インドネシアで多能工化する日本人のビジネス上の役割の変化

2020/12/21

Wisma BNI 46ビル

インドネシアのローカル市場ではプロダクトに求められる要求が高度化し、コロナ禍の影響で競争が益々シビアになったことで、これまで営業と管理という役割を担っていた日本人の役割が多能工化し、積極的にデリバリーにまで関与できることが価値を持つ時代になると思います。

経済格差が縮まれば日本人の役割も変わる

日系企業のインドネシア現法の社長さんは日本では部長さんクラスの方が多く、同じように日本の営業課長さんが現法の副社長や営業部長に就任し、そして日本の技術者の方もインドネシアでは必然的に技術の仕事と合わせて管理業務が増えるのが普通です。

日本からの出張者はタイやシンガポールではMRTやBTS(高架鉄道)などの公共交通機関に普通に乗ると思いますが、インドネシアでは治安と利便性の問題から運転手付きの社用車やブルーバードタクシーで移動すると思います。

20年ほど前、ブルーバードタクシーの運転手さんが「インドネシアに居る日本人は王様(raja)のような生活をしている」と恨めしそうに言っていましたが、治安の問題があるので仕方がないとはいえ、ジャカルタ中心部の高級アパートメントに住み、土日はゴルフという日本人駐在員の生活は、地元の運転手からすると王様のように映ったのかもしれません。

2020年現在、日本人駐在員のジャカルタでのライフスタイルは20年前からさほど変わっていないのかもしれませんが、日本とインドネシアの1人あたり名目GDPの格差が、23年前の32分の1から5分の1にまで大幅に縮まっており、周りのインドネシア人の生活様式だけがドッグイヤーでアップグレードしました。

インドネシアに先行してシンガポールやタイの高級日本食レストランは、既に日本人が気軽に食べられる料金体系ではなくなっており、上客である地元のお金持ちの客で賑わっていると聞きますが、ジャカルタでも近い将来に確実に同じ状況になるはずです。

日本の国内市場が既に飽和状態で、海外に新たな販路を開拓して行かざるを得ない日系企業にとって、2億6千万人を擁するインドネシアの国内市場は垂涎の的でしょうが、かつての日本ブランドを冠すればなんでも売れる時代とは異なり、プロダクトに求められる条件が益々厳しくなっていくのは間違いありません。

とは言うもののバブル経済を知らない世代にとって、デフレ不況は当たり前の環境であると受け入れているのと同じように、これから赴任してくる駐在員さんは今のインドネシア市場の現状を冷静に受け止めた上で活躍されるのでしょうし、逆に考え方がアップデートされていないのは、自分のようにインドネシア市場の「古き良き時代」を知る長期滞在者だけなのかもしれません。

日本人が多能工化しデリバリーにコミットするようになる時代

インドネシアでは日本人が日本またはインドネシア国内の日系企業から仕事を取ってきて、インドネシア人に作業指示を出して案件管理するという構図が一般的で、日本人は営業職と管理職を掛け持つケースが多かったはずです。

大企業は別としても、近年多くインドネシアに進出している日本の中小のサービス業にとっては、営業や管理という間接人員として駐在員を一人置くことはコスト的に合わないため、より現場寄りのディレクション業務や開発自体にまで関与する「日本人の多能工化」が進んでいます。

この多能工化の傾向は単にコストの面で厳しいのでやむなくという理由だけでなく、高度人材の人件費が高騰し、必要なとき現地で出来る人を予算内の人件費で探していたのではスピード感が落ちて機動性で負けるという点が大きいのではないでしょうか?

さらに今年のコロナ禍の影響でフィールドセールスの機会が激減し、オンラインでのインサイドセールスによるリード獲得から始まる非対面取引を通してバイヤーイネーブルメントまで到達するという取引形態の激変によって、インドネシアのほとんどの企業の組織図と構成員の役割が大きく変わっているはずです。

インドネシアの外国人就業規則には専門知識の移転の義務が記載されていますので、日本人が現場で作業者としてコミットし過ぎることは問題になるかもしれませんが、高度な作業のみならず案件を進めるための作業レベルにも日本人が入っていき、デリバリーにより深く関与していかざるを得ないことになると思います。

インドネシアローカル市場での競争はコロナ禍の影響で益々シビアになったと感じます。

実際僕自身も管理の仕事よりも、自分の手でプロトタイプを作成しデモする比重が高くなっており、この先も人を使う前提の案件から自分でデリバリーまで完結する前提の仕事を増やそうとしています。