インドネシア生活

日本人がインドネシアに持つ「得体の知れない期待感」【自国に対する自負心の向上】


インドネシアに対する「得体の知れない期待感」

1997年10月、東京のIT会社でプログラマーをやっていた自分が、突然訳のわからない国に行くと言い出して、両親がショックで卒倒しないために手紙を書いていたのですが、今読み返してみると青臭さ満載で自分で読んで辛くなるレベルとはいえ、学生時代の就職活動時に計画していたことを、3年後に有言実行したらたまたま行先がスハルト政権下のインドネシアになったという、意外と筋の通った内容でした。

  • 経済発展の無限の可能性を内包するアジアには、成熟して安定期に入った日本(主に東京)よりも大きな魅力を感じていましたし、自分を成長させる大きなチャンスがあるのではないかと期待させるものがありました。
  • 学生時代から将来は、東南アジアで仕事をしたいとおぼろげながら夢想していました。大学3年の晩秋の頃、企業からのダイレクトメールが届き始めた頃には既に、将来それが現実のモノになりやすいような仕事に就きたいと考えていました。
  • 私は今年で27歳であり、思い切った行動をとれるぎりぎりの年齢だと思っています。なるべく早い時期に現地に行って仕事を通して自分を向上させていきたいと考えるようになりました。

僕は「自分を成長させる大きなチャンス」と表現しましたが、当時の僕と同じようにコロナ禍が明けたらインドネシアで仕事をしたいという思いで日本で準備中の人も、インドネシアという国に対して「得体の知れない期待感」を持っていると思うのですが、日本とインドネシアの1人あたり名目GDPの差が23年前の32分の1から5分の1にまで縮まった現在では、その期待感の中に含まれるギャンブル性の要素が小さくなっていると想像します。

2019年の日本の出生率は1.36に対してインドネシアは2.3と高い水準を維持しており、10年後の2030年にはGDPで日本を追い抜く可能性があるインドネシアの将来は明るいことが当確視されている今、明確なビジネスモデルを持って拡大し続けるインドネシア市場で勝負しようとする人は、希望に胸躍るような気持ちでしょうが、当時の僕のように明確なビジョンもなく「来れば何かチャンスがあるはずだ」という山師的発想の人にとっては、逆に物足りなさを感じ、もっと「得体の知れない期待感」を持てるインドやアフリカなどに向かうのかもしれません。

インドネシアでの日本人の置かれる立場の変化

自分で言うのもなんですが、23年前にジャカルタに来た当初はとにかくモテまして、銀行の窓口のお姉さんから逆ナンされること数回、カフェの店員からは「Jalan2 yuk」とデートに誘われるは携帯番号を聞かれるは、素人からこのレベルですからカラオケ屋などのプロのお姉さんからの誘いの激しさは押して知るべしですが、これは別に昔の自慢話をしたいわけではなく、2020年の今仮に僕がインドネシアに初めて来ていたとしたら、果たして同じくらいモテるだろうかという話です。

昔のジャカルタ在住日本人の中には、金の力で自分は偉くなったと勘違いした結果、アンジャッシュの児島の相方ばりにカラオケ屋のお姉さんとパサラヤのトイレでエッチしてPosKotaの記事になったり、協栄ビルのレンタルビデオ店の店員の女の子を恫喝して警備員を呼ばれたり、日本人の評判を地の底まで落とすような事件を起こす人がいましたが、最近はほとんど聞かないですよね?

最近は若くてシュッとした日本でもさぞかしモテるようなイケメン駐在員が多いように見受けられるのですが、23年前の僕よりも背も高く身なりもしっかりしたイケメンさんでも、BCA銀行やNiaga銀行の窓口のお姉さんから逆ナンされた経験をお持ちの方は少ないのではないでしょうか?繰り返しになりますが自慢ではありませんので念のため。

この境遇の変化は、もちろん銀行のコンプライアンスが改善され、店頭での客との個人的な取引の禁止が徹底されたこともありますが、それ以上にインドネシア人自身が豊かになった今、彼氏に求める条件が金だけではなくなったこと、そして日本人に対する期待度が相対的に下がったこと、もっと言えば「日本人の彼氏=逆玉」という発想自体がなくなったからかもしれません。

1997年と言えば、サッカーフランスW杯のアジア最終予選で、日本代表がアジア第3代表決定戦でイランと闘い、「野人」岡野の劇的サドンデスゴールで初出場を決めた「ジョホールバルの歓喜」を思い出しますが、W杯では3戦全敗したとはいえ、中田英寿はイタリアセリエAのペルージャに移籍し、開幕戦でユベントスから2ゴールを奪う活躍をしてくれたおかげで、試合放送後はどこに行っても日本人と分かれば「オー、ナカタ」という歓迎ぶりでした。

1999年~2000年にかけて、インドネシアではUFCやPRIDEなどの総合格闘技が放映され、柔術界最強と言われていたグレイシー一族を次々と破った桜庭和志の名前が知られるようになり、当時バリ島に引っ越したばかりの自分もハードロックカフェのスタッフと、ングラ・ライ空港の出国カウンターのイミグレーション担当官から「オー、サクラバ」と握手を求められた記憶があります。

あれから20年近く経とうとしていますが、日本人の有名人の名前で握手を求められるような場面が一切なくなったのは、日本人のスポーツ界からインドネシアで人気種目のスター選手が生まれなくなったこともあるのでしょうが、それ以上に外国人の中から「世界で戦えるアジアの代表」を探す必要がないほど、経済成長により自国に対する自負心が強まったからではないでしょうか。

僕は第二次大戦時の日本の南方作戦で、インドネシアに進駐した日本軍が民衆に多大な傷を負わせた史実を正当化するつもりは全くありませんが、当時のインドネシア人が、欧米列強と闘いオランダ軍を蹴散らした日本軍を、アジアの代表として大歓迎した気持ちは、「ナカタ」「サクラバ」と呼んで笑顔で握手を求めたインドネシア人の気持ちと近いものがあると想像します。

今インドネシアの若者の間ではK-POPや韓国ドラマを中心とした韓国のサブカルチャーが大人気ですが、果たしてインドネシア在住韓国人駐在員が韓流スターの名前を呼ばれて握手を求められるような現象があるのでしょうか?

インドネシアの女の子は、純粋にBTSのパフォーマンスに魅了され、ファンとしテテやジョングクに憧れるのであって「世界のミュージックシーンで戦えるアジアの代表」といった見方をしないのは、インドネシアの国力が上がり自国に対する自負と誇りを持った今、外国人の中に自分たちの代表を探す必要がなくなったからだと考えます。





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