インドネシア政治・経済・社会

緊急事態宣言下でのオリンピック開催に関する是非【多様性を認め合うことの難しさ】

2021/08/03

相手の言論を封じ込めたり人格否定したりしない限りにおいて、言論の自由は認められるべきですが、人間は思考と感情をフルに発揮しながら生きる生き物である以上、一時の感情のもつれよって一線を越えてしまいがちなところに多様性を認め合うことの難しさがあります。

インドネシアの社会制限下での金メダル獲得ニュース

レベル4社会活動制限(PPKM Level-4)が8月9日まで延長されたことで、これまでどおり客先訪問がしにくい状況が続くこととなり、在宅勤務が増えたことで、必然的にVPN通したオリンピック観戦三昧になっています。

(2021年8月24日追記)
ジョコウィ大統領は、新規感染者数の減少などを理由に、ジャカルタ首都圏、バンドン都市圏、スラバヤ都市圏などのレベル4社会活動制限を、24日から30日までレベル3に下げると発表しました。

今回は女子49kg級重量挙げでウィンディ・アイサー(Windy Cantika Aisah)選手が銅メダル、男子61キロ級エコ・ユリ・イラワン(Eko Yuli Irawan)選手が銀メダル、男子73キロ級ラハマット エルウィン・アブドゥッラー(Rahmat Erwin Abdullah)選手が銅メダルと、インドネシアの重量挙げでの大活躍が目立ちますが、考えてみるとインドネシア人は民族的に骨格が頑丈で体幹が強い人が多いような気がします。

そして昨日バトミントン女子ペアのグレイシャ・ポリイ(Greysia Polii)/アプリヤニ・ラハユ(Apriyani Rahayu)組が金メダルを獲得し、オリンピックにさほど関心のないインドネシア人の間でも、国技とも言えるバトミントンでの快挙は、大きな話題となりました。

今回のオリンピック開催はコロナ禍の中でなかば押し切られた感もあり、開催国である日本だけでなく海外からも賛否両論がありますが、社会活動制限下で沈みがちなインドネシア国民の気分をスカッとさせる昨日の金メダル獲得のニュースを見られただけでも、インドネシアにとって開催された意義が出来て素直に良かったと思いました。

多様性を認め合うことの難しさ

東京オリンピックが無観客での開催が決定した後でも、強欲なIOC会長に対する嫌悪感も重なって、世論調査では過半数以上が開催に反対、SNS上では数字以上に反対派が多く、「オリンピック開催賛成」とか言おうものなら、袋叩きにでも逢いそうな空気すらありました。

ところが実際に始まってみると柔道、卓球、ソフトボール、フェンシングなど日本の金メダルラッシュに沸き、世論も「やって良かった」という空気に変わりつつあり、逆に今では反対派に対して「せっかく盛り上がっているから白けるようなことを言うな」という雰囲気さえあります。

今回オリンピック開催に反対(もしくは延期)という主張は、「利権にまみれ商業主義化したオリンピック自体を廃止しろ!」というステレオタイプな反対意見ではなく、「これからデルタ株が蔓延し大変な惨事が予測されるときにオリンピックに金かけるくらいならコロナ対策をやれ」という、時勢を見据えた現実的な意見が大勢だと思います。

オリンピックの開催の是非に関する議論の場が荒れるのは、自分と相反する考えを持つ側の人間の意見を封じ込めようとしたり、その人の人間性自体を批判(誹謗中傷)し始めた時であり、「多様性の中の統一」を国是とするインドネシアで暮らしていながら、改めて言論の自由、表現の自由という多様性を尊重し合うことは口で言うほど簡単ではないと感じました。

少数民族やLGBT(性的少数派)を差別しないことが多様性を認めることであるということに、今では異論を挟む人はほとんどいないでしょうが、意見の対立する人同士が議論する際に、どこまでが言うのが許容範囲で、何を言ったら一線を超えて多様性を否定していると捉えられるのかは難しい判断になります。

何故なら多様性という言葉は指し示す対象によって認められるべき範囲が異なるからです。

今回は賛成派の希望が通って開催されたわけで、逆に反対派にとっては望まない結果を強いられたわけであり、両者の妥協案がみつかるわけもないので、期間中にも反対し続ける人々の意見に対しては「決まったことをいつまでもグダグダ言うな」という反発ではなく、「気持ちはわかるけど、オリンピックは2週間半で終わるから我慢してくれ」と頭を下げるくらいで丁度バランスがとれるのではないかと思います。

新型コロナウィルスの蔓延を危惧し、貧困層の拡大が社会問題化することを心配し、一刻も早い収束を願う気持ちは誰もが同じです。

そうは言うものの人間は思考と感情のバランスを取りながら行動する生き物であり、一時の感情が行き過ぎると一線を越える言動をしたりされたりするのは仕方のない面もあり、僕のようにそのリスクを負いたくないと考える小心者は、公の場での政治的な発言を慎むという選択にならざるを得ないのです。

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