人間は弱い生き物ですから感情に支配されて感情の赴くままに意思決定したり行動したりするものですが、結果は得てして非合理的なものになりがちなので、相手の感情を汲み取りながらも自分は感情に流されない合理的な思考訓練が重要だと考えます。
例えば「楽に生きる方法」については昔から何度も言われてきたことで、これに対する最も腑に落ちる回答としては「他人と自分を比較しない」ということになります。
一見「言うは易く行うは難し」のようにも見えますが、幸福とか富とかは決められたサイズのパイではなく、誰かに幸運が訪れたとしても自分に訪れる幸運の可能性が減るわけでも増えるわけでもなく、決して他人と椅子取りゲームをしているわけではないということを冷静に理解できれば、自分がなかなか成功せずに焦ることはあれども、他人の成功を羨む感情は論理的思考により抑えることが出来るのです。
思考と感情という二大要素を存分に生かして生きていく中で、感情に流されるのを制御できるのは思考しかなく、人間誰にでも平等に備わっている良識(理性)を最大限働かせることにより、推論(仮説)を構築することができ、その確からしさを裏付けるのが、個人の場合は過去の経験になります。
ビジネスにおいても対象とする顧客層のニーズがどのように変化しているかを分析した上で、今現在の需要を満たすために何をどのように売るかを考える能力は、実体験に基づく経験から判断の確度を高めることでしか養われません。
メタ推理とは手元にある情報のみからより高次の情報(メタ情報)を材料として推理を行うことですが、限られた情報から表面的には見えない背景を考察してなんらかの仮説を構築しながら次の展開を予測することで、売れる確度を高めるわけです。
ただし合理的な行動をするために感情に流されずストイックに生きるのは大変なことなので、感情に負けたことで不利益を被ったとしても自己嫌悪に陥る必要はないのです。
当ブログでは僕と同じようにインドネシアに関わり合いを持って仕事をする人が、日常生活やビジネスの現場で出会うさまざまな事象のコンテキスト(背景)の理解の一助となるような思考と感情の働きや意思決定のプロセスについての記事を書いています。
コミュニケーションはプロレスに似ている
プロレスは相手の技を受けて相手の良さを最大限に引き出した上で反撃に転じることで自分の技の価値を最大限に高めます。
総合格闘技のように勝敗という結果だけを求めるのであれば、自分がいかに相手を攻撃していかに相手の攻撃を受けないかが重要になりますが、プロレスの場合はいかに客を呼べるかが重要であって、そのためにはお互いに出し合う技の練度や美しさを限りなく追及します。
良いコミュニケーションとは相手を尊重し合いながら最大の成果を生み出すものであるため、プロレスラーにとって攻撃技以上に受け身の練習が大切と言われるのと同じように、対人関係でも相手の意見を引き出す技術の訓練が必要になります。
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格闘技ブームの変遷から考えるコミュニケーションのプロレス的要素
コミュニケーションはプロレスと似ています。相手の技を受けることで試合が成立し、お互いの良さが最大限に引き出された勝負に、観客が興奮し感動するように、お互いの意見を交換し合い、最善の結論が導き出されればコミュニケーションは成功です。
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心の病気は脳の病気
正常なら脳で考えたように体を動かせたり思考を巡らせたりすることが出来ますが、ストレスで脳の働きが不健康になり神経伝達物質が正常に出ないと適応障害やうつ病という状態になりますので、行動や感情をコントロール出来ない状態は脳の病気であるという理解する努力をしてあげることが必要です。
心が疲れないように生きる秘訣は「嫌われてもいいや」「軽蔑されてもいいや」「笑われてもいいや」「馬鹿にされてもいいや」「見下されてもいいや」と思えるようになるとどんどん楽しく楽になり、自分がどう思われているかということを考える時間を、丹念に減らしていくことが大事だということのようです。
『おしん』の俊作兄ちゃんが言ったように、『それでもなお横車を押す人が居たらその人を哀れんでやれ、そして許してやれ』ということです。 人間の行動は脳が感情と思考をコントロールした結果であるということ 人間は感情と思考という二大要素を存分に発揮して生きていくものですが、その感情と思考をコントロールするものが脳であり、感情と思考の働きの結果が行動となって表れるという事実は、うつ病や適応障害、依存症などの現代病の患者と向き合う際に注意すべき点を理解する上で重要です。 続きを見る
運命は偶然ではなく必然である
芥川龍之介の「運命は偶然ではなく、必然であり、その人の性格が決める」という名言を残しましたが、人との出会いも進学先や就職先や渡航先の選択も誰と結婚するかも、あみだくじを引くようにすべては自分の意思で選んだものであるからこそ、全ては必然的に起こっているという意味になります。
自分が全く興味のないことはそもそも選択肢の中に存在せず、親や先生に強制されたものであったとしても、どこかで意思を反映させるタイミングがあり、自分の意思で選択した場所には同じような意思決定をした人が集まっており、そこでも必然的な出会いが発生するわけです。
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運命は偶然よりも必然だと感じるインドとインドネシアでの現地体験
学生時代の強烈なインド体験が現在インドネシアで仕事をしていることに繋がっているという点で、運命は偶然ではなく必然と言えます。インドネシアは植民地時代の東インド会社を通した交易を通じてインド文化の影響を受けています。
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問題意識とは何か?
問題意識は現実の世界で起きている事象が何故そうなっているのかを問う姿勢であり、自分の仮説や推論と現実世界の事象が食い違う場合に、どこで相違が発生したのかを追求しようとする意識のことで、論文にしてもブログ記事にしても問題意識が明確であれば流れるように文章が進み、価値のあるコンテンツが完成します。
世間では「意識高い系」という言葉でまじめに人生や現実事象について考え意見を発する人を揶揄する風潮がありますが、意識の高さとは問題意識の高さであり、それだけ世の中の動きにどれだけアンテナを張って生きているということなので、他人にとやかく言われる筋合いの話ではありません。
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インドネシアで問題意識を持って意識高めに生きる方法
問題意識を持つためには世の中の事象が「こうあるはず」という前提認識が必要であり、そのためには点としての知識と、点と点の繋がりである事象のコンテキストの理解が不可欠です。意識が高いというのは自分の経験に裏付けられた問題意識があるということです。
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情報収集によって現状把握し要因分析を行う思考過程
ニュース記事はあくまで事実の報道であり、ちまたに溢れる情報という点の集合を整理して、関連する点同士を繋げて線にすることで、はじめて事象のコンテキスト(背景・文脈)が見えてきます。
事象のコンテキストが見えると、将来発生する類似の事例を正しく理解し適切な対応ができるようになりますが、これはビジネスの現場や日常生活の中において、リスク管理という点で重要な武器となります。
PDCAという観点から言えば、どのような行動に繋げるかをシミュレーションするには、【現状把握】に基づいた【要因分析】が必ず必要になるわけで、事象は様々な要因が絡み合って発生するとはいえ、過去に発生した数多くの事象を分析するための視点は、統計データを定量的に分析する視点と基本的には同じだと考えています。
- トレンド:時間軸の中で動きを見る
⇒日単位・月単位・四半期・通年 - セグメント:多軸的に切り口を変える
⇒州別・財(生産財/消費財)別・市場別・年齢別・男女別 - ベンチマーク:過去の基準データと比較する
⇒前年比・前年同月比
スランプとは頭に思っていることを行動に移せなくなったとき、必要なときにスイッチをONにできない状態であり、いずれも過去には出来ていたことが今は出来ない、やり方を忘れてしまった状態にあるわけです。
言語化することが大切である理由は、過去に自分がどう苦しんで悩んで、最終的にどのように結論を絞り出したかの過程が言語化されていれば、それを読み返すことでスランプから抜け出し、素早くモチベーションを回復させることができるのです。
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インドネシアでの情報収集と要因分析のための言語化の重要性
現状把握を目的として情報収集を行い、過去の事例に基づき要因分析を行う場合の視点は、トレンド、セグメント、ベンチマークという定量的なデータ分析の視点と同じです。また思考過程を言語化することで、仮にモチベーションが下がっても後で読み返すことで思い出し、スランプから脱出できます。
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運を引き寄せる方法
メジャー進出後ヤクルトに復帰した青木宣親選手は、フラットなレベルスイングでボールを平面で捉えることで、ジャストミートする確率を上げることで有名ですが、同じように自分の方に吹いてきた運気に気づきモノにするには、ダウンスイングで点で捉えるのではなく、平面で(広い視野)で捉えるほうが確立が上がります。
レアル・マドリードから期限付きでビジャレアルに移籍(2024年時点はレアルソシエダ)している久保建英の凄さは、直接ボールを見なくても間接視野でボールを見てプレーできることであり、一言で言えば視野が広いということです。
溢れんばかりの情報もググればすぐに出てくる今、「視野が広い」とは流れてきた情報だけをキャッチするのではなく、情報の背景を理解できることであり、情熱や度胸で劣る年配者が若者に勝てる要素があるとしたら、この経験に基づく視野の広さしかないと思います。
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運を引き寄せる方法
運を引き寄せる方法は、流れて来た運が自分に入り込むように明るく気さくにふるまうことによって周りに壁を作らず風通しを良くしておくこと、自分から何かを始め意見を外に発信することで運気を循環させること、流れて来た運気を受け止められるようにいろんな分野に興味を持つことの3点です。
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暇になると過去を振り返る
人間は犬猫とは違って生きる意味を考える生き物なので、コロナ禍で時間的余裕が出来た今、過去を振り返って自分が生きることに対して意味付けした結果、「昔は良かった」という回顧主義に陥るのですが、このような煩悩に悩まされることは人間である以上、仕方のないことです。
私の場合、このコロナ禍で1年半以上続いた活動制限による仕事減による経済苦は、バリ島の会社を閉めてジャカルタへ引っ越すまでの1年間のニート生活の経験と重なるところがあり、ある意味『2度目の経験』だったことから落ち着いて対応できた面もありました。
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人間は暇になると何故自分の過去を振り返るのか?
忙しい時には今日明日の用事を凌ぐために精一杯で過去の自分に思いを巡らす心の余裕がありませんが、コロナ禍の影響で暇になると過去の楽しかったことや辛かったことを思い出して、今自分が置かれた立場と比較することで今まで生きてきたことに意味付けしたいのだと思います。
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人前で話しをする苦手なシチュエーションを克服する方法
第二次大戦時のイギリスの政治家チャーチルは希代の演説家として知られていましたが、原稿も見ずに即興で雄弁に話しているように見えて、実は周到な事前準備と練習がなされていたと言います。
私のようなシャイで内向的なコミュ障人間でも、事前に準備されたシナリオさえあれば、何でも判っている感を出しながら堂々と人前で話すことは可能ですが、あくまで後天的に身に着けたハードスキルなので、暴走して逆にしゃべり過ぎて墓穴を掘らないように注意しています。
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人前で話しをする苦手なシチュエーションを克服する方法
人前で話をする状況で、事前に準備した知識やシナリオを抑揚をつけて読み上げれば、それを聞いている人からすれば名演説者になるわけです。アドリブのトークがぎこちないのは普通であり、無理して空気を取り繕うことは申し訳ないと気後れする必要はないのです。
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インドネシアでブログを10年以上書き続けられる秘訣
何のためにブログを書いているのかといえば、インドネシアで日々入ってくる情報とそれを裏付ける実体験という点を線で繋げることでコンテキスト(背景)として理解しておくことで、次に入ってくる情報や実体験の時により速くより深い理解が出来るようにするためです。
あくまでもインドネシアでIT事業を営む立場で得た情報や経験を元にしたコンテキストであるため、対象ペルソナは「インドネシアに関わる仕事をする人たち」であり、メディアの事実の報道とは異なり、ブログには主観が大きく反映されています。
実体験なしにはコンテキストの理解は出来ないという意味で、ブログを書くにはいかに経験に多くの時間を費やすかが重要であり、またブログはビジネスに結びつかないとモチベーションを維持するのは難しく、当ブログの場合はインドネシアのITサービスの見込み顧客にリーチして、お問い合わせや引き合いを獲得するためのサービスサイトという位置づけです。
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インドネシアでブログを10年以上書き続けられる秘訣
ブログを書く目的が多くの人に読まれることで発生するアフィリエイトやアドセンスの収益の場合、思うように成果が出ないと継続意欲が失われます。長く続ける秘訣は達成感を求めるのではなく、書いたことで頭の中が整理されたという爽快感と学習感が得られるかどうかです。
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理性と感性はバランスをとろうとする
思考(理性)と感情(感性)はバランスを取ろうとしますので、長年感性が抑圧されるとどこかで暴発してしまい、逆に感性のみで好き勝手生きてきた人は、何かをきっかけに人生を振り返って悩んだり自己嫌悪に陥ったりします。
理性中心で動く人と感性中心で動く人が一緒に生きている場合は、理性中心で動く人が妥協する以外に方法はなく、相手の気持ちになって考えられる側の人間が損な役回りになるのですが、相手は損を与えたことに罪悪感すら感じない以上、我慢するか決別するかの二択にならざるを得ません。 感性と理性を最大限に発揮しバランスを維持しようとする防御本能 人間は感性と理性を最大限に発揮して生きる生き物であり、無理に感情を押し殺したとしても、自分の中で感性と理性のバランスを取ろうとする防御本能が働くため、心理的に、社会的に意思に反する不可解な行動をとることがあります。 続きを見る
頭で記憶するか心で記憶するか
座学で学んだ知識は頭で記憶するために忘れられやすいのですが、小説やドラマなど感情移入するストーリーの中で共感したエピソードは心で記憶するため、現実世界でふとしたタイミングでピンポイントで記憶がフラッシュバックし、実際の行動に影響を及ぼします。
小学生の頃、授業で勉強した内容は忘れてしまったとしても、校庭で友達と遊んだり喧嘩したりした記憶は、容易に心の引き出しからピンポイントで取り出すことが出来るのはこのためです。 インドネシアで考えたドラマを観ることが現実世界で役に立つ理由 ハウツー本や動画で勉強した知識は頭で記憶するので忘れやすいものですが、ドラマにはストーリー性があり心を揺さぶられ涙するほど心の中に刻み込まれるので、現実世界での自分の振る舞いに何らかの影響を与えやすいと言えます。 続きを見る
ビジネスでは相手都合を優先し提供した価値の対価としてお金を貰う。
「相手が喜んでくれるのであれば面倒なことは何でも自分がやる」いう姿勢を忘れると自分都合でお金のことを最優先に考え出してしまい、仕事は単なる作業になってしまいます。
提供した価値の対価がお金であり、どれだけ相手の役に立てるかが自分の価値そのものであり、相手の役に立ちたいと思うのであれば、人よりも優れた技術力があったり、幅広い知識があったりする必要があります。
これらの技術力や知識を裏付けるのは経験であり、技術の基本は実務の中でしか身に付きません。
そうだとすれば、単純に忙しいことを理由に仕事を断ることは自分の価値を高める機会損失とも言えるわけで、仮にコストに見合わない仕事であったとしても、実績というオフバランスの評価価値が金銭的価値以上に高い仕事である可能性もあるわけです。
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インドネシアで起業し継続させるための心構え
技術力や知識量は絶対的価値で競合すれば優位に立つことは難しいでしょうが、特定の環境で相対的優位性を発揮できれば、人の役に立ちながらも自立して仕事ができるわけです。逆に言うとより厳しい環境であれば競合が脱落することで相対的に自分の付加価値が高まります。
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努力は達成感ではなく成長を実感する喜びのためにするもの
車はモデルチェンジを繰り返しより洗練されたものに進化していきますが、最終形というものは存在しないので、消費者は現時点での改良の成果である新型モデルを購入するのであって、これは改良の過程を評価しているのと同じです。
同じように努力とは結果を求めてするものではなく、過程を自己満足するためのものであって、結果が出たから努力して良かったと思うのではなく、過程の中で今日はこれだけ進歩したという喜びのために努力をするものだと考えます。
今日は自分はこれだけ賢くなったという学習感や満足感のために努力が出来るようになれば、結果を出すことによる達成感なしに自然と継続できるようになるはずです。
会社員だから時間がないとか関係なくて、YouTuberのヒカキンは4年間毎日200円の定食を食べ、スーパーで働きながら動画を作り続け、今は年収2億円以上のラファエルも、2017年1月まではサラリーマンYouTuberだったわけで、会社員として働きながら個人としてもアウトプットを出し続けることが重要。
「金の亡者」と批判されがちな元WBC世界スーパーフェザー級王者フロイド・メイウェザーも「俺はハードに練習している。他の奴らが寝ている間、俺は練習している。もちろん他の奴らが練習している時、俺は練習している。」という名言を残しています。
逆に考えるとこれだけ「努力は報われる」という言葉を忌避する風潮があれば、自分一人努力して頑張れば周りのライバルを出し抜くことが出来るとも言えるわけです。
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努力した過程は結果と同じくらい大事だということ
努力は結果が出ないとやる気が削がれあきらめてしまいますが、努力の過程で得られる学習感、満足感に意味があると考えることで努力は継続できるのです。結果を出すことにこだわりすぎるあまり達成感が得られないことに嫌気が差して努力を止めてしまうのはもったいないと思います。
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行列に割り込まれると傷つく理由
近年インドネシアはマナーが向上し、行列の割り込みを掛けられることは少なくなりましたが、20年前はマクドナルドでもIndomaretでも普通に割り込まれ、こんなときは順番を抜かされたという怒り以上に、お店の店員さんにそれを黙認されたときのショックのほうが大きいのです。
ただ実際には行列待ちを知らずに悪気なく割り込んでしまうケースであり、私自身もタクシー乗り場やスーパーマーケットの大行列の最後尾が分からず、意図せず割り込みをしてしまい前後に人に注意されたことがありますので、インドネシア人はマナーがなっていないと憤る前に状況を確認する必要があります。
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インドネシアで待ち行列に割り込まれると何故傷つくのか?
マナー向上に伴いインドネシアでは行列の割り込みは随分減りましたが、自分が未だに行列待ちが嫌いな理由は割り込まれるのが怖いから、そして店員が割り込みを黙認したときの絶望感を味わうのが怖いからです。
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心の中の思いを言葉で表現することの大切さ
会話が途切れることで相手に気まずい思いをさせるのではないかという不安から、自分の言いたいことを間髪入れず怒涛のように話続けると、無言の間を作らないので場持ちはよいように見えるが、実際には聞く側である相手を疲れさせているだけで、建設的な話し合いはできません。
何故一方的に話を聞く側が疲れるかというと、自分の興味の薄い内容の話に長い時間集中して内容を理解するのが疲れるのと、理解できなくても聞いているフリをするのが疲れるからであり、たいていの場合は相手は聞きたいのではなく自分の悩みを話したいのです。
相手とのコミュニケーションがぎこちないのは普通のことであり、別に自分のコミュニケーション能力が低いとか、相手が自分に興味がないとかいうわけではなく、会話が終わった後でも、相手は自分に対して普通に評価してくれているものです。
自分がどんな相手だと会話しやすいかを想像すれば分かるのですが、大事なことは話すときはゆっくりと分かりやすく話し、相手が話に乗ってこれるように十分な間を持たせることです。
どんなに心の中で思っていても言葉で表現できなければ思っていることは相手に伝わらないし、口で伝えている場合でも言葉に抑揚とかアクセントがないと気持ちが伝わらず、相手の心を動かすことは出来ないのです。
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心の中の思いを言葉で表現する大切さ
心の中で思っているだけでは、考えが見える化、体系化されていないため、自分でも実はよくわかっていないことが多く、言葉という手段で共有化されていない以上当然相手にも伝わりません。
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怒らない技術は事前に心の中で入念な下準備があって初めて習得できるということ
「喧嘩は怒った時点で負け」と言われますが、特に私のような小心者にとって感情的になること自体がキャラに合わないので、相手の挑発に乗らずひたすら実利を取ることに注力します。怒らないためには心の余裕が必要であり、心の余裕を持つには事前に気持ちの下準備が必要で、この下準備とは自分を怒らせる人物や言動パターンをリスト化して、相対する際に身構えておくことです。
私見ですが、私のように先天的に心配性の人間が心の余裕を持つためには、理屈で感情をねじ伏せるしか方法はないのであって、怒りや心配事など心の内の葛藤が原因で、一人で気分が落ち込んだり不安になって胃がきゅーっとなりそうなときは、空気と独り相撲して貴重な時間を無駄にするのは止めようと言い聞かせています。
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怒らない技術は事前に心の中で入念な下準備があって初めて習得できるということ
喧嘩は怒った時点で負けが決まると分かっていても感情的に反論したい気持ちを抑えることは難しいものですが、怒らない技術は事前に心の中で入念な下準備があって初めて習得できるといえます。
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心の余裕は日頃の反復練習で培われる 【謙虚さは心の余裕から生まれる】
日本語でよく使うのにインドネシア語にこれといったものがない言葉の一つが「謙虚」という言葉ですが、kerendahan hatiというよりtidak sombongのほうがしっくりくると感じます。
インドネシアでもっとも忘れがちになるのが謙虚さであり、例えばお店で物を買ったり、ホテルで荷物を運んで貰ったりすることは、お金とサービスの「価値の交換」をやっているに過ぎないので、Terima kasihと言うことは当然のことなのです。
そして謙虚さとは以下の3つを実践できることだと考えます。
- 人の批判をしない
- 言い訳しない
- 自慢をしない
「川の水が流れるように基本手技を反復」することが心の余裕の源泉となるのであり、決して人間がもって生まれた先天的な素養ではなく後天的な努力の結果です。
思考は誰もに平等に備わっている良識(理性)を最大限働かせることにより、推論(仮説)を構築することができ、その確からしさを裏付けるのが、個人の場合は過去の経験になります。
つまり経験を積めば積むほどより正確な推論が立てられるようになるのです。 心の余裕は日頃の反復練習で培われる 謙虚であるためには心の余裕が必要であり、心に余裕を持つには自分に対する自信が必要であり、自分に自信があるということは、日頃からの反復練習で培われた技術や知識で武装されているという状態です。 続きを見る
デカルトの「方法序説」が今も教えてくれること 【真理は現場にしか存在しない】
多様性の先にも必ず唯一無二の真理があり、真理を追求するには明確な証拠をもって(明証性)、問題を細分化して(分析)、簡単な問題から先に手をつけ(総合)、最後に取りこぼしがないかチェックする(枚挙)という4つの規則に従う必要があります。
真理は唯一無二のものであるため、誰が追求しても同じような結果に行きつくわけで、真理に違いが出るとしたら絶対的存在としての神が存在するか否かという問題だけであり、未だに真理に到達できていない自分が神を認識しているということ自体が、自らが神から創造されたものに他ならないという神の存在証明になるのです。
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デカルトの「方法序説」が今も教えてくれること
他人が書いた人生標語や企業の企業理念に対してそれほど違和感を感じないのは、真理とは多様性の奥にある唯一無二ものであるからであり、真理を見出すための具体的方法が、デカルトの「方法序説」の4つの規則です。
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インドネシアで経験したコロナ禍のビジネスへの影響と心境の変化
弊社も含めコロナ禍で事業活動に大きな支障をきたしている会社が多くあると聞きますが、こんな時に重要なことは気持ちが落ち込んでもとにかく立ち止まらずに動くこと。実務が減り移動が減り人と会う機会も減ると、気持ちばかりが焦って閉塞感に陥りがちですが、とにかく動きづづけることで新しいアイデアや、打開のための糸口が浮かんでくることが多いのです。
小一時間デスクで悩んで分からなかったことが、シャワーを浴びている最中に、突然答えが浮かんできたりするのと同じように、身体を動かして場所を移動することで、悩みごとが客観視され意外と深刻ではなかったことに気づいて安心することもあります。
ITの仕事は「システム屋」という立場でやれば、業務をデジタル化するだけで、それによって生まれる効果を軽視しお金に執着するようになりますが、「問題解決屋」という立場でやれば、お客が抱えている問題をなんとか解決したいという本来の基本姿勢に立ち戻れると考えています。
学生時代にインドでシタールの先生から言われた言葉「演奏のすべては声楽が基本であり、自分の体も楽器の一部であり、たまたまシタールを持っているから自分の歌声がシタールの音色になる」、これはITの仕事でも言えることで、あくまでもシステムは問題解決のためのツールに過ぎないわけです。
制約条件の理論であるTOC理論(Theory Of Constraints)では、問題解決のために一番効果が出るのがボトルネックの改善であると説かれるように、格闘技(パンクラチオン)の関節技では、どこをきめれば相手が倒れるかという理論体系があるように、システムをいかに業務に当てはめるかではなく、業務のどこを改善すれば最大の効果が生まれるかを考え、それをシステムというツールを使って実装するというのが本来あるべき姿です。
問題解決が目的であればツールは何でもよい、そうだとすれば引き出しは多いほうが対応しやすくなるということで、過去の自分の経験と知識の棚卸を行い、業務改善のコンサルに役立つように、知識を体系化する作業を行いました。
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インドネシアで経験したコロナ禍のビジネスへの影響と心境の変化
インドネシアでのITビジネスがコロナ禍の影響を受ける中で、半年間の心境の変化を振り返りました。絶望し暗中模索する中で、バリ島爆弾テロやリーマンショックによる不景気の体験が役立ったように、今回のコロナ禍による体験も来るべき次の不況への備えとなるはずです。
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