インドネシア国軍の歴史とナトゥナ諸島問題

2020/09/12

インドネシアの警察

インドネシアでは、ナトゥナ諸島近海の排他的経済水域(EEZ)での中国漁船による違法漁業が原因で、中国との国境問題が発生しています。インドネシア国軍は、大日本帝国陸軍が創設した郷土義勇軍(PETA=Pembela Tanah Air)を基にしており、独立戦争で中心的な役割を果たしました。

インドネシアの政治・経済・社会の成長構造と戦略を示す図解

インドネシアはなぜ発展するのか?政治・経済・社会を支える構造と成長戦略

スカルノ大統領時代は共産主義政策が推進され、西側諸国からの投資が減少しました。スハルト大統領は西側諸国との関係を強化し、工業化を進めましたが、石油依存から脱却できませんでした。1998年のアジア通貨危機後、インドネシアは民主主義国家と…

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この記事でわかること

  • インドネシア国軍は大日本帝国陸軍が創設した郷土義勇軍を基にしています。
  • 2014年から2019年にかけてスシ・プジアストゥティ海洋水産大臣が違法漁船を爆破しました。
  • インドネシアの国防費は2018年に世界27位で、日本の6分の1の規模です。
  • 2004年のユドヨノ大統領時代にシビリアンコントロールが確立されました。
  • 2025年にインドネシア国軍法の改正法案が可決され、軍の政治的影響力が懸念されています。

中国寄りの姿勢に歯止めをかけたナトゥナ諸島問題

2014年に誕生したジョコウィ政権は、中国寄りとされることが多く、2015年にはジャカルタ~バンドゥン高速鉄道案件で日本の新幹線方式が有力視されていましたが、インドネシア政府は中国案に鞍替えしました。しかし、南シナ海の南方にあるナトゥナ諸島周辺の排他的経済水域(EEZ)では、中国が主権を主張する「九段線」と重なり、中国漁船が公船を伴って活動する違法漁業問題で対立しています。

スシ・プジアストゥティ海洋水産大臣は中国の違法漁船を爆破した強硬派でした。

インドネシアは違法漁船に対して強硬手段をとることで知られ、2014年から2019年の間、スシ・プジアストゥティ氏が海洋水産大臣を務め、拿捕した外国籍違法漁船を爆破または水没処分するなどの姿勢を示しました。

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インドネシア高速鉄道計画と日中競争の背景

ジャカルタ〜バンドン高速鉄道は2023年10月に有料運行を開始しました。2015年の受注競争で、日本は中国に敗れ、インドネシアは中国案を採用しました。ジャカルタ〜スラバヤ準高速化計画は日本と2019年に合意されましたが、一体化は技術的…

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2018年のインドネシアの国防費は世界27位で、9位の日本の6分の1ほどの規模です。しかし、約18,000の島々が東西5,100kmに渡って広がる島嶼国家としての地政学的リスクが国防を難しくしています。ナトゥナ諸島防衛のためには垂直離着陸ができ、航続距離も長いオスプレイが有効とされ、日本に続く2か国目のオスプレイ購入国になるという情報もありましたが、国内予算優先のため頓挫しました。

2020年1月にインドネシアを訪問した茂木外務大臣に対し、ジョコウィ大統領はナトゥナ諸島への投資拡大を要請しました。これにより、中国寄りの姿勢を転換する動きが見られ、日本にとってもナトゥナ諸島は中東方面からの原油輸送路に隣接する要衝であり、インドネシアへの支援は日本の安全保障の強化につながります。

インドネシア国軍の形成の流れ

1998年のジャカルタ暴動時には道路が封鎖され、2日間ほど夜間外出禁止令が出されました。その際、街の要所で警備にあたっていたのがインドネシア国軍(ABRI=Angkatan Bersenjata Republik Indonesia)で、当時は陸(TNI-AD)・海(TNI-AL)・空(TNI-AU)から構成される国軍の管轄下に警察が置かれていました。しかし、民主化に伴う改革の一環として2000年1月に警察は分離され、国軍(TNI=Tentara Nasional Indonesia)と国家警察(Kepolisian Negara RI)という二大組織となりました。

