インドネシアの組織で必要なリーダーシップとは

2020/09/11

ジャカルタ

ジャカルタがPSBB(大規模社会制限)緩和による移行期間を中止し再強化を行うことに対する評価が分かれていますが、物事は見よう考えようによって評価が変わるものであり、異なる評価を正しいと認めた上で、全員が共通の目的に進むよう導くのがリーダーシップです。

物事は見よう考えようによって評価が変わる

先日9月9日、アニスジャカルタ特別州知事は、新型コロナ感染拡大により市内のcovid-19受け入れ病院のICU(集中治療室)が満床になりそうな状況を憂慮して、6月から続いていたPSBB(大規模社会制限)段階的緩和による移行期間を中止し、来週14日(月)から2週間を目途にPSBB再強化を行うことを発表しました。

これにより国民の生活に直結する特定11分野以外の企業には在宅勤務が義務付けられ、再び飲食店でのイートインも禁止となることで、ジャカルタの消費活動は確実に落ち込み、弊社が顧客とする日系製造業の生産活動にも影響を及ぼしますので、弊社も年末にかけて苦しい状況になることが予想され、良いことと言えば市内主要道路への侵入制限する奇数偶数規制が解除される移動が楽になることくらいでしょうか。

(2020年9月13日追記)
アニス州知事は政財界からの反発を受けて、従業員をやむを得ず出勤させる場合には出社率を25%以下に抑えることを義務付けるという一定の配慮を示しました。

日本政府による緊急事態宣言(4月8日~5月6日)解除後に、東京都が独自に延長していた緊急事態宣言の場合、7月の都知事選に向けた小池知事のスタンドプレーじゃないかという穿った見方をしましたが、インドネシアで景気後退による企業倒産や失業者の増加のニュースが連日報道される中で、今回の決定を発表すれば間違いなくジャカルタ市民からの反発(失望)のほうが多いことは予測できるわけで、それを覚悟の上ということであればアニス知事の決断を尊重せざるを得ません。

一方でジャカルタ在住日本人には駐在員、永住希望者、自営業者など様々な立場の人がおり、所属する会社の業種や規模、役職が違えば物事の考えようが違うため、今回の決定に対する評価が変わるのも当然であるとはいえ、コロナウィルス感染拡大阻止のための決定に対してSNS上で評価が分かれる様子を見て、ふとインド発祥の「群盲評象」という有名な寓話を思い出しました。

6人の盲人に象を触らせてそれが何かを当てさせる試みで、そのうち足を触った盲人は「柱みたい」と答え、尻尾を触った盲人は「綱みたい」と答え、鼻を触った盲人は「木の枝みたい」と答え、耳を触った盲人は「扇みたい」と答え、腹を触った盲人は「壁みたい」と答え、牙を触った盲人は「パイプみたい」と答えたことに対して、王様が「君たちは6人は全員正しい。食い違っているのは君たちが象の異なる部分を触っているからであり、象は全ての特徴を備えている」と答えたそうです。

経済優先か感染拡大阻止優先か、物事は考えようによって評価が変わるものですが、そもそもPSBBを再開して感染者が減ったとしても、緩和すればまた増えるわけだから、ウィルスを封じ込めること自体が無意味という意見がインドネシアでは少ないような気がします。

発表自体が唐突なタイミングで行われた感が強かったことに対して「方針がブレブレ」と否定的見る意見と「このままではマズイと感じたから迷わず方針撤回するのはブレではなく英断」と肯定的に見る意見があるのは、学校から見える3本の煙突を裏山から見たら重なって1本に見えるのと同じことであり、物事を一面的に見て判断を下すと本質を見間違う恐れがあります。

インドネシアで日本的な「背中で見せる」リーダーシップは通用するのか

インドネシアは1999年の法律改正にともなうOtonomi daerah(地方分権)によって首長の権限が大きくなったことも、今回のように地方自治体の首長が突然大胆な決断を下す素地になっていると思うのですが、アニス知事自身はもともとアメリカのメリーランド大学で公共政策学の修士号、北イリノイ大学で政治学の博士号を取得し、選挙討論会の司会や第一次ジョコウィ政権で教育文化大臣を務めるなど、高い教養のある人です。

いろんな見よう考えようをするメンバーを統率するリーダーシップとは、インドの王様のように、6人の盲人が違う部位を触って異なる評価をしても、6人とも正しい評価だと認めた上で、全員が象だと評価できるように導いていくことであり、組織集団を取りまとめるという意味でジャカルタ州知事は大きな会社の社長さんみたいなものだと思います。

僕が日頃お付き合いさせていただいているインドネシアの日系製造業の現地法人の社長さん達は、製造現場や管理業務部門の出身の方が多く、これまで営業出身の社長さんにお会いしたことは5回くらいしかなかったように記憶しています。

在イ日系製造業の社長さんのほとんどが現場または管理部門出身だがたまにお会いする営業出身の社長さんは必ず最初に営業畑の出身だと自己紹介され、技術を欲しがる現地スタッフを営業出身者がまとめるのは大変だと謙遜され、帰りはここで結構ですからと断っても玄関口まで送っていただける傾向がある。

インドネシア人の特性として、言葉は悪いですが野生動物の群れのように、強大な力(技術)を持つボスライオンやボス猿にひれ伏す傾向があり、製造業の現場だけでなく僕が身を置くIT業界でも技術を持つ人間こそが尊敬され、技術を持たない人間が軽くみられる傾向があります。

人間関係を大事にする日本社会におけるリーダーシップの形の一つとして「自分が格好悪い姿を見せてでもがむしゃらにやる姿」で人を引っ張る的な面もありますが、書面契約を重視するインドネシア人の場合、抽象的な熱意だけでは人を動かしにくく、その意味で営業畑出身の社長さんがインドネシアで苦労するとおっしゃるのも理解できるのですが、日本本社の意図として営業出身の社長さんを現地法人のトップに据える目的は、ひとえに事業拡大にあるのではないでしょうか。

駐在員コストをいかに抑えるかが利益確保のための重要課題となりつつあるインドネシア現法において、全体的に駐在員の数を減らす方針の会社が多く、何人もの駐在員を置けない中小企業では、一人駐在プレイングマネージャー(プロ野球の監督兼選手みたいな)として、社長自ら先陣を切って現場に出たり外回りをする企業も多く、その場合は現場出身とか営業出身とかは関係なく、組織を統率するリーダーシップには、意外と日本的な「背中で見せる」やり方が有効なのかもしれません。