インドネシアの宗教

煩悩をコントロールする方法 【感情的になった時点で負けが決定】

煩悩をコントロールする方法

人間である限り煩悩を押さえ込むことはできない

先月実家で祥月命日の法要に来ていただいたいつものお坊さんからこんなことを言われました。

  • 人間は犬や猫とは違って、生きている意味を考える生き物である。犬や猫は喜怒哀楽はあるけど自分が何のために生きているのかといったことは考えない。そこで人間の中には煩悩が生まれるが、これは仕方のないことである。

煩悩とは仏教の教義の一つで、身心を乱し悩ませ智慧を妨げる心の働き(汚れ)ですが、人間である限り煩悩を押さえ込むことはできないらしいです。

僕はインドネシアで仕事をする中で、インドネシア人から理不尽なことを言われるたびに「なんでお前ごときにこんなことを言われなければいけないんだ」といった差別とも傲慢とも言える思いにたびたび襲われる未熟者ですが、これが浮かぶたびに「いかん、自分は何て未熟な人間なんだろう」という自己嫌悪に陥ります。

これまでこういう感情が噴出して悪い妄想を抱く自分に嫌悪感を感じることが何度もあっただけに、今回のお坊さんの言葉には随分救われました。

  • だってにんげんだもの(みつを風)

日常生活で煩悩が発生するのを事前に阻止するのはあきらめるとして、発生した煩悩を別室に離隔してクールダウンさせる必要があります。

方法は人それぞれだと思いますが、僕の場合は感情的になった時点で「お前はもう負けている」と自分に言い聞かせます。

相手が感情的になっても自分が感情的にならないための方法、これは生涯のテーマですが、一つの解決策として考えられるのは、相手をかわいそうだと思うことです。

嫌われることを恐れるのは自分が好かれていると勘違いしている証拠であり傲慢ですらある。

敵は内にも外にも居ますが、だいたい自分の煩悩を誘発してくれる人の種類はこんな感じの人ばかりです。

  1. 理屈抜きに敵意むき出しの人
  2. サシで話すときと徒党を組んで話すときの内容が変わる人
  3. 努力の痕跡なく無条件に頼ろうとする人

嫌われるのを恐れる時点で自分が好かれていると思っている傲慢な証拠であり、まずは自分は最初から嫌われている、バカだと思われていると考えます。

どうせ嫌われている訳ですから、自分を怒らせる人と対峙する場合にいつも腹の中では割り切って考えています。

  • 別にこいつらに嫌われてもいいじゃん、馬鹿にされてもいいじゃん

こうなると相手に怒ること自体がナンセンス、逆に相手の境遇がかわいそうに思えて来ますし、相手に一歩譲る心の余裕が出来て、自分から手を差し伸べるという行動に繋がります。

感情的になって自分のキャラじゃないことはしないこと。すべてにおいて感情的になったら負け。

「嫌われてもいいや」「笑われてもいいや」「馬鹿にされてもいいや」「見下されてもいいや」と自分がどう思われているかを考える時間を少しずつ減らしていくことで気持ちが楽になり、感情的になることを抑止できます。

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