インドネシアのビジネス環境

HokBenのブランド戦略【日本文化である和食の徹底的なローカライズ】


日本の「ほかほか弁当」のブランド名と技術支援の下で生まれたHoka Hoka Bento

日本では誕生日になると友人や家族からプレゼント貰ったり食事を奢ってもらったりしますが、インドネシアでは逆に誕生時の人が食事を奢る習慣がありますので、オフィスのインドネシア人スタッフ達は日本人の誕生日をしっかり把握しており、毎年誕生日の1週間前くらいには「やまぞうさん、来週はHoka Hoka Bentoですねー」と嬉しそうに言われたものです。

もう20年以上前の話で、当時のHoka Hoka Bentoの価格を忘れてしまいましたが、少なくとも屋台や食堂で食べる昼飯の3倍から4倍の値段はしていたはずなので、当時の給料が1juta前後の中小企業のインドネシア人ワーカーにとっては、大変なご馳走だったはずです。


*男の子のマスコットの名前はTORIではなくTAROでした。

1985年のオープン当初は「日本のほかほか弁当」からブランド名の使用許可を取り、技術支援を受けていたようですが、そもそもこの「日本のほかほか弁当」というのが、1981年設立の「ほっかほっか亭」を指すのか、うちの福岡の実家の近所にあった亜種の「ほかほか弁当」や、どこかの地方都市に存在すると言われる「ほっかほか弁当」なのかは定かではありません。

これまでインドネシア人から「Hoka Hokaってどういう意味?」「Bentoって何?」と幾度となく質問されるくらいインドネシア人にとって「Hoka Hoka Bento≒日本」のイメージが根付いており、幸いにもHoka Hoka Bentoのイメージは決して悪いものではなかったため、「ドラえもん」や「心の友(五輪真弓の歌)」とともに、日本文化のエバンジェリスト的役割を果たしてきたのは間違いないと思いますが、名前が長すぎるという消費者からのアドバイスによって2013年にHokBenという短縮形に改名しました。

HokBenの味については日本人の舌であれこれ評価する意味を感じませんが、全国に展開する153店舗(2019年7月時点)の素材はすべて東ジャカルタのシラカス(Cirakas)のセンター工場で調理され、特徴的と言われる白米も特定の供給業者から仕入れた米をブレンドして、ボゴール、スラバヤ、ジョクジャカルタの中継所に配送され、フランチャイズではなく敢えて直営店システムを採用することで、味の品質を一定レベルに保つ努力をしています。

ローカライズ戦略でインドネシア中に知名度を広げたHokBen

HokBenのメニューを見るとMentai DonとかEbi Furaiとか、日本人には馴染み深い料理名が多い中で、いろんなセットメニューの中に登場してくる、卵をワンタンで包んで揚げた「Ekkado(エカド?)」という、日本語のようでも日本で聞いたことがない不思議な食べ物が気になっていたのですが、このEkkadoこそがHokBenのブランド戦略で重要な役割を果たしています。

EkkadoはEgg(卵)をワンタンで包み込んでKado(贈り物)のようにしたものという、HokBenのオーナーの奥さんが開発した料理で、インドネシア人の間ではHokBenは食べたことなくてもEkkadoという名前は知っているという人もいるくらい知名度が高く、HokBen(PT Eka Bogainti)により特許取得済みの商品です。

当初は日本のようなお持ち帰り弁当屋を目指したものの、家族で遊びに来てテーブル席に座って団らんのひと時を過ごすのが大好きなインドネシア人の行動様式に合わせて、店内に十分なイートインスペースを確保し、プレイグラウンド施設を設営することで子供達にHokBenに遊びに来たいと言わせ、ほほ常時提供されているプロモーションに親は首を縦に振るという戦略です(上のMentai Matsuriプロモーションはさすがに日本人の舌にはきつかった)。

優れたハラル企業として認証されていることで、主要顧客であるイスラム教徒にも安心、辛い物好きのシニアの舌に合わせた化学調味料(vetsin)を使わない料理、おまけ付きの子供向けキッズ弁当の充実、日本の渋いお茶が苦手な人用にフルーツ味のシロップ入りお茶を提供するなど、徹底的にインドネシアに合わせた「和食」(もはや和食とは言えないかもしれませんが)を提供するのがHokBenのローカライズ戦略です。



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