実録!インドネシアで食中毒にあったときの対処法

インドネシア生活

実録!インドネシアで食中毒にあったときの対処法 【食当たりとの違いを見極め、適切な初動対応を取ることが重大事故を防止する】


工業団地で食中毒に合うとつらい

食事中に読む人はいないと思いますので書きますけど、文中に一部不快な表現が含まれておりますのであしからず。

金曜日に久々の食中毒(keracunan makanan)にあたり土曜は終日寝込んで、日曜日の今日はすっかり健康を取り戻しました。だいたい2年に1回くらいのペースであたるのですが、どんなに注意してもあたるときはあたるので仕方がないとしても、あたった後にいかに被害を最小限に留めて日常生活に支障をきたさないかが腕の見せ所です。

システム運用にあたっては事業継続計画(business cotinuity plan=BCP)というのが必ずありまして、何かあった時の初動対応を間違わなことが重要であり、同じように食中毒もまずあたったら確実に体に違和感がありますので、体が発する小さなサインを見逃さないことが重要です。

僕の場合はあたってからおおよそ4~5時間後にお腹がグルグル言い出すと同時に体全体に倦怠感が走り、その後2時間以内には上と下から食中毒特有の症状がでます。倦怠感が出たら明らかに通常の食あたりとは違いますので、ここで来たるべき症状に向けて準備をします。

先日はCikarangでの昼飯であたってKarawangでのミーティングの後に倦怠感を感じましたので、金曜日の帰宅ラッシュの大渋滞の中で症状が出ることが予測されます。ただその日は9時に嫁をピックアップするという任務が課せられていたため、選択の余地なく5時に客先を出てTolに入りました。

昼飯食べたのが1時なので、症状が出るのは7時から8時の間と予測され、Google mapの渋滞状況から判断して最悪2時間でジャカルタに到着できることが条件です。Cikarang料金所過ぎた後の設計ミスとしか思えないボトルネック付近は平常通りに真っ赤っかですが、そこから先は薄オレンジなので5時にKIIC工業団地を出て8時前にはジャカルタ到着と予測しました。

当然ながらが復路43kmの車中で大惨事になるリスクがありますので、上方からの攻撃に備えてビニール袋確保、下方は車中ではどうしようもないので、いざという時のタッチアンドゴー地点としてCikarang baratとCibitungを設定します。それ以降は適当な着陸地点がないため、Cibitung前での判断が今後の人生に汚点を残すか否かの重要な意味を持ちます。まあ路肩に止めてタッチアンドゴーすればいいのですが、金曜のTolの路肩なんて第4車線化していますので、下手に止めたら重大事故を引き起こしかねません。。。

で、結果的に今回は無事ジャカルタに到着しました。

3年前、Cibitungであたった帰り、Kuningan出口付近で運転しながらビニール袋にリバースするという、多分人生で最初で最後の経験をしましたが、今回はいけると判断しCibitungをスルーしRawamangun出口を経て無事にKuninganまで到着した、までは良かったのですが、ここに来て上からの強烈な攻撃を受け、Rasuna Said裏道のブルーバードのたまり場に紛れて、車中でビニール袋にリバースしました。あー汚い汚い。。。

本来なら出る時に限界まで出すのが早期復旧のための鉄則ですが、車中でビニール袋は落ち着かないため、とりあえずトイレのあるEpi walkにピットインして、ビニール袋を処分してから思う存分残りの仕事を終わらせました。

食中毒にあった場合の対処法

僕の経験上食中毒を早く治す方法はやはり絶食です。

  1. 気持ち悪くなったタイミングを千載一遇のチャンスと考えて可能な限り追い出す。残すと後引きます。
  2. 完全に絶食する。薬飲んでも何飲んでもどうせ逆流してくるので飲むなら水にしとけ。
  3. 熱が出るので寝て回復を待つ。

脱水症状にならないためには水分が必要ですが、飲んでも逆流するというジレンマをどう乗り切るかがポイントだと思います。

水やポカリだと絶対的に塩分が足りないので、飲むなら塩水がまだいいらしいですがさすがにちょっとアレなので、薬局に売っているオレンジ味の粉末状のクソ不味いジュース(名前忘れた)がベストらしいです。





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