インドネシアでどこに住むか

インドネシア時事問題

首都移転後のインドネシアの経済発展を支える西ジャワ州【自動車部品を供給する裾野産業の集積】


バリ島で見直した首都ジャカルタ近郊に住むことの価値

僕は1997年10月にジャカルタに来て3年半ほどIT関連の仕事をした後、2001年6月にバリ島へ引っ越しましたが、理由は家具やハンディクラフトの輸出の事業を立ち上げるに際して、顧客である日本の家具屋さん、雑貨屋さん、飲食店関連の方が、定期的に旅行と買い付けを兼ねてバリ島を訪問されており、日本の潜在顧客と一番近い距離にあったのがバリ島だったからです。

また当時の日本はエスニックブームの最中にあり、東京の青山通りには100m間隔でアジア家具や雑貨のショップがあると言われていたくらいで、その2大供給地がタイとバリ島であり、デンパサールのクンバサリ市場やギャニャールのスカワティ市場に行けば、視界に入るあらゆるものが金に化ける感覚すらありました。

バリ島にはヒンドゥー教の霊廟である石造りのチャンディが至る所で見られ、色とりどりの伝統衣装クバヤを身に着けた女性が頭の上にうず高くお供え物のフルーツを乗せて歩いていたり、夕方になるとどこかしらからガムランの音色が聞こえてきたり、日常生活の一コマにヒンドゥ教の歴史や伝統文化が心地よく入り込んでおり、かたやクタのレギャン通り周辺のクラブやカフェに行けば、最高にクールな空間を楽しむことができ、このギャップこそが観光客を一種の催眠状態に陥らせ「バリ島のマジックにかかってしまった」と言わしめる所以だと思います。

バリ島を訪れるお客さんから「バリ島に住めていいですねえ」と言われればそれなりの優越感を感じることが出来ましたし、クタに遊びに行きビーチ沿いのカフェで飲むビールの味は最高でしたし、自宅からほど近いサヌールのビーチに愛犬を連れて散歩に行けたことは間違いなく楽しい思い出です。

しかし日本からオーダーを受けて家具製作の管理を行い、完成品を20フィートコンテナに積み込み、空きスペースを木彫りや石像などの小物で埋めて送り出すという単調な仕事に何ら発展性を見出せずに、仕事の経験値が蓄積されないまま、時代に取り残されていく焦りを感じていたことが、2008年もう一度ジャカルタに戻る決断をした最大の理由でした。

インドネシアの経済発展のダイナミズムの恩恵を受けながら仕事の経験値を蓄積でき、首都ジャカルタの最新のトレンドや文化を体感できる距離で生活をする、これがバリ島に移住して気づいた自分にとってインドネシア国内で定住するのに適した土地の条件であり、それを満たすには大都市(ジャカルタ)に車で数時間でアクセスできる必要があります。

西ジャワ州での裾野産業の集積

2008年にバリ島からジャカルタに出戻り、高所恐怖症と閉所恐怖症を併せ持つ自分にとっては10年間の高層アパート暮らしは苦痛でしかなく、2018年5月に一戸建てに住むべく西ジャワ州ブカシ県の西ブカシに移住しました。

ジャカルタから15kmほどの距離に位置する西ブカシは、現在の顧客のほとんどが入居する工業団地に近く、それでいてジャカルタまでのアクセスが平時なら1時間弱、コロナ禍のPSBB(大規模社会制限)実施中で車が少ない今なら30分以内でCitywalkのPapaya日本食スーパーまで買い物に行けるという、ある意味で都会と田舎のいいとこどりしている土地と言えます。

昨年12月にTol Jakarta-Cikampek高架(第二高速道路=Tol layang)が開通し、今年LRT(Light Rail Transit=軽量軌道交通)開通が予定され、現在ジャカルタバンドゥン間高速鉄道が急ピッチで進められるなど、ジャカルタから東の西ジャワ州方面の都市間インフラが改善されていますので、ブカシ県のみならずカラワン県やスバン県、プルワカルタ県とジャカルタは益々近くなります。

インドネシアは2024年中にも首都ジャカルタを東カリマンタンのバリクパパン近郊に移転開始することを発表していますが、ジャカルタは引き続きインドネシア経済の中心として発展し、次世代車(xEV)生産を中核とした北部ジャワ自動車産業ベルトの建設、スバン工業団地とパティンバン新港プロジェクトなどにより、巨大経済圏が東に拡大していくことが予想されます。

今後の自動車の国内需要と輸出市場の拡大に対応するために、国内産業の高付加価値化を前提とした外資の誘致は、自動車の開発、設計、評価の現地化を行うためのR&D(研究開発)センターの誘致を前提としたものとなり、政府の優遇政策の後押しを受けて、西ジャワ州には多種多様は部品を供給する裾野産業が集積されていくものと思います。





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