インドネシア在留邦人のワクチン接種のための一時帰国ラッシュ

2021/08/14

ガルーダインドネシア航空

日本での海外在留邦人向けワクチン接種のために、インドネシアからの一時帰国ラッシュが続き、日本人駐在員の一時帰国決定が56%に達し、当地の日系製造業様では担当者不在または多忙ということで、弊社の営業活動にも大きな支障が出ました。当時、インドネシアはかつてないほど感染リスクの高い国と認識されている厳しい状況でした。

ワクチン接種証明が義務化される日常

2021年5月中旬のイスラム断食明け大祭前後に、大都市と地方都市の間で大規模な帰省とUターン移動が発生し、コロナウィルスの変異種デルタ株がインドネシア全土に拡散したことで、感染拡大を防ぐための社会活動制限が引き続き実施されましたが、8月10日からジャカルタ、バンドン、スラバヤ、スマランの4都市でショッピングモールの営業再開を試験的に認め、一部都市では学校での対面授業を認めるなど規制緩和の試みもなされました。

当時、インドネシアには約20,000人の在留邦人がいましたが、日本で2021年8月から開始されている海外からの一時帰国者のためのワクチン接種事業に合わせて、7月21日から運行された官民連携事業としての特別便を利用した日本人の帰国ラッシュが続き、当地での立場上帰国することができないいわゆる残留組は、戦国時代のしんがり(退却する見方の最後列で敵を迎え撃つ者たち)の心境にあったかもしれません。

ただでさえ娯楽の少ないジャカルタで、在宅勤務が続きゴルフやマッサージにも行けず精神的ストレスが溜まった残留組も多く、先の見えない状況下で社会活動制限が何度も延長される中、せめてモールだけでも再開することを心待ちにしていた人も多かったと思います。

モールが再開したら伸び放題だった髪を切りたい、カフェで優雅に本を読みたいなどと夢想していた矢先に、商業施設への入館あたってワクチン接種証明が義務化されたことで、彼らのささやかな望みが崩れ去ることになりました。

当初、インドネシアのワクチンプログラムで接種可能なのは中国製のシノパック(在庫が少ないアストラゼネカの接種は受けにくい状況)であり、日本を含む主要先進国で有効性が認められていないことから、将来の渡航先での入国時のワクチン接種条件を満たさない可能性があるため、駐在員の残留組はシノパックの接種に二の足を踏んでいました。

ワクチン接種証明となる政府の公式アプリ「プドゥリリンドゥンギ(PeduliLindungi)でQRコードをスキャンするとスマホ画面に入館時刻が記録される。

当時、ジャカルタのモールに入館するためには、政府の公式アプリ「プドゥリリンドゥンギ(PeduliLindungi)」でワクチン接種証明を取得することが義務付けられていたのですが、ワクチンを接種したにもかかわらず接種会場の医療従事者による記録データの未入力、アプリの運営者側によるデータの未更新といった理由でデータが反映されていなかったという事例も耳にしました。

アプリPeduliLindungiからダウンロードできるインドネシアのワクチン接種証明書。

8月10日に政府公式アプリでの接種証明以外に、権限のある機関からの証明も有効とする決定がなされたことで、外国で接種済みの外国人に対しては、接種を行った国で取得したワクチン接種証明書がインドネシア国内でも認められるという発表がなされたものの、念のため身分証もしくはパスポートを持参することが推奨されていました。

ワクチン接種圧力が先鋭化していく雰囲気

2021年8月11日に、インドネシア政府は医療従事者向けに接種されているモデルナ製ワクチンの一般接種用供給の開始を発表し、8月以降に到着する予定の5,000万回分のファイザー製ワクチンが一般接種用に供給されたことで、自国の接種事情に合わないという理由でインドネシア国内でのワクチン接種を見合わせていた外国人の接種も進みました。

また8月13日には日本での一時帰国者のためのワクチン接種事業でアストラゼネカ製ワクチンの接種が可能となったため、インドネシアでアストラゼネカ製の供給が増えた場合に、インドネシアで1回目を接種した後に日本で2回目を接種することが可能となり、日本で2回のワクチン接種を完了するために最低3週間滞在する必要がなくなり、ワクチン接種の選択肢が増えることになりました。

