問題意識を持つためには世の中の事象が「こうあるはず」という前提認識が必要であり、そのためには点としての知識と、点と点の繋がりである事象のコンテキストの理解が不可欠です。意識が高いというのは自分の経験に裏付けられた問題意識があるということです。
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インドネシア生活における思考と感情
人間は弱い生き物ですから感情に支配されて勘定の赴くままに意思決定したり行動したりするものですが、結果は得てして非合理的なものになりがちなので、相手の感情を汲み取りながらも自分は感情に流されない合理的な思考訓練が重要だと考えます。
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問題意識という言葉の重み
僕は福岡から東京に出てきてインドネシアに来るまでの約7年間を東京で過ごしましたが、中でも4年間の学生生活は、授業をまじめに受けるわけでなく、他人のノートと代返で中途半端に単位を取って進級し、就職活動に影響するからという消極的な理由で、ダラダラとゼミ活動だけは続けていたという今で言う「意識低い系」の学生でした。
当時は意識低いだの高いだのという言葉はありませんでしたが、近年SNS等で「意識高い系」学生が叩かれているのを見ると、当時の自分を反面教師として考えた場合、学生時代は多少生意気で大口叩くくらいがちょうどいいんじゃないかなあとすら思ってしまいます。
3年生から始まるゼミ活動では、日経新聞の記事から題材を選んで20分間のプレゼンを行い、先生や4年生、たまに登場する怖いOBから総ツッコミを受けて涙目になるという、今思い出すだけでも気が重くなる時間でしたが、当時の発表は必ず以下の4構成で行うというゼミ独自の伝統的なルールがありました。
- 問題意識
論理的に話を展開するにあたって、その後の議論が盛り上がるか否かは問題意識で決まりますので、地頭使って知恵熱出して考えるところです。逆に問題意識がしっかり練られて固まっていれば、後の展開は自動的に決まってきます。 - 分析視角
問題意識をどういう視点から分析するかを提示するところで、問題意識が浅いと切り口が限定されて本論での展開が薄っぺらいものになります。 - 本論
問題意識の背景を分析視角に基づいて紐解いていき、総括するための材料の提示までを行います。 - 総括
本論で導き出された意見をまとめ、本来あるべき姿を実現するために何が出来るかを提示します。結論部分なのでここだけ聞いても得した、と思わせるような総括が望ましいのです。
10年ほど前に、物事の分析や問題の解決策を、定型的な枠組みに従って効率よく導き出すための手法である「フレームワーク思考」という言葉が流行りましたが、僕にとってはゼミの発表で実践させられたこの4構成がまさにフレームワーク思考に当たるものであり、その中でも「問題意識」がテーマの根幹となり、「問題意識」が甘いと輪郭がぼやけたまま無益な総括が出来上がります。
以前「ももクロ」の音楽プロデューサーだった前山田健一氏が「情熱大陸」の中で、短期間に何曲も曲を生みだす秘訣として「最初の四小節が出てきた時点でお尻はたぶんこうなるだろうなあというのは結構想像ついていた部分があるので・・・」と語っていましたが「この最初の四小節」部分が、まさにこの「問題意識」に該当します。
「問題意識」という言葉はニュース記事や論説の中でなにげなく使われがちな言葉ですが、その定義を自分の言葉で説明しようとすると、知恵熱が出るくらい思い悩む、それくらい深く重い言葉であり、大学を卒業して20年以上経つ今でも、この言葉を気軽に使う勇気はありません。
- 本来、物事はこうあるはずなのに現実にはそうなっていないのは何故か?
僕の定義では、問題意識を持つためには世の中の事象が「こうあるはず」という前提認識が必要であり、そのためには点としての知識と、点と点の繋がりである事象のコンテキスト(背景・文脈)の理解が不可欠です。
世の中の不条理を知る「意識低い系」
社会人にとって「問題意識」を持つということは、社会や組織との関わり方の基準を定めるということですが、世の中理屈だけでは物事が進まない場面が多々あることを皆が経験している中で、自分の思考の物差しを他人に強要したり同意を求めたりすることは調和を乱すので、自分の心の中だけで完結しておくほうが好ましいというのが、社会通念上(法律のように明文化されていない暗黙の了解事項)は常識的な考え方でしょう。
毎週日曜9時から絶賛放映中の「半沢直樹」の第6話で大和田常務が、白井大臣を前に謝罪しなかった半沢に言った言葉が「意識低い系」の象徴みたいなセリフでした。
- 君が(大臣に)謝らなかったのはある意味では正しい。そして謝った紀本常務ももちろん正しい。政治というものはね、常に理屈では割り切れない問題があるんだ。
以前ジャカルタで仲の良かった営業のお客さんが「自分が悪くなくても謝らなくてはならない場面が多々ある」と言っていたのを思い出しました。
一方で半沢が第四話で部下の森山に対して語った仕事に向き合う自分自身の信念(心構え)、組織や世の中はこういうものだという強い思いは、まさに「意識高い系」を象徴するようなセリフでした。
- 正しい事を正しいと言える事
- 組織の常識と世間の常識が一致している事
- ひたむきに誠実に働いた者がきちんと評価される事
身を切るような世知辛い世の中の不条理の中で仕事をする人にとって、耳障りの良い言葉の羅列は反感の対象になりがちですが、このセリフはSNSでも非常に話題となり、ほとんどが好意的な反応だったかと思います。
この「意識高い系」の言葉に対する反感が湧かなかった理由は、親会社である銀行から不条理な仕打ちを受けた半沢の言葉だったからであり、この場合「意識高い系」ではなく「意識が高い」言葉として好意的に受け止められたということになるんでしょうが、違いの基準となるのは自分の経験に裏付けられた「問題意識」があるかどうかということでしょうか。
わざわざ意識高めに問題意識を持たずとも普通に生活できるわけですが、インドネシアで生活する上では不条理を感じる出来事に逢う確率は日本よりも高いわけで、務めて意識高めに生きることはより正確で深い現状分析ができるようになり、それが将来のリスク管理にも繋がると考えます。