宗教的規範と社会活動と分けて考える良心的な庶民感覚【コロナ禍での支援活動の中心はモスクや教会】


ユーチューバーがオカマさんを騙してゴミを寄付して逮捕された事件

先月、岐阜県で学生が路上生活者に石を投げて死亡させる事件が発生しましたが、こういう日本の陰湿な弱い者いじめ的な事件を見るたびに、経済的地位は日本より低くとも、社会全体で強者は弱者を助けるべき、貧しい人に施しをするべきという感覚が生きているインドネシアのほうが、日本よりも民度が高いのではないかと感じることがあります。

ところが先日、インドネシアのユーチューバーが、バンドゥン市内の路上でのパフォーマンスで日銭を稼ぐオカマさんに、Sembako(9種類の生活必需品)が入っていると偽って中身がSampah(ゴミ)の箱を寄付し、オカマさんが涙を流さんばかりに喜んだ後に激怒する一部始終をYoutubeにアップしたことが大ニュースとなりました。残念ながらマイノリティを侮辱するような事件はどこにでも起こり得ます。

今回の事件では、ユーチューバーが問題の動画をアップした後に、自らの反省のコメントを否定して視聴者をバカにした態度が大きな怒りを買い、警察の本気度が一気に上がって素早い逮捕に繋がった感があります。

オカマさんを侮辱し視聴者を騙した言葉が、逮捕された後の警察の取り調べの中で犯人自身に返ってきたことに因果応報を感じましたが、実際のところイスラム教やキリスト教のような一神教では、過去の行いが現在になって結果として現れ、現在の業が未来になって結果として現れるというカルマ(Karma)という考えはありません。

何故なら人間の現在の業を規定するのは、唯一神であるアラーやイエスキリストだけであり、過去の業の影響を認めることは、神の力を軽視することに繋がりかねないからです

宗教的価値観が社会行動をどのように規定するか

イスラム教が主流のインドネシアにおいてLGBT(Lesbian, Gay, Biseksual, dan Transgender)の地位は昔から低いのですが、宗教的規範と社会活動と分けて考える良心的な庶民感覚のおかげで、かつては民放の地上波でも女装したコメディアンがドタバタコントを繰り広げ、ゴシップ番組の司会を女性っぽい仕草の男性MCが務めるおおらかさがありました。

ところが昨年9月の刑法改正で婚外性交渉が認められなくなったことで、同性婚を認めていないインドネシアでは、実質的にLGBTを認めないと法で宣言した形になり、メディアで同調圧力があったかどうかは分かりませんが、いつの間にかテレビから女装したコメディアンの姿は完全に消えてしまいました。

インドネシアで今回のユーチューバーが引き起こしたような、社会の中での弱い者いじめ的なニュースは滅多に聞かないため、後味が悪く悲しい気分になりましたが、その一方で被害者であるオカマさん達の怒りと悲しみが社会で共感を呼び、犯人のスピード逮捕に繋がったことに少し救われた気がしました。

このように庶民の間には宗教的規範に縛られない道徳的感覚が強い一方で、今年3月からインドネシア国内でも感染が拡大している新型コロナウイルスを防ぐために、マスクやアルコール消毒液の寄付、職を失った人への金銭的支援、休校になった子供たちへの教育支援などを社会に浸透させる際に、大きな役割を果たしているのがイスラム団体や教会などの宗教ネットワークです。

刑法改正など政治的には時代に逆行している面もありますが、世界最多のイスラム教徒が生活する国で、宗教的規範と社会活動と分けて考える良心的な庶民感覚が生きていること、その一方で宗教的価値観の下で困った人々への支援活動が積極的に行われることが、外国人にとってインドネシアという国の奥の深さが感じられる理由の一つであると考えます。