ブランド力、技術力、資金力の3要素

インドネシアのビジネス環境

インドネシアでのビジネスに必要なブランド力と技術力【オンラインとオフラインが繋がった市場】


情報格差と物流格差を利用したビジネス

1998年のジャカルタ暴動後、ルピアが暴落し海外からのドル建て債務を抱えた国内企業が利子の支払いに苦しんでいた頃、僕は外貨が獲得できるインドネシアでの新しいビジネスを探していました。

当時はダイアルアップ接続によるインターネットがようやく普及し始めた頃で、SNSも楽天もアマゾンもなく、ネットでモノを売るという考えが世の中に浸透し始めた時代でした。

ネット上に自分の店が持てるということは、銀行から金借りて場所借りて許可取って仕入して店員雇ってようやく営業にこぎつけるという起業のプロセスを全部ショートカットでき、しかも商圏は無限大という革命的な出来事でした。

インドネシアに住んでいる自分が、当地の珍しいモノをネットを通して日本に売れば円が稼げると考えるのは自然であり、当時真っ先に思いついた商材がインドネシアの伝統ろうけつ染めであるバティック(Batik)と地域色豊かなモチーフが魅力的な織物イカット(Ikat)でした。

当時ネットでバティックやイカットを販売する最大手サイトでは、南ジャカルタのBlok MのモールPasarayaの4階民芸品売り場でRp.35,000ほどで買える布を2,000円程で販売しており、その値段でも写真をアップするとすぐに在庫切れになるほどの人気だったので、クニンガン(Kuningan)の自宅アパートにあった20枚くらいのバティックの写真をカタログっぽく体裁を整えてネットにアップし、最大手サイトの管理者に「こんなんありますけどどうですかね?」とメールすると「それ、全部買わせてください」と即返が来ました。

それからはジャワ島の地域色を反映したバティックを仕入れるために、毎週末のようにジョクジャカルタ(Yogyakarta)のブリンハルジョ(Beringharjo)市場やソロ(Solo)のクレウェール(Klewer)市場、チレボン(Cirebon)のトゥルスミ(Trusmi)地区などで大量のバティックを買い込み、写真を撮ってカタログにアップしEMSで日本に発送し続けました。

当時の日本人にとってインドネシアと言えばバリ島であり、ショップのオーナーさん達の買い付けに行く先もバリ島。「バリ島とはそんなにいいところなのか」と当時ジャカルタしか知らなかった僕は仕入を兼ねて軽い気持ちでバリ島旅行に行ったのですが、ジャカルタへ帰る日の空港までのタクシーの中では、大量のアタ籠や木彫りを抱えて外の景色を眺めながら「ここに移住すれば絶対いける」という確信を持つまでに至っていました。

ジャカルタからバリ島に移住し、法人として正式に日本への輸出を行うようになると、当時の同業社間ではいかに安く早く日本に発送できるかを競う中で、かさばらない小さな雑貨系はEMSで空輸し、家具や大型雑貨はLCL(Less than Container Load)またはコンテナで出荷し、郵便局やカーゴ業者と良好な関係を築くことで安全に日本まで送る方法を確立することができました。

インドネシアでのモノの調達先情報と価格情報を収集し、インドネシアから日本への発送方法を確立した自分は、日本のお客さんとの間に「情報格差」と「物流格差」の優位性を持つことができたのですが、当時この2点を押さえることはインドネシアに在住する人間であればそれほど難しいことではなかったはずです。

現在は情報格差はインターネットの普及によりフラット化され、物流格差は商社による大量輸送によってモノが分散された結果解消され、そして何よりもバブル経済の余韻が残っていた20年前とは異なり、長引くデフレ不況のためモノ自体が簡単には売れない時代になってしまったため、かつて誰もが簡単に始められたインドネシアから日本への物販ビジネスは成立しなくなりました。

これから必要なのはブランド力と技術力

インドネシアでビジネスを立ち上げるのが難しくなった理由は、輸出入にかかる送料、関税などのCIF(Cost Insurance and Freight)コスト、国内ローカル市場への展開の難しさ、就労ビザや許認可取得の問題などがありますが、そんなインドネシア特有の事情以前に、技術の進歩によって情報格差と物流格差を利用できなくなったことが一番大きいと思います。

かつて情報格差と物流格差を利用したいわゆる「隙間ビジネス」は、参入障壁が低いがために多くの同業他社が乱立し、市場が飽和したところで「資金力」を持つ後発企業に駆逐されてしまいました。

現在はSNSやyoutubeなどの即時性のあるツールが情報収集の効率を上げ、楽天やアマゾンなどの巨大オンラインマーケットプレイスがあらゆるモノを短時間で配送する物流体制を築き上げたことで、消費者のオンラインとオフライン(リアル)の行動が短時間で繋がっています。

ユーザー体験(Customer Experience=CX)を想定する上で、オンラインとオフラインを区別することすらナンセンスになりつつある今、インドネシアでのビジネスに必要な要素は間違いなく「ブランド力」と「技術力」です。

ここで言う「戦い方」とは、中華系インドネシア人はブランド力でレバレッジを効かせて効率よく商材を売りまくる「代理店志向」で、日本人は確かな技術力でいいモノを作れば顧客は後からついてくるという「モノづくり志向」、インドネシア人は資金力の範囲で仕入と売上を積み上げて元手をコツコツ増やしていこうという「商人的志向」という意味であり、これらの要素のいずれかを存分に発揮しながら戦うということです。

かつて存在した情報格差や物流格差と同じような、ネット上の新たな仕組みのセキュリティホールを巧みに利用したビジネスが生まれては消えを繰り返す中、インドネシアで地に足をつけたビジネスを構築しようとするならば、回り道でもブランド力と技術力を地道に磨き続けることが最短距離なのではないでしょうか。





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