国武術に関しては大学の準体育会組織ということで、激しい筋トレや階段ダッシュを強制されるようなスポコン生活を送っていました。

基本的な蹴り技に二起脚(跳び蹴り)と旋風脚(回転回し蹴り)というのがあるのですが、体が柔軟でなければジャンプした状態で右足をまっすぐに伸ばして蹴ることはできませんので、鍛錬前には入念なストレッチが必要になります。

スポーツ経験の少ない人が、ストレッチで体を柔らかくしようとする場合、必ずぶつかる壁がハムストリング(太ももの裏の筋肉)の柔軟であり、中国武術だけでなくおそらく全てのスポーツにとって最も重要視されるストレッチ箇所です。

ハムストリングが硬いと前屈ができないのはもちろん、股関節の稼動域が狭くなるため十分な開脚もできず、肉離れなどの怪我の原因となるため、スポーツ初心者は激痛にヒイヒイ言いながらハムストリングの柔軟を行います。

LRT工事渋滞で毎日長い時間を車中で過ごすせいで、ただでさえ腰痛ぎみなのに、ハムストリングが硬いとおしりを下にひっぱる力が働き、さらに腰痛を悪化させるため、ジャカルタで腰痛を回避するには、まずはハムストリングの柔軟性が必須かもしれません。

自分の場合、エレベーターの待ち時間や、ロビーで車を待つ時間などに、ハムストリングと足首と肩甲骨周辺筋肉の主に3箇所を、伸ばしたり回したりした結果、かつてY字バランス(片足で立ったまま片足をまっすぐ上に持ち上げる)ができた全盛期の6割程度まで柔軟性が回復しました。

ストレッチをやっている最中は、ハムストリングの痛さに気を取られて何も考える余裕がないので強制的に無心になれますし、寝る前に入念にハムストリングの柔軟をやると、気持ちもほぐれて精神的にもリラックスするせいか熟睡できます。

ただしストレッチはあくまでの筋肉の柔軟が目的であり、体の柔軟性の先に悟りを開こうとか神に近づこうとか、精神の安定に直接的に繋がるものではありません。

イチロー選手がクラブハウスにいるときもグラウンドで守備についている時も、ルーティンワークとして腰割り(相撲の四股のように股関節を開いて膝を曲げる動作)やストレッチをやっているのは有名な話ですが、イチロー選手レベルになると、ストレッチによる筋肉と骨盤の動作が精神の安定に繋がる普遍の原理を見出しているのかもしれません。

オバマ元大統領から「外野からホームまでレーザービームのように一直線のボールが投げられる秘密は何なんだい?」と聞かれたときのイチロー選手の回答がこれです。

  • 柔軟な筋肉です。大きな筋肉は必要ありません。

多くを語らず、ただ無心で自分がやるべきストレッチに向かい合うこと。これが今年44歳にしてシアトルマリナーズに復帰し、メジャーの第一線で活躍できる秘密です。

ヨガの目的


近年ジャカルタでも女性を中心に人気が高いヨガには、柔軟性が高くないと不可能なポーズ(アサナという)がたくさんあるため、肉体的な面から言えばストレッチと似ていますが、最終目標到達点が体の柔軟性なのか、精神の安定なのかという大きな違いがあります。

ヨガはもともとヒンドゥ教の修行方法の一種ですが、その姿勢や動き、呼吸法がもたらす肉体的精神的効果に明確な意味と根拠があるため、宗教の枠の中から抜け出て、ヨガ自体が女性向けの美容と健康法として、瞑想のための手段として、世界中に広がりました。

学生時代にインド古典音楽の勉強のため、何度もインドを訪問しましたが、道端には長髪にヒゲもじゃ、薄汚れたオレンジのルンギー(腰巻)を身にまとったヒンドゥ教の修行者であるサドゥ(Sahdu)をよく見かけました。

本来彼らは修行としてヨガを極めんとする人々なのでしょうが、実際には木の下や軒下で寝てばかりで、いつ修行しているか不明のサドゥや、施し(喜捨)であるバクシーシ(Baksheesh)をもらうために、サドゥに変装した乞食が多いため、本当に悟りを開いたような神々しいサドゥを見る機会のほうが少なかったように記憶しています。

インド古典音楽はラーガ(雰囲気を表す旋律)とターラ(リズム感)という神秘的かつ論理的な音楽体系から構成されていますが、神に近づき心の平安を求めるという究極の目標に到達できる手段でもあります。

当時のニューデリー在住のGuruji(先生)が常々言っていた言葉。

  • 人間にとって一番大切なものは心の平安だ。

ヒンドゥ教におけるヨガも身体能力を極限まで生かすポーズと呼吸法で、神に近づくという宗教的意味合いが大きかったわけですが、ヨガが宗教から切り離されることによって、瞑想により心の平安を求め、普遍の学問的原理である哲学を見出す手段に変化しているのかもしれません。

宗教の枠にとらわれないことの意味


禅は仏教の修行
瞑想は心の平安を追求する手段
ヨガはヒンドゥ教の修行
哲学は普遍の原理を見出す学問

宗教とは、信じることで心の拠り所となるものとすれば、禅も瞑想もヨガも哲学も、宗教の枠から離れたところで、自分本来の正しい生き方をすることにより心の平安を追求するという同じ目的を、異なる手法で実践しているものであると理解できます。

ストレッチ自体に宗教的意味も哲学的意味もありませんが、痛みに耐えながらハムストリングを少しずつ伸ばしていくと、身体の血流が良くなったせいか、明らかに気分が良くなります。

ブッダは苦行の先には何も得られるものはなく意味がないと悟りましたが、ストレッチという苦行の先には、痛みから解放された相対的な心地よさとは別の、血流の循環が活性化することによる肉体的精神的平安が得られます。

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