人間は弱い生き物ですから感情に支配されて感情の赴くままに意思決定したり行動したりするものですが、結果は得てして非合理的なものになりがちなので、相手の感情を汲み取りながらも自分は感情に流されない合理的な思考訓練が重要だと考えます。
例えば「楽に生きる方法」については昔から何度も言われてきたことで、これに対する最も腑に落ちる回答としては「他人と自分を比較しない」ということになります。
一見「言うは易く行うは難し」のようにも見えますが、幸福とか富とかは決められたサイズのパイではなく、誰かに幸運が訪れたとしても自分に訪れる幸運の可能性が減るわけでも増えるわけでもなく、決して他人と椅子取りゲームをしているわけではないということを冷静に理解できれば、自分がなかなか成功せずに焦ることはあれども、他人の成功を羨む感情は論理的思考、例えば『自分は思う存分好きなように生きてきたし今もやりたいことがやれているので金がなくてもこれ以上ラッキーなことはない』というように考えることで抑えることが出来るのであり、『ものは考えよう』とは『自分はどう生きたいか』ということと同義です。
思考と感情という二大要素を存分に生かして生きていく中で、感情に流されるのを制御できるのは思考しかなく、人間誰にでも平等に備わっている良識(理性)を最大限働かせることにより、推論(仮説)を構築することができ、その確からしさを裏付けるのが、個人の場合は過去の経験になります。
ビジネスにおいても対象とする顧客層のニーズがどのように変化しているかを分析した上で、今現在の需要を満たすために何をどのように売るかを考える能力は、実体験に基づく経験から判断の確度を高めることでしか養われません。
フェルミ推定は限られた情報から概算すること、メタ推理は手元にある情報のみからより高次の情報(メタ情報)を材料として推理を行うことですが、限られた情報から表面的には見えない背景を考察してなんらかの仮説を構築しながら次の展開を予測することで、そのためにも過去の知識を体系化して文章化することに意義があるのです。
ただし合理的な行動をするために感情に流されずストイックに生きるのは大変なことなので、感情に負けたことで不利益を被ったとしても自己嫌悪に陥る必要はないのです。
当ブログでは私と同じようにインドネシアに関わり合いを持って仕事をする人が、日常生活やビジネスの現場で出会うさまざまな事象のコンテキスト(背景)の理解の一助となるような思考と感情の働きや意思決定のプロセスについての記事を書いています。
コミュニケーションはプロレスに似ている
プロレスは相手の技を受けて相手の良さを最大限に引き出した上で反撃に転じることで自分の技の価値を最大限に高めます。
総合格闘技(MMA)のように勝敗という結果だけを求めるのであれば、自分がいかに相手を攻撃していかに相手の攻撃を受けないかが重要になりますが、プロレスの場合はいかに客を呼べるかが重要であって、そのためにはお互いに出し合う技の練度や美しさを限りなく追及します。
良いコミュニケーションとは相手を尊重し合いながら最大の成果を生み出すものであるため、プロレスラーにとって攻撃技以上に受け身の練習が大切と言われるのと同じように、対人関係でも相手の意見を引き出す技術の訓練が必要になります。
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格闘技ブームの変遷から考えるコミュニケーションのプロレス的要素
コミュニケーションはプロレスと似ています。相手の技を受けることで試合が成立し、お互いの良さが最大限に引き出された勝負に、観客が興奮し感動するように、お互いの意見を交換し合い、最善の結論が導き出されればコミュニケーションは成功です。
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心の病気は脳の病気
正常なら脳で考えたように体を動かせたり思考を巡らせたりすることが出来ますが、ストレスで脳の働きが不健康になり神経伝達物質が正常に出ないと適応障害やうつ病という状態になりますので、行動や感情をコントロール出来ない状態は脳の病気であるという理解する努力をしてあげることが必要です。
