インドネシア生活

SNSを通じて国民の声が政治家に届く時代【インドネシア在住日本人の情報収集手段】

2021/07/24

1998年のジャカルタ暴動の際に「よろずインドネシア」が在住日本人の情報源となったことは、インターネット時代を迎える象徴的な出来事でしたが、コロナ禍下ではSNSの力が政治家を動かし、行政サービスの改善に繋がったエピソードとして語り継がれるのかもしれません。

インドネシア国内移動の際にワクチン接種を求める政府通達

新型コロナウィルス感染拡大により、7月3日から20日までジャワ島全土とバリ島に緊急活動制限PPKM(Pemberlakuan Pembatasan Kegiatan Masyarakat) Daruratが適用され、レストランの店内飲食禁止(デリバリーサービスのみ)、企業については原則100%在宅勤務とし、金融機関・銀行、資本市場、決済システム、情報通信、隔離業務を行わないホテル、輸出指向型産業などのエッセンシャルセクターの社員は最大50%までの出社制限、エネルギー、保健、セキュリティー、物流・運輸、飲食品関連産業、石油化学、セメント、国の重要施設、災害管理、国家戦略プロジェクト、建設、電気や水道(基礎ユーティリティー)、生活必需品産業などのクリティカルセクターは最大100%まで出社可能となりました。

しかし国内新規感染者数は連日の4万人超えの高止まり、死者数も1,500人前後から改善の兆しが見えないことから、21日から25日まで5日間延長した上で、レベル4社会活動制限(PPKM Level 4)と呼称変更されました。

(7月25日追記)
ジョコウィ大統領はPPKMを緊急措置よりもやや緩和したレベル4社会制限を8月2日まで施行すると発表しました。

(2021年8月24日追記)
ジョコウィ大統領は、新規感染者数の減少などを理由に、ジャカルタ首都圏、バンドン都市圏、スラバヤ都市圏などのレベル4社会活動制限を、24日から30日までレベル3に下げると発表しました。

7月21日時点で日本大使館が把握する日本人の感染者数は約370人、死者17人となり、JALとANAの特別便が運航され、駐在員の一時退避帰国ラッシュが続いています。

感染拡大の発端は、5月中旬のレバラン休み(断食明け大祭)前後の大都市と地方間の大規模な帰省とUターン移動であり、これにより新規感染者がインドネシア全土に一気に拡大し、会社の同僚や運転手、メイドさんなど身近な人間に感染者が目立つようになり、Twitter上でも毎日のように日本人による陽性カミングアウトが続きました。

現在はPPKMが施行されたことでジャカルタ市内の主要道路に移動制限がかけられ、僕の住む西ブカシからもジャカルタ方面の高速道路Tolは制限付き封鎖され、多くの時間を自宅で過ごさざるを得なくなってから、在留邦人の間にくすぶっていた感染が身近に迫っている恐怖、空き病床や酸素ボンベが不足しているインドネシアの医療体制に対する不安、当地で受けられる政府主導の中国製シノパックワクチンに対する不信感などが一気に表面化している状況です。

そして7月4日のインドネシア政府通達の中で、在住外国人が公共交通機関を使って国内外へ移動する際に、ワクチン接種証明書の提示が義務付けられたことで、日本でのファイザー製やモデルナ製ワクチン接種のための一時帰国が出来なくなるという問題が指摘されましたが、翌日5日に日本大使館による確認で、スカルノハッタ国際空港等から直接国外へ移動する場合は、ワクチン接種証明書の提示は求められないことが判明しました。

しかし地方都市からジャカルタまでの国内線飛行機や列車で移動ではワクチン接種が義務付けられ、これでは未接種の地方滞在者や、接種対象年齢に達していない子供がジャカルタへの移動が出来ないという問題が残りました。

この問題が解決に動いたのは、Twitter有志による政治家(自民党の佐藤正久議員)への働きかけがきっかけとなったと思います。

日本大使館が窓口業務時間外にメールを受付けない問題

在留邦人の声がSNSを通じて政治家にダイレクトに届いた事例は今回が初めてではなく、去年2020年10月、2度目のPSBB Masa Transisi(PSBBを段階的に緩和する移行期間)時に日本大使館のメール受け付けシステムが、窓口業務時間外は受け付けない仕組みになっていたことに対するTwitter上での不満の声に、当時の河野太郎行政改革大臣が即座に反応したのが最初だったと記憶しています。

昔から日本大使館の対応の遅さ、融通の利かなさに対して在留邦人の間で不満があったのは事実ですが、この件をきっかけに対応が急速に改善され、今回のコロナ禍でも活動制限に関する政府通達や日本政府による特別便に関する情報が、深夜にも関わらず頻繁に届けられるようになり、SNS上でも大使館職員の方々への感謝の声が見られるなど、明らかに風向きが変わってきていると感じます。

1998年のジャカルタ暴動時には、日本大使館からの情報が遅いことへの不満が続出し、当時の在住日本人の情報源が「よろず掲示板」であったという話は、インターネット時代を迎える象徴的な出来事であり、いまだに当時の逸話として語り草となっていますが、昨年から続くコロナ禍下でSNSの声が政治家を動かし行政のサービス改善に繋がったというエピソードとして語り継がれるのかもしれません。

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