プロレスとコミュニケーションの共通点と進化

2020/10/18

プロレスから学ぶ

コミュニケーションはプロレスに似ています。相手の技を受けることで試合が成立し、お互いの意見を交換し合うことで最善の結論が導き出されれば成功です。

知性と感性

インドネシア生活で実感した感情に流されない思考の技術と思いやり

感情に流されず合理的な思考を訓練することが重要である。他人と自分を比較しないことで自己肯定感を高められる。理性を働かせることで推論を構築し、過去の経験がその確からしさを裏付ける。

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この記事でわかること

  • 1970年代後半から80年代前半にかけて、日本ではプロレスブームが起こり、全日本プロレスと新日本プロレスが人気を競いました。
  • プロレスは相手の技を受けることで試合が成立し、信頼関係のもとで相手の良さを引き出すショーです。
  • 1980年代後半、新日本プロレスは闘魂三銃士を中心にカリスマ性を表現するスタイルに変化しました。
  • 総合格闘技は相手に攻撃させないスポーツであり、プロレスとは異なるリアルファイトの要素を持ちます。
  • 藤波辰爾選手は、相手の技を受け止めて最大限に引き出すスタイルで、偏見を持たずに相手の考えを聞き出すコミュニケーションスキルを体現しました。

昭和プロレス黄金期の記憶|全日と新日の熱狂と小学生の原体験

1970年代後半から80年代前半、私が小学生の頃は空前のプロレスブームでした。当時はジャイアント馬場を中心とした全日本プロレスと、アントニオ猪木を中心とした新日本プロレスの二団体がしのぎを削っていました。土曜日は塾が終わると、夕方に始まる全日本プロレス中継に間に合うように、自転車で猛ダッシュで帰宅したものです。

プロレスブームの始まりは、1951年に日本プロレスでデビューした力道山が、外国人レスラーを空手チョップで打ちのめす姿が、日本人を熱狂させたことにあります。力道山の死後、日本プロレスが分裂し、保守本流としてスタートしたのが全日で、亜流と見なされた新日は地方巡業の開催場所を借りる際に、地元の反社会的勢力から露骨な妨害を受けるなど苦労しました。しかし、1983年頃にはタイガーマスクや藤波辰爾、長州力などのスターを擁する新日が人気面で全日を圧倒し、金曜ゴールデンタイムに新日が放送され、全日は土曜の夕方枠に追いやられていました。

新日や全日、女子プロレスも含めて地方巡業が地元(福岡県大牟田市)や近隣の柳川や久留米で開催されれば必ず観戦に行きました。馬場さんと一緒に写真を撮ってもらったり、場外乱闘でリングから降りてきたブルーザーブロディに頭を掴まれたりしたことは、今でも大切な思い出です。全日の遠征時にリングサイドに座っていたマジックドラゴンという無名の覆面レスラーに声を掛けてもらったことを、学校で大いに自慢したことも覚えています。

その後、マジックドラゴンはハル園田というリングネームで、マスクを脱いで活躍していましたが、私も高校生になり受験勉強で忙しくなり、プロレスとは疎遠になっていました。ちょうどその頃に、南アフリカ航空295便墜落事故が発生し、乗客名簿の中に新婚旅行を兼ねて海外興行に向かっていたハル園田夫妻の名前がありました。あの時のニュースの衝撃は思い出すだけで胸が痛くなります。

プロレス熱が高かったのは小学生低中学年の頃で、当時は全日で活躍していたミルマスカラス・ドスカラス兄弟やリッキースティムボートなど、派手な空中殺法を使う攻撃的スタイルに憧れました。プロレスはショーだ、八百長だという周りの大人達に反発していましたが、アントニオ猪木のドロップキックで足が顔面に届いていないにも関わらず相手が派手に吹っ飛んだり、藤波辰爾が頭にナックルパートを受けて後方に大きく受け身を取る不自然な反動を観ながら、子供心にプロレスがリアルファイトではないことは薄々感付いていました。

1980年代以降のプロレス進化と総合格闘技の台頭|リアルファイトと“魅せる技”の違いとは?

1980年代後半、新日本プロレスは猪木、藤波の時代から、武藤敬司、蝶野正洋、橋本真也の闘魂三銃士を中心としたカリスマ性を表現するスタイルに変化しました。全日本プロレスでは三沢光晴、川田利明、田上明、小橋健太のプロレス四天王が、技と力のせめぎ合いを継承しつつ個性を表面に出すスタイルを確立しました。

私が大学浪人生をしていた1988年頃、前田日明がリアルファイトを全面に打ち出した第二次UWFが爆発的ブームとなりました。第一次UWFは1984年に旗揚げされましたが、格闘技性重視と興行重視の内部対立により解散しました。元タイガーマスクの佐山聡がシューティング(今の修斗)を旗揚げし、これらが1990年代に生まれるK-1やPRIDEなどの総合格闘技(MMA=Mixed Martial Arts)ブームの源流となりました。

インドネシアでも総合格闘技が人気です。1999年~2000年にかけて柔術界最強と言われたグレイシー一族を次々と破った桜庭和志の名前がインドネシアで知られるようになりました。当時バリ島に引っ越したばかりの私も、ハードロックカフェのスタッフから「オー、サクラバ」と握手を求められ、同じ日本人として誇らしい気分を味わいました。

総合格闘技は「相手に攻撃させないスポーツ」であり、プロレスとは異なります。プロレスは相手の技を受けることで試合が成立し、信頼関係のもとで相手の良さを引き出す真剣勝負のショーです。新日本プロレスのジュニアヘビー級の藤波辰爾や棚橋弘至は、カタリスト的能力に長けたレスラーでした。

プロレスの必殺技は、相手が受け止めることを前提としています。馬場の十六文キックや猪木のコブラツイスト、藤波のドラゴンスープレックスなどがその例です。リアルファイトでは相手の技を受けないため、プロレスの必殺技が見られないのは当然です。

小学生の頃、藤波が大袈裟に受け身を取るのがわざとらしく感じましたが、あれは相手の動きを最大限に魅せる技術でした。タイミングを外して急所を避け、ダメージを軽減しながら組み立てられた試合は「名勝負数え歌」と称され、観客は感動し興奮しました。

プロレスに学ぶコミュニケーション術|藤波辰爾が体現した“聞く力”と信頼の技術

プロレスは、力と技のぶつかり合いで観客を魅了するショー的要素を持ちつつ、レスラー個人のカリスマ性を重視するスタイルへと発展してきました。観客を興奮させ感動させるという共通の喜びを目的としている点で、日常生活での意見交換や議論に近いと言えます。

一方、総合格闘技のリアルファイトは、勝者と敗者が得る金と栄誉の差が大きく、相手を言い負かすことを目的としたディベートに似ています。

このように考えると、コミュニケーションとしてのプロレスの技術が最も高いのは、藤波辰爾選手です。彼は元々格闘技経験がなく陸上選手から始まりましたが、相撲や柔道、空手といったあらゆる格闘技のバックグラウンドを持つレスラーの技を受け止め、相手の攻撃力を最大限に引き出すことができました。このファイトスタイルは、偏見を持たずに相手の考えを聞き出すコミュニケーションスキルに該当します。