延長されたPSBBは実質Jabodetabekのロックダウンで、こんな大規模な行動制限措置はジャカルタでは98年暴動以来ですが、殺伐とした雰囲気が一切ないのは軍が登場しないからかもしれません。当時はABRIが道路を封鎖し2日間ほど外出禁止令が出ましたが、今回はTNIの姿が一切見当たりません。

暴動直後、オジェック(バイクタクシー)をチャーターして、メンテンのハビビ副大統領邸や独立記念塔(Monas)周辺を偵察に行った際、警備の中心を担っていたのは軍警察(Polisi Militer)やレッドベレーの陸軍特殊部隊コパスス(Kopassus)でした。コパススは陸軍の中の最精鋭部隊であり、当時のテレビニュースで暴徒の集団から袋叩きに合い、血を流しながら逃げる警察官をレッドベレーが救出し、人間の壁を作って守るという映画のような光景が放映されていたのを覚えています。

インドネシア国軍の元となるのは1943年に南方作戦でインドネシアに進駐していた大日本帝国陸軍が創設した郷土義勇軍(PETA=Pembela Tanah Air)であり、オランダとの独立戦争時(1945年~1949年)で中心となって戦ったPETAは、独立後のスカルノ政権ではインドネシア国軍となり、インドネシア共産党PKI(Partai Komunis Indonesia)と共に政治に深く介入するようになりました。

1965年の9月30日の共産党(PKI)によるクーデター未遂事件では、陸軍戦略予備軍司令官であるスハルトがいち早く鎮圧に動き、1966年に反PKIと反スカルノ大統領デモの激化によりスハルト氏に権力移譲された「3月11日政変」後には、軍が治安機能だけでなく政治機能も担うという国軍の二重機能(Dwifungsi)の概念が確立され、インドネシア大統領になる人間の必須条件としてジャワ人、イスラム教徒、軍出身の3つが挙げられるほど、国軍は政治に密着する存在となりました。

1997年、Pondok Gede在住の尾根遺産に案内されたMuseum Penghianatan PKI。9月30日事件を主導したとされるPKIの非道行為の展示物だらけですが、当時スハルト政権下で毛沢東信奉者だった彼女に「なんでスハルト一族は大金持ちなの?」と聞いたときの「知らん」と怒気を含んだ返事の迫力が忘れられません。

実質的にシビリアンコントロール(文民統制)が確立したのは、2004年初の国民による大統領直接選挙で選ばれたユドヨノ大統領の時代であり、最高指揮権を持つ大統領の下で国防大臣が直接責任者となるという民主国家的組織となったインドネシア国軍の活動内容は以下が挙げられます。

  • 国内のアチェ州、パプア州、南マルク州など分離独立問題への対応
  • ナトゥナ諸島(対中国)、カリマンタン島(対マレーシア)での国境紛争への対応
  • 国内でのテロ問題への対応
  • リモート化や非接触決済の普及に伴う社会変化への対応

2025年TNI法案(インドネシア国軍法の改正)の動き

かつてスハルト長期政権下では、インドネシア国軍が民間の政治勢力や民主化運動を抑圧する手段として機能していました。この二重機能は、2000年のワヒド(グス・ドゥル)大統領時代に公式に廃止されました。しかし、インドネシア国軍(TNI)の役割、権限、組織、運営に関する基本的な枠組みを定めたインドネシア国軍法の改正法案(TNI法案)が2025年3月20日に可決されました。

スハルト政権下では、防衛・安全保障という本来の軍の役割に加え、軍が政府や地方政府、国営企業に直接関与し、意思決定に影響を与える社会政治的役割を持っていました。これにより、軍部エリートの権力基盤が強化されました。しかし、民主主義国家として生まれ変わったインドネシアで、TNI法案が可決されることにより、軍事力に対する民主主義的な政治による統制機能であるシビリアンコントロールが機能しなくなるのではないかという懸念が広がっています。大統領による独裁政治が復活する可能性も指摘されています。