情報の見える化・共有化・体系化による付加価値の創出

2016/09/06

ジャカルタのスディルマン通り

IoT(Internet Of Things)を一言で説明すると「今までネットに繋がっていなかったデバイスがネットに繋がる」ということであり、第一に情報を取得するためにネットに繋げてしまえば、WEBというブラウザのみで誰もが簡単にアクセスできる環境に情報を乗せることができ、情報の見える化・共有化・体系化が進むことで大きな付加価値を生み出します。

情報の質を評価する基準

僕はインドネシア人技術者と一緒に仕事をすることが多いのですが、だいたい男のおしゃべりが提供してくる情報はロクなもんじゃないということを経験則から学んでおりまして、信憑性の高い情報か否かはある程度の定性的な基準に基づいて判断できると考えております。

いまどきの情報収集のソースの8割以上はネットからだと思うのですが、何かをネットで調べるときに方向性としてはざっくり言って以下のどっちかになると思います。

  1. 過去の事例を調べる
  2. 他の場所での事例を調べる

元財務官僚の村尾信尚さんの名言に『川をさかのぼれ、そして海を渡れ』というものがありますが、例えば今相手から聞いた情報の信憑性を調べるには、過去に同じようなことを言っているのは誰なのか?または似たような事例が他の場所(国・業界など)で言われているか?という2方向しかないと思うのです。

そしてネットからの情報であれ、人づてに聞いた情報であれ、その情報の質を評価する基準は以下の3つだと思います。

  1. それが「見える化」されているか?
  2. それが「共有化」されているか?
  3. それが「体系化」されているか?

この3つが揃っているほど僕は情報を信用します。

見える化・共有化・体系化

「見える化」とは情報提供者と情報利用者との間の信頼関係の構築を最終目的としており、裏に利害関係があろうとなかろうと、必要とする人に役立ててもらおうという奉仕の精神に基づいて、自分の経験や技術を公開することだと思います。

それが結果としてビジネス等に結びつく、のがインバウンドマーケティングであり、信頼関係が構築され「次もまた一緒に仕事をしたい」と感じてもらえれてはじめて「見える化」の目的を達成したことになります。

「共有化」とは情報をお互いの共通認識として土俵に乗せる作業であり、「見える化」された結果を「共有化」することで問題点を共通認識し、改善への取り組みに繋げていきます。

そのためには「共有化」は、見やすく加工され、かつ容易にアクセスできる仕組みの中で実現される必要があり、経験の中で得られる知識は無作為に順不同でインプットされるため、その中から「共有化」する価値のあるものだけを取捨選択する作業が発生します。

一般的に「共有化」が進むほど情報の持つ希少価値は薄れるため、有益な情報を独占することでポジションを高めようという政治力が働きます。

その一方で、当事者意識という名の元で情報がやみくもに「共有化」されることで、責任の所在が薄れ不明確になる傾向があります。CCの宛先がやたらと多いメールを僕は信用しません。

情報の「共有化」によって組織全体のレベルアップを図ることの難しさがここにあると思います。

「体系化」とは一言で言って発想の転換を生む下地作りであり、「共有化」があくまで判断材料の準備であるとすれば、これを「体系化」する過程で利用価値が生まれ、具体的な改善活動に活用されます。

「共有化」された情報は「体系化」されてはじめて、従来の発想の枠を超えて、新たな付加価値を生み出すとも言えると思います。何故なら「体系化」の過程では、多くの人間が「共有化」された情報を元に独自のアイデアを出し合うことにより、個人だけでは思いつかない斬新な発想が生まれる可能性があるからです。

「体系化」の目的を発想の転換と考えることにより、限られた既存の資源の中から、これまで考えもしなかった新サービス・改善方法が生み出されます。

「見える化」された結果を「共有化」するプロセスは静かに粛々と進みますが「共有化」された情報が「体系化」されるプロセスは試行錯誤の連続であり、内外の環境の変化に応じて柔軟に組み替えられます。この継続的なスクラップアンドビルドの繰り返しこそ、グループの持続的発展を支えていきます。

今の世の中、噂が噂を呼んで2次情報、3次情報としておかしなことになっているように思います。

背景が不透明な情報に基づいて議論を重ねるほど虚しいことはないので、「全部裏を取れ」というのは不可能だとしても、情報提供元とその当時の状況くらいはちゃんと共有しないと建設的な議論はできないと思うワケです。