国民協議会(MPR)という言葉を最近聞かなくなった理由

インドネシア時事問題

国民協議会(MPR)という言葉を最近聞かなくなった理由 【インドネシア憲法UUD(Undang-Undang-Dasar)が基本】


盛り上がりに欠けるアホック知事解任デモ

先週金曜日、僕は終日カラワンの工業団地で仕事しておりましたが、その間ジャカルタではまたまたアホック・ジャカルタ特別州知事の解任を求めるデモで賑やかだった、と思いきやこの手のデモは回を追うごとにいまいち盛り上がりに欠けるというか、庶民感覚からずいぶんずれてきている感じが否めず、ジャカルタに戻ってから寄り道した按摩屋のお姉さんの言葉が印象的でした。

  • 彼らは他にやることがないからねー。

カラワンからジャカルタへの帰路の車中、スナヤン方面に行くためにGatot Subroto通りの国民協議会(MAJELIS PERMUSYAWARATAN RAKYAT)/国民議会DPR(Dewan Perwakilan Rakyat)前を通りかかったとき、隣に座っていたおしゃべり好きの部下から言われました。

  • イスラム勢力はアホック知事に対してここのDPRでHak Angket(調査権)を発動しろと要求しているんです。
    あっHak Angketって知らないですよね?

知るかよ、そんなの、と思いながらも、広い前庭の奥にそびえ立つ巨大な建物の外壁に掲げてあるMRP/DPRの文字を見ながら、適当に聞いてみました。

    • ところでMPRとDPRの違いって何なのよ?

これが意外な盲点だったらしく、コイツ慌てて運転手とMPRとDPRの違いについてお互いに確認し合いだしました。

実は自分自身も、最近DPRという言葉は新聞やニュースでよく目にするのに、MPRという言葉はあまり聞かなくなったのは何故、という疑問がありました。

最近のジャカルタでデモが起こる場合は、労働者デモなら大統領官邸からHI前広場あたりを行進するし、今回のアホック知事解任要求デモみたいなイスラムがらみのデモだとイスティクラルからモナスあたりがトレンドになっていますが、1998年のジャカルタ暴動の際には「学生デモ隊がMPR前に集結、占拠」みたいに、かつてはMPRと言えばデモの象徴みたいなイメージを持っていたからかもしれません。

DPRとMRP

インドネシアでは1998年にスハルト大統領が退陣した後、ユドヨノ大統領時代に本格的な民主主義がはじまり、今のジョコウィさんで完全な民主主義国家の仲間入りしたと言えると思いますが、日本と同じく行政(eksekutif)、司法(yudikatif)、立法(legislatif)が権力分立のため分離された三権分立が確立しており、実行主体の最高権力は行政が大統領、司法が最高裁判所MA(Mahkamah Agung)、立法が国民議会DPRになります。

ところでこのおしゃべり部下が言う調査権(Hak Angket)というのはインドネシア憲法UUD(Undang-Undang-Dasar)のPasal 20A(第20A条)に定義されており、この条文を見るとDPRが大きな権限を持つことが伺えます。

  1. Dewan Perwakilian Rakyat memiliki fungsi legislasi, fungsi anggaran, dan fungsi pengawasan.
    国会は、立法・予算作成・監査を行なう機能を持つものとする。
  2. Dalam melaksanakan fungsinya, selain hak yang diatur dalam pasal-pasal lain Undang-Undang Dasar ini, Dewan Perwakilan Rakyat mempunyai hak interpelasi, hak angket, dan hak menyatakan pendapat.
    国会は、これらの機能を発揮するにあたり、この憲法の他の条項で規定されている権限に加え、説明要求権、調査権、意見表明権を持つものとする。
  3. Selain hak yang diatur dalam pasal-pasal lain Undang-Undang Dasar ini, setiap anggota Dewan Perwakilan Rakyat mempunyai hak mengajukan pertanyaan, menyampaikan usul dan pendapat, serta hak imunitas.
    各国会議員は、この憲法の他の条項で規定されている権限に加え、質問を行なう権限を有し、免責権と共に提案・意見陳述を行なうものとする。

つまりHak Angketを発動するのは国民議会DPRなんですが、この「20A条」というように「A」が付いていることからも判るように、もともと1945年制定のインドネシア憲法「第20条」がこの「第20A条」にて大幅に改定されたことにより、DPRが実質的な国家最高機関(Lembaga Tertinggi Negara)として格上げされたと考えていいかと思います。

インドネシア憲法の第一条と第二条に、国会DPRと地方代表議会DPD(Dewan Pimpinan Daerah)のメンバーが自動的にMPRのメンバーになるということが定義されており、憲法の改正や大統領や副大統領の罷免はMPRにて決議されるようです。

  1. Kedaulatan adalah ditangan rakyat, dan dilakukan sepenuhnya oleh Madjelis Permusjawaratan rakyat.
    主権は国民の手に帰属しMPRによって行使される。
  2. Madjelis Permusjawaratan rakyat terdiri atas anggauta-anggauta Dewan Perwakilan rakyat, ditambah dengan utusan-utusan dari Daerah-daerah dan golongan-golongan, menurut aturan yang ditetapkan dengan Undang-Undang.
    国民協議会は、国会(Dewan Perwakilan Rakyat)のメンバーと、法律に定められた方法で選ばれた各地域や職能グループの代表によって、構成される。
  3. Madjelis Permusjawaratan rakyat menetapkan Undang-Undang Dasar dan garis-garis besar daripada haluan Negara.
    国民協議会は、憲法と国家政策の基本方針を決定する。

三権分立のうちの立法権がDPRに移ったのはメガワティ政権時の2001年と2002年のことらしく、これにより国家の権威(wewenang)の最高機関は事実上DPRとなり、MPR自体がニュースになる機会が減ってしまったため、インドネシアが長い人であれば、僕と同じように「最近MPRという言葉聞かなくなったなあ」と感じる人がいるかもしれません。





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