コロナ禍後のニューノーマル(新しい日常)のために生まれた生活様式として挙げられたのが、マスク着用、公共施設入館時の検温、公共交通機関利用時のPCR検査陰性証明書の提示などですが、レベル4社会活動制限(PPKM Level4)後の日常では、ワクチン接種証明の提示が標準になりました。

一方で国民の間にワクチンの有効性に対する疑念、副作用に対する不安などが一定数あったのも事実であり、医学的見地からコロナ禍を終わらせるためにワクチン接種が必須であることを啓蒙していく必要があるものの、ジャカルタでは『警察によってワクチン未接種の家に警告ステッカーを貼られるべき』という、中世ヨーロッパの魔女狩りのような意見も出ました。

2004年のインドネシア初の大統領直接選挙から20年も経っていないこともあり、民主主義国家にそぐわない規制や法律が度々出てきて戸惑うことも多いのですが、差別や偏見を助長しかねないこの警察発表に対して「諸事情によってワクチンを受けられない人間もいる」「ワクチン未接種は犯罪ではない」という国民の反応が出たことに、良心的な庶民感覚が感じられ安堵したものです。

新型コロナウィルス用ワクチンの種類

2021年8月3日から9日まで延長されていたインドネシアのレベル4社会活動制限(PPKM Level4)ですが、ジャワ島とバリ島は10日から独立記念日前日の16日まで、それ以外の地域は23日まで再延長され、地域の感染状況の応じてレベル4からレベル3またはレベル2にまで引き下げられました。

ジャカルタは引き続きレベル4を維持したものの、レベル4のまま緩和される(dilonggarkan)という言葉が使用されるように、市内100カ所で行われていた通行制限が10日をもって解除され、代替措置として12日から16日まで、8箇所の道路で6:00-20:00 の間奇数偶数規制が再開されました。

インドネシアのワクチン接種数推移(Our World in Data)

またジャカルタ、バンドン、スラバヤ、スマラン4都市のショッピングモールは、12歳未満および70歳以上の入館はお断り、さらに入館には専用アプリでのワクチン接種証明の提示が求められ、自宅待機でストレスが溜まってモールに買い物に行きたいインドネシア人にワクチン接種を促す方法としては、一定の効果がありました。

当初、政府主導の無料ワクチンプログラムで使用されるワクチンは、不活化ワクチンである中国製のシノパック(Sinovac)の一択であり、時々ウイルスベクターワクチンであるイギリス製のアストラゼネカ(AstraZeneca)の接種プログラムの日程と会場が発表されたりしますが、在庫に限りがあることもあり外国人が気軽に接種できる状況とは言えませんでした。

インドネシアでは新型コロナ感染で亡くなった医療従事者は累計で1,000人近くに上り、そこに含まれる医師が401人のうち14人がワクチン接種を完了していたという事実から、デルタ株の流行に伴いシノパックワクチンの有効性に疑問が持たれ、7月9日に政府は医療従事者147万人を対象に、mRNAワクチンであるモデルナ(Moderna)製ワクチンでの追加接種を実施すると発表しました。

そして7月15日にはモデルナと同じmRNAワクチンである米ファイザー(Pfizer)ワクチンに緊急使用許可が出され、日本人としては日本と同じワクチンを打ちたいと思うわけですが、気軽にファイザー製ワクチンを接種できる環境は、当時はまだ整っていませんでした。

mRNAワクチン(ファイザー・モデルナ)、不活化ワクチン(シノパック・シノファーム)、生ワクチン(弱毒化ワクチン)、ウィルスの違いは以下の例えが分かりやすいと思います。

mRNAワクチン→敵の新型戦闘機の設計図が送られてくる
不活化ワクチン→エンジン外して武装解除した敵の新型戦闘機が送られてくる
生ワクチン→武装解除した敵の新型戦闘機が飛んでくる
ウイルス→フル武装した敵の新型戦闘機が飛んでくる

DNAからタンパク質が作られるときに、一度mRNAという設計図を介するため、新型コロナウイルスのタンパク質を作る過程で作られる設計図を投与することで、自分でウイルスタンパク質を作ってもらう仕組みを利用するのですが、mRNAは構造的にすぐに分解されてしまうため、注射された人の遺伝子に組み込まれ害を及ぼす心配はないようです。

日本とインドネシアのコロナ感染による死亡者数に大きな差がある理由

2021年5月中旬のレバラン休み(断食明け大祭)前後の大都市と地方間の大規模な帰省とUターン移動により、新規感染者がインドネシア全土に一気に拡大し、7月下旬から1日当たりの感染者数と死者数が急上昇しました。

インドネシアの一日当たり感染者数と死亡者数の推移(ロイター通信)

JALやANAの特別便が手配されたことで、日本でのワクチン接種を目的とした一時帰国が一気に進み、現地駐在員の半分くらいは居なくなったのではないかと感じるほどでしたが、オリンピックが始まる直前には、当地残留組の日本人から「こんな時期に海外から選手や関係者を入国させるなんて日本ではデルタ株の恐ろしさに対する認識が不足している」「インドネシアの今の惨状と同じことがオリンピック後の日本で起こる」という声が上がりました。

特にインドネシアでは医療従事者が亡くなるケースが多くて、医療従事者10万人が感染したなかで1,000人近くも亡くなっており、もしやデルタ株が日本で蔓延したら同じことが起こるんじゃなかろうかと心配しましたが、幸いにもインドネシアのように死亡者数が激増することはありませんでした。

コロナ感染が広がりだした2020年4月頃から感じていたことですが、インドネシアでも高齢者や基礎疾患を持つ人、肥満気味の人が亡くなるという傾向が強いのは日本と同じとはいえ、20代から50代までの比較的若い人の死亡例が多く見られ、これが食生活の違いなのか、気候の問題なのか、民族の遺伝子的な問題なのか、理由がよく分かりませんでした。

考えられる仮説の一つとしてHLA-A24という細胞性免疫の有無が影響しているというものがありました。

医療関係者の死者累計数もインドネシアは1000人近くに達しているのは、医療環境の違いもあるのでしょうが、やはりHLA-A24という細胞性免疫の有無が影響しているのでしょうか。デルタ株には無効という話もありましたが、それなりに有効なのかもと思うようになりました。

体内に侵入した新型コロナウイルスを認識したHLA-A24が、細胞性免疫機構に働きかけてウイルスを攻撃するという話なのですが、日本人が新型コロナに感染しにくい理由として言われてきたファクターX(自然免疫と言われるもの)が、日本人の6割が保有していると言われるHLA-A24そのものなのではないかということです。

当時、インドネシアで日本人が気軽に受けられるワクチンが、デルタ株に対する有効性が疑われているシノパックしかない状況では、3回目の追加免疫(ブースター)やアストラゼネカとの組み合わせ接種(安全性は未確認)で、体内の免疫システムにウィルスをしっかり記憶させて、ウィルスが侵入してきたときに、その記憶を頼りに攻撃する抗体をより多く作り出すしかないのかもしれません。

コロナで日本人駐在員の一時帰国決定56%の衝撃

日本政府による邦人保護の観点からの官民連携事業により、2021年7月21日のANAジャカルタ発成田行き特別便運航以来、連日のように特別便が出ましたが、インドネシア入国管理局によると7月3日~8月12日の間にスカルノハッタ空港から出国した外国人25,932人のうち、最も多かったのは日本人4,373人とのことです。

8月1日から成田空港と羽田空港の特設会場にて在外邦人向けのワクチン接種プログラムが開始されたことが、一時帰国ラッシュを加速させた要因であるわけですが、ジャカルタ・ブカシ・カラワンを中心とした日系企業を主要顧客とする事業会社や弊社のようなサービス会社は、日々の営業活動に大きな影響を受けました。

ジェトロの調査によると「駐在員の一時帰国を決定しているか」との設問に対して55.9%が「既に決定している」と回答し、「検討中」を含めると、82.7%が一時帰国に向けて対応中とのことでしたが、このような状況下でトