インドネシアで国民の幸福感が高く社会的弱者に対する寄付文化が根付いている理由

2021/12/26

ジャカルタ

神の存在を信じることで与えられた今の環境に感謝し幸せを感じること、寄付によって社会的弱者を救済することが倫理的に正しい行いである、ということを子供の頃から教育される点で、宗教には大きな意味があります。

インドネシアは若者の幸福度が高く寄付によって弱者が救済される幸せの国なのか?

インドネシアは2024年現在、人口2億7千万人という巨大市場を擁し、生産年齢人口が従属人口の2倍以上ある「人口ボーナス」状態が2030年まで続くと言われるなど、底知れぬ経済力の潜在性に関心が持たれることが多いのですが、近年SNS上では「若者が幸せと感じる割合が大きい率が高い」とか「寄付したことがある人の割合が世界一高い」など、国民の心の豊かさや弱者救済を是とする社会通念が、肯定的な評価とともに注目されるようになりました。

かたや失われた30年の間、長期デフレが続き所得が上がらない中で、世界的な物流コストの高騰のため輸入品価格が高騰し、景気後退の中でインフレが進行するスタグフレーションが心配される日本は、国連の世界幸福度ランキングでも年々順位を後退させ(2020年は62位)、2021年に英国の慈善団体「チャリティーエイド基金(CAF)」が発表した世界寄付指数では、インドネシアが堂々の1位にランキングされる中、日本は最下位を記録しました。

ちょっと前に世界寄付指数でインドネシアは一位、日本は最下位で冷たいみたいな話があったが、考えて見れば交差点に居る子供やお婆さんへ渡す小銭も寄付にカウントされるとすれば、日常的に寄付する機会が多いという環境の違いだけで、別に日本人が冷たいというわけでもないような気がする。

インドネシアで仕事をしていれば、職場の同僚やその家族に災難があればすぐにカンパの箱が回ってくるし、ラマダン(断食月)明け直前には給料の低いオフィスボーイに対するsumbangan(寄付)の茶封筒が回ってきたりしますが、これらはインドネシアの村社会に根付く相互扶助のゴトンロヨン(Gotong Royong)の精神や、イスラム教の五行の一つである困窮者を助けるための義務的な喜捨を指すザカート(Zakat)の考え方に根差しているのは間違いないでしょう。

オンデルオンデル

日常生活で感じるインドネシアの民族の行動様式や思考様式の違い

民族とは言語・人種・文化・歴史的運命を共有し、同族意識によって結ばれた人々の集団であり、歴史的運命とか同族意識とか、解釈でどうにでもなる主観的基準でグループ化されたものに過ぎません。

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2020年から2021年にかけて蔓延した新型コロナウイルスに対する集団免疫確立のために、政府主導のワクチンプログラムとは別に、相互扶助の精神からインドネシア商工会議所(KADIN)主導で、民間企業の従業員を対象とした無料の予防接種が、ゴトンロヨンワクチン接種プログラムと呼ばれたのは記憶に新しいところです。

インドネシアは人口の87%がイスラム教徒であり、時には宗教的価値観が人権を侵害するような出来事が起こる一方で、コロナ禍でのマスクやアルコール消毒液の配賦、貧困層への金銭的支援、在宅オンライン授業となった子供たちへの教育支援などを社会に浸透させる際に、大きな役割を果たしていたのが、イスラム団体や教会などの宗教ネットワークでした。

インドネシアと日本の幸福の形の違い

2021年12月18日に、大物芸能人の二世タレントであるにも関わらず、謙虚な姿勢で熱心に仕事に取り組む姿が多くの人々に愛され、歌手・女優・声優としてマルチな才能を発揮した日本の有名芸能人が、自ら命を絶つという衝撃的なニュースが流れましたが、彼女に全く関心がなかった自分が真っ先に感じたのは「ああ、またインドネシアでは起こりえないような出来事が日本で起こってしまった」ということでした。

もともとインドネシアは自殺が少ない国で、WHO(世界保健機関)による2016年の世界の自殺率ランキングでは、OECD加盟国の全43か国の中でサウジアラビアに次いで少なく、ましてや十分な財産を持ち、少なくとも外野からは仕事も順風満帆に見える人が、自ら命を絶つなんてことはインドネシアではとても考えにくいのです。

日本の自殺率がG7の中ではトップの7番目に多くなっているのは、やはり日本人は自分自身を最期まで追い込むくらい、不幸について思い詰める傾向があり、それは日本人が無宗教であること、偏差値至上主義の学校教育システムの弊害、一度失敗した人が社会的に救済される仕組不足など、考えられる要因はいろいろあると思います。

宗教的制約の中で今現在を最大限に楽しむ、そして将来成功したらもっと幸せになれる、失敗しても誰かがきっと助けてくれると考えるのがインドネシアだとすれば、今を犠牲にして必死に頑張ることではじめて将来大きな成功が得られる、しかし一度失敗したら再起が難しく精神的ショックが大きい、というギャンブル的要素が大きいのが日本なのかもしれません。

インドネシアでは、今置かれた環境の中でのrejeki(神の思し召し)に感謝するように教えられると聞いたが、仮に人生の目的が今の環境での幸福指数の最大化であるとすれば、これは非常に合理的な考え方だと思った。

宗教的価値観の根本には「Hidup mati di tangan Tuhan(生きるも死ぬも神の手の内)」という言葉のとおり、この世の幸不幸もやがて訪れる死さえも、すべてが神の意向によるという考え方があり、金銭的な裕福度合いに関わらず、今現在の環境に感謝し幸せを感じることが普通のことである、これは無宗教の日本人にはなかなか理解出来ない人生観と死生観かもしれません。

無宗教の自分には計り知れない部分ではありますが、神の存在を信じることで今を幸せと感じることができる、社会通念上許される範囲の中で更なる幸せを追求し、その過程で出会った社会的弱者を救済することが倫理的に正しい行いである、ということを子供の頃から教育される点で、宗教には大きな意味があると考えます。