相手からマウントを取られたと感じたとき、攻撃的な態度をとられたとき「軽くみられてもいいや」「見下されてもいいや」と考え、譲れる者が最後は勝つと信じて反撃するより相手との距離を置くことが、心が疲れないように生きる秘訣であり、『おしん』の俊作兄ちゃんが言ったように『それでもなお横車を押す人が居たらその人を哀れんでやれ、そして許してやれ』ということです。
私は1995年度の新卒入社の会社で、プログラマーとしてキャリアをスタートしましたが、コードで機能を実装しようと考えすぎるあまり、ロジック全体で自分が何をしようとしているのか分からなくなり、時間ばかりが過ぎていくという事象が起こり、これは脳内伝達物質の異常で認知能力低下を引き起こす、いわゆるゲシュタルト崩壊の一種ではないかと考え、開発者には向いていないことを悟りました。
私の義妹が一時期サタン(悪魔)に取りつかれ、部屋に籠って神やサタンと一人で会話する異様な光景を見たことがありますが、これは幼い頃に傷ついて心の奥底に眠っていたトラウマが、なんらかの強烈なストレスで突然暴れだし、深すぎる信仰心故に脳の働きが神にすがることでしか安心感が得られないという、神(イエスキリスト)への依存症だと考えます。
ツイ廃、Youtube中毒、ネトゲ廃人など、程度の差こそあれ現代社会では誰もが依存症になるリスクを抱えており、これはパチンコや競馬などのギャンブルと同じく行為依存(プロセス依存)と呼ばれ、アルコールや薬物の摂取によるものは物質依存と呼ばれますが、両者とも報酬系と呼ばれる脳の回路が刺激を求め、やがてより強い刺激を求めて摂取量・頻度が増加する点では同じです。
私を含む大多数の日本人は、人間の行動は脳が感情と思考をコントロールした結果であるという説明で納得するのですが、インドネシアには「Hidup mati di tangan Tuhan(生きるも死ぬも神の手の内)」という言葉があり、今置かれた環境の中でのrejeki(神の思し召し)に感謝しながら生きて死んでいくものという死生観があります。
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人間の行動は脳が感情と思考をコントロールした結果であるということ
人間は感情と思考という二大要素を存分に発揮して生きていくものですが、その感情と思考をコントロールするものが脳であり、感情と思考の働きの結果が行動となって表れるという事実は、うつ病や適応障害、依存症などの現代病の患者と向き合う際に注意すべき点を理解する上で重要です。
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運命は偶然ではなく必然である
インドとインドネシアは、人口の多さと国土の広さという共通点を持ちながら人種も宗教も異なる大国であり、私にとっては学生時代の強烈なインド体験が、結果的に海外で仕事をするきっかけとなり、過去に一度も縁がなかったインドネシアでITビジネスをやっています。
芥川龍之介の「運命は偶然ではなく、必然であり、その人の性格が決める」という名言を残しましたが、人との出会いも進学先や就職先や渡航先の選択も誰と結婚するかも、あみだくじを引くようにすべては自分の意思で選んだものであるからこそ、全ては必然的に起こっているという意味になります。
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運命は偶然よりも必然だと感じるインドとインドネシアでの現地体験
学生時代の強烈なインド体験が現在インドネシアで仕事をしていることに繋がっているという点で、運命は偶然ではなく必然と言えます。インドネシアは植民地時代の東インド会社を通した交易を通じてインド文化の影響を受けています。
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問題意識とは何か?
問題意識は現実の世界で起きている事象が何故そうなっているのかを問う姿勢であり、自分の仮説や推論と現実世界の事象が食い違う場合に、どこで相違が発生したのかを追求しようとする意識のことで、論文にしてもブログ記事にしても問題意識が明確であれば流れるように文章が進み、価値のあるコンテンツが完成します。
世間では「意識高い系」という言葉でまじめに人生や現実事象について考え意見を発する人を揶揄する風潮がありますが、意識の高さとは問題意識の高さであり、それだけ世の中の動きにどれだけアンテナを張って生きているということなので、他人にとやかく言われる筋合いの話ではありません。
意識高めに問題意識を持たずとも普通に生活できるわけですが、インドネシアで生活する上では不条理を感じる出来事に逢う確率は日本よりも高いわけで、務めて意識高めに生きることで現状分析の確度も上がり、それが将来のリスク管理にも繋がります。
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インドネシアで問題意識を持って意識高めに生きる方法
問題意識を持つためには世の中の事象が「こうあるはず」という前提認識が必要であり、そのためには点としての知識と、点と点の繋がりである事象のコンテキストの理解が不可欠です。意識が高いというのは自分の経験に裏付けられた問題意識があるということです。
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情報収集によって現状把握し要因分析を行う思考過程
ニュース記事はあくまで事実の報道であり、ちまたに溢れる情報という点の集合を整理して、関連する点同士を繋げて線にすることで、はじめて事象のコンテキスト(背景・文脈)が見えてくるわけで、情報収集の目的である現状把握の目的は、インドネシアという不確実性の高い国に住んでいる人にとって、将来発生する事象を正しく読み解けるようにする準備、心構えです。
PDCAという観点から、現状把握に基づき将来の行動に繋げるための要因分析は、時間軸の中での動き(トレンド)、多軸的な切り口(セグメント)、過去データとの比較(ベンチマーク)という、統計データを定量的に分析する視点と基本的には同じです。
スランプとは頭に思っていることを行動に移せなくなったとき、必要なときにスイッチをONにできない状態であり、いずれも過去には出来ていたことが今は出来ない、やり方を忘れてしまった状態にあるわけで、過去に自分がどう苦しんで悩んで、最終的にどのように結論を絞り出したかの過程が言語化されていれば、それを読み返すことでスランプから抜け出し、素早くモチベーションを回復させることができるのです。
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インドネシアでの情報収集と要因分析のための言語化の重要性
現状把握を目的として情報収集を行い、過去の事例に基づき要因分析を行う場合の視点は、トレンド、セグメント、ベンチマークという定量的なデータ分析の視点と同じです。また思考過程を言語化することで、仮にモチベーションが下がっても後で読み返すことで思い出し、スランプから脱出できます。
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運を引き寄せる方法
仏教的価値観では、悟りの境地に達したとき、諸行無常(世の中のものすべては変化する)、諸法無我(世の中のものはすべて関係しあっている)、涅槃寂静(悟りの世界は穏やか)の3つが理解出来ると言われますが、このような世の中では運気が来るのを待つのではなく、引き寄せるためにとにかく行動する必要があります。
野球の打撃ではダウンスイングで点で捉えるのではなく、平面で(広い視野)でボールを捉える、サッカーで直接ボールを見なくても間接視野でボールを見てプレーする、これらはスポーツで視野が広い例です。
過去の経験や知識の体系化などの事前準備を怠らないことで、突然降りてくる第六感(物事の本質を掴む心の働き=インスピレーション)を受け止めることができ、情報の背景まで理解できるようになり、情熱や度胸で劣る年配者が若者に勝てる要素があるとしたら、この経験に基づく視野の広さしかないと思います。
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運を引き寄せる方法
運を引き寄せる方法は、流れて来た運が自分に入り込むように明るく気さくにふるまうことによって周りに壁を作らず風通しを良くしておくこと、自分から何かを始め意見を外に発信することで運気を循環させること、流れて来た運気を受け止められるようにいろんな分野に興味を持つことの3点です。
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暇になると過去を振り返る
犬や猫には喜怒哀楽はありますが、自分が何のどうやって生きてきたのか、生きてきた意味は何なのかといったことは考えません。一方で人間は犬や猫とは違って生きている意味を考える生き物で、そこで人間の中には煩悩が生まれますが、これは仕方のないことなのだと思います。
私の場合、コロナ禍で1年半以上続いた活動制限による仕事減による経済苦は、バリ島の会社を閉めてジャカルタへ引っ越すまでの1年間のニート生活の経験と重なるところがあり、ある意味『2度目の経験』だったことから落ち着いて対応できた面もありました。
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人間は暇になると何故自分の過去を振り返るのか?
忙しい時には今日明日の用事を凌ぐために精一杯で過去の自分に思いを巡らす心の余裕がありませんが、コロナ禍の影響で暇になると過去の楽しかったことや辛かったことを思い出して、今自分が置かれた立場と比較することで今まで生きてきたことに意味付けしたいのだと思います。
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人前で話しをする苦手なシチュエーションを克服する方法
私がプレゼンの名手と尊敬している方の登壇の様子を観察したとき、流れるようなトークとは裏腹に、手揉みしながらひたすら緊張を押し隠している様子が見受けられ「ああ、あんな話術の持ち主でも緊張するんだ。私だけじゃないんだ。」と安心したことがあります。
さらにその人は、縦横無尽に流れるようなトークを展開しているように見えて、実はすべてがパワーポイントのNotesに書いた文章を読み上げているだけであり、そこには笑いを取るためのボケとか、聴講者への問いかけとか、詳細なシナリオが準備されていました。
要はプレゼンが上手くなるには、緊張せずアドリブでトークが出来ないとダメだと勝手に勘違いしていたのです。
第二次大戦時のイギリスの政治家チャーチルは希代の演説家として知られていましたが、原稿も見ずに即興で雄弁に話しているように見えて、実は周到な事前準備と練習がなされていたと言います。
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人前で話しをする苦手なシチュエーションを克服する方法
人前で話をする状況で、事前に準備した知識やシナリオを抑揚をつけて読み上げれば、それを聞いている人からすれば名演説者になるわけです。アドリブのトークがぎこちないのは普通であり、無理して空気を取り繕うことは申し訳ないと気後れする必要はないのです。
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インドネシアでブログを長年書き続けられる秘訣
何のためにブログを書いているのかといえば、インドネシアで日々入ってくる情報とそれを裏付ける実体験という点を線で繋げることでコンテキスト(背景)として理解しておくことで、次に入ってくる情報や実体験の時に、突然降りてくる第六感(物事の本質を掴む心の働き=インスピレーション)を受け止めることで、より速くより深い理解が出来るようにするためです。
「地頭が良い」「勘がいい」とは蓄積された知識が有機的に(多くの部分が緊密な連関をもちながら全体を形作っているさま)連携されている状態であり、独創的なアイデアは幅広く体系化された知識をベースに生まれ、手元にある情報から表面的には見えない背景を考察して次の展開を予測します。
ブログを書くにはいかに実経験に多くの時間を費やすかが重要であり、ブログはビジネスに結びつかないとモチベーションを維持するのは難しく、そのビジネスがGoogle AdSenseやアフィリエイトだったら、インドネシアでは検索クエリに偏りが大きく、ボリューム自体も小さいので継続は非常に難しく、魚の居ない池に釣り糸を垂らすような状態になります。
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インドネシアでブログを長期間書き続けられる秘訣
ブログを書く目的が多くの人に読まれることで発生するアフィリエイトやアドセンスの収益の場合、思うように成果が出ないと継続意欲が失われます。長く続ける秘訣は達成感を求めるのではなく、書いたことで頭の中が整理されたという爽快感と学習感が得られるかどうかです。
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理性と感性はバランスをとろうとする
理性中心で動く人と感性中心で動く人が一緒に生きている場合は、理性中心で動く人が妥協する以外に方法はなく、相手の気持ちになって考えられる側の人間が損な役回りになるのですが、相手は損を与えたことに罪悪感すら感じない以上、我慢するか決別するかの二択にならざるを得ません。
相手に攻撃的な態度を取られたとき、感情的になったほうが負け、人生譲れる者が最終的な勝者と考え、距離を置くことが最良の手段です。 感性と理性を最大限に発揮しバランスを維持しようとする防御本能 人間は感性と理性を最大限に発揮して生きる生き物であり、無理に感情を押し殺したとしても、自分の中で感性と理性のバランスを取ろうとする防御本能が働くため、心理的に、社会的に意思に反する不可解な行動をとることがあります。 続きを見る
頭で記憶するか心で記憶するか
座学で学んだ知識は頭で記憶するために忘れられやすいのですが、小説やドラマなど感情移入するストーリーの中で共感したエピソードは心で記憶するため、現実世界でふとしたタイミングでピンポイントで記憶がフラッシュバックし、実際の行動に影響を及ぼします。
小学生の頃、授業で勉強した内容は忘れてしまったとしても、校庭で友達と遊んだり喧嘩したりした記憶は、容易に心の引き出しからピンポイントで取り出すことが出来るのはこのためです。
相手の心の不安を和らげるという行為はどんな仕事にも必要であり、技術的な尺度だけで人の能力は計ることができず、技術を必要とする仕事をする上で、プロなんだから何でも対応できなきゃならない、だから基本が大事、基本の反復練習によって自分のパターン(型)を作ることがいかに重要です。 インドネシアで考えたドラマを観ることが現実世界で役に立つ理由 ハウツー本や動画で勉強した知識は頭で記憶するので忘れやすいものですが、ドラマにはストーリー性があり心を揺さぶられ涙するほど心の中に刻み込まれるので、現実世界での自分の振る舞いに何らかの影響を与えやすいと言えます。 続きを見る
ビジネスでは相手都合を優先し提供した価値の対価としてお金を貰う。
人間の価値とは、結局はどれだけ他人に役に立てるか、ということなんでしょうが、人の役に立つには他人が出来ないことが出来たり他人よりも物知りだったりする必要があり、ビジネスにおいても最も重要なことは相対的優位性(競争力)を持つことであり、他人が出来ないこと(≒技術)や他人より詳しいこと(≒情報)は、現場での日常業務で体得した経験に基づいた場合に初めて説得力を持ち、基本は本業(≒実業)の中でしか身につきません。
ビジネスを立ち上げることを『起業』と言いますが、ここで我々が『起』こす『業』とは『行為、所作、意志による身心の活動、意志による身心の生活』であり、それができるようになるためには実業を一生懸命頑張って経験値を積むのが最短の方法であり、実業のない起業は虚業になります。
そうだとすれば、単純に忙しいことを理由に仕事を断ることは自分の価値を高める機会損失とも言えるわけで、仮にコストに見合わない仕事であったとしても、実績というオフバランスの評価価値が金銭的価値以上に高い仕事である可能性もあるわけで、重要なのは「相手が喜んでくれるのであれば面倒なことは何でも自分がやる」いう姿勢です。
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インドネシアで起業し継続させるための心構え
技術力や知識量は絶対的価値で競合すれば優位に立つことは難しいでしょうが、特定の環境で相対的優位性を発揮できれば、人の役に立ちながらも自立して仕事ができるわけです。逆に言うとより厳しい環境であれば競合が脱落することで相対的に自分の付加価値が高まります。
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努力は達成感ではなく成長を実感する喜びのためにするもの
車はモデルチェンジを繰り返しより洗練されたものに進化していきますが、最終形というものは存在しないので、消費者は現時点での改良の成果である新型モデルを購入するのであって、これは改良の過程を評価しているのと同じです。
同じように努力とは結果を求めてするものではなく、過程を自己満足するためのものであって、結果が出たから努力して良かったと思うのではなく、過程の中で今日はこれだけ進歩したという喜びのために努力をするものだと考えます。
今日は自分はこれだけ賢くなったという学習感や満足感のために努力が出来るようになれば、結果を出すことによる達成感なしに自然と継続できるようになるはずです。
会社員だから時間がないとか関係なくて、YouTuberのヒカキンは4年間毎日200円の定食を食べ、スーパーで働きながら動画を作り続け、今は年収2億円以上のラファエルも、2017年1月まではサラリーマンYouTuberだったわけで、会社員として働きながら個人としてもアウトプットを出し続けることが重要。
「金の亡者」と批判されがちな元WBC世界スーパーフェザー級王者フロイド・メイウェザーも「俺はハードに練習している。他の奴らが寝ている間、俺は練習している。もちろん他の奴らが練習している時、俺は練習している。」という名言を残しています。
逆に考えるとこれだけ「努力は報われる」という言葉を忌避する風潮があれば、自分一人努力して頑張れば周りのライバルを出し抜くことが出来るとも言えるわけです。
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努力した過程は結果と同じくらい大事だということ
努力は結果が出ないとやる気が削がれあきらめてしまいますが、努力の過程で得られる学習感、満足感に意味があると考えることで努力は継続できるのです。結果を出すことにこだわりすぎるあまり達成感が得られないことに嫌気が差して努力を止めてしまうのはもったいないと思います。
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行列に割り込まれると傷つく理由
近年インドネシアはマナーが向上し、行列の割り込みを掛けられることは少なくなりましたが、私がインドネシアに来た1997年頃はマクドナルドでもIndomaretでも普通に割り込まれ、こんなときは順番を抜かされたという怒り以上に、お店の店員さんにそれを黙認されたときのショックのほうが大きいのであり、車による割り込みがそれほど腹が立たないのはそのためです。
スーパーのレジ待ち行列の中で、突然隣のレジがオペ開始した瞬間に、自分の後ろに並んでいた人がスッと離脱して先に会計が始まったときの(えっ、なんで先に並んでいる俺からじゃないの)という店員さんへの恨めしさ、さらにはここで不機嫌そうな仕草を見せようものなら、周りの人々から小さい奴だと思われそうという恐怖、こういうときは『譲れるものが最後は勝つ』と言い聞かせ、黙って下向いてスマホ触っているのが安全です。
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インドネシアで待ち行列に割り込まれると何故傷つくのか?
マナー向上に伴いインドネシアでは行列の割り込みは随分減りましたが、私が未だに行列待ちが嫌いな理由は割り込まれるのが怖いから、そして店員が割り込みを黙認したときの絶望感を味わうのが怖いからです。
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心の中の思いを言葉で表現することの大切さ
会話が途切れることで相手に気まずい思いをさせるのではないかという不安から、自分の言いたいことを間髪入れず怒涛のように話続けると、相手は興味の薄い内容の話に長い時間集中して内容を理解するのが疲れ、理解できなくても聞いているフリをするのが疲れ、たいていの場合は相手は聞きたいのではなく自分の悩みを話したいのです。
相手とのコミュニケーションがぎこちないのは普通のことであり、別に自分のコミュニケーション能力が低いとか、相手が自分に興味がないとかいうわけではなく、会話が終わった後でも、相手は自分に対して普通に評価してくれているものです。
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心の中の思いを言葉で表現する大切さ
心の中で思っているだけでは、考えが見える化、体系化されていないため、自分でも実はよくわかっていないことが多く、言葉という手段で共有化されていない以上当然相手にも伝わりません。
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怒らない技術は事前に心の中で入念な下準備があって初めて習得できるということ
「喧嘩は怒った時点で負け」と言われますが、特に私のような小心者にとって感情的になること自体がキャラに合わないので、相手の挑発に乗らず『譲れるものが最後には勝つ』と言い聞かせ、ひたすら実利を取ることに注力します。怒らないためには心の余裕が必要であり、心の余裕を持つには事前に気持ちの下準備が必要で、この下準備とは自分を怒らせる人物や言動パターンをリスト化して、相対する際に身構えておくことです。
私のように心配性の人間が心の余裕を持つためには、理屈で感情をねじ伏せるしか方法はなく、怒りや心配事など心の内の葛藤が原因で、一人で気分が落ち込んだり不安になって胃がきゅーっとなりそうなときは、このブログのように理屈を言語化ししたものを読み返すことで心の安定を取り戻します。
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怒らない技術は事前に心の中で入念な下準備があって初めて習得できるということ
喧嘩は怒った時点で負けが決まると分かっていても感情的に反論したい気持ちを抑えることは難しいものですが、怒らない技術は事前に心の中で入念な下準備があって初めて習得できるといえます。
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心の余裕は日頃の反復練習で培われる 【謙虚さは心の余裕から生まれる】
日本語でよく使うのにインドネシア語にこれといったものがない言葉の一つが「謙虚」という言葉ですが、kerendahan hatiというよりtidak sombongのほうがしっくりくると感じます。
インドネシアでもっとも忘れがちになるのが謙虚さであり、例えばお店で物を買ったり、ホテルで荷物を運んで貰ったりすることは、お金とサービスの「価値の交換」をやっているに過ぎないので、Terima kasihと言うことは当然のことなのです。
そして謙虚さとは人の批判をしない、言い訳しない、自慢をしないの3つを実践できることだと考えます。
「川の水が流れるように基本手技を反復」することが心の余裕の源泉となるのであり、決して人間がもって生まれた先天的な素養ではなく後天的な努力の結果です。
思考は誰もに平等に備わっている良識(理性)を最大限働かせることにより、推論(仮説)を構築することができ、その確からしさを裏付けるのが、個人の場合は過去の経験になります。つまり経験を積めば積むほどより正確な推論が立てられるようになるのです。
仮にどんなに成功してお金持ちになったとしても、現世で幸せに生きるために必要な糧は限られた量で充分であり、『立って半畳寝て一畳、天下を取っても二合半』と言うように、必要以上に欲を満たそうとせず謙虚に生きたいものだと私は思います。
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心の余裕は日頃の反復練習で培われる
謙虚であるためには心の余裕が必要であり、心に余裕を持つには自分に対する自信が必要であり、自分に自信があるということは、日頃からの反復練習で培われた技術や知識で武装されているという状態です。
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デカルトの「方法序説」が今も教えてくれること 【真理は現場にしか存在しない】
多様性の先にも必ず唯一無二の真理があり、真理を追求するには明確な証拠をもって(明証性)、問題を細分化して(分析)、簡単な問題から先に手をつけ(総合)、最後に取りこぼしがないかチェックする(枚挙)という4つの規則に従う必要があります。
真理は唯一無二のものであるため、誰が追求しても同じような結果に行きつくわけで、真理に違いが出るとしたら絶対的存在としての神が存在するか否かという問題だけであり、未だに真理に到達できていない自分が神を認識しているということ自体が、自らが神から創造されたものに他ならないという神の存在証明になるのです。
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デカルトの「方法序説」が今も教えてくれること
他人が書いた人生標語や企業の企業理念に対してそれほど違和感を感じないのは、真理とは多様性の奥にある唯一無二ものであるからであり、真理を見出すための具体的方法が、デカルトの「方法序説」の4つの規則です。
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インドネシアで経験したコロナ禍のビジネスへの影響と心境の変化
弊社も含め2020年から2021年のコロナ禍で事業活動に大きな支障をきたした会社が多くあると思いますが、そういう時に重要なことは気持ちが落ち込んでもとにかく立ち止まらずに動くこと。実務が減り移動が減り人と会う機会も減ると、気持ちばかりが焦って閉塞感に陥りがちですが、とにかく動きづづけることで新しいアイデアや、打開のための糸口が浮かんでくることが多いのです。
小一時間デスクで悩んで分からなかったことが、シャワーを浴びている最中に、突然答えが浮かんできたりするのと同じように、身体を動かして場所を移動することで、悩みごとが客観視され意外と深刻ではなかったことに気づいて安心することもあります。
ITの仕事は「システム屋」という立場でやれば、業務をデジタル化するだけで、それによって生まれる効果を軽視しお金に執着するようになりますが、「問題解決屋」という立場でやれば、お客が抱えている問題をなんとか解決したいという本来の基本姿勢に立ち戻れると考えています。
学生時代にインドでシタール(インド古典音楽の弦楽器)の先生から言われた言葉「演奏のすべては声楽が基本であり、自分の体も楽器の一部であり、たまたまシタールを持っているから自分の歌声がシタールの音色になる」、これはITの仕事でも言えることで、あくまでもシステムは問題解決のためのツールに過ぎないわけです。
制約条件の理論であるTOC理論(Theory Of Constraints)では、問題解決のために一番効果が出るのがボトルネックの改善であると説かれるように、格闘技(パンクラチオン)の関節技では、どこをきめれば相手が倒れるかという理論体系があるように、システムをいかに業務に当てはめるかではなく、業務のどこを改善すれば最大の効果が生まれるかを考え、それを実装するというのが本来あるべき姿です。
問題解決が目的であればツールは何でもよい、そうだとすれば引き出しは多いほうが対応しやすくなるということで、過去の自分の経験と知識の棚卸を行い、業務改善のコンサルに役立つように、知識を体系化する作業を行いました。
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インドネシアで経験したコロナ禍のビジネスへの影響と心境の変化
インドネシアでのITビジネスがコロナ禍の影響を受ける中で、半年間の心境の変化を振り返りました。絶望し暗中模索する中で、バリ島爆弾テロやリーマンショックによる不景気の体験が役立ったように、今回のコロナ禍による体験も来るべき次の不況への備えとなるはずです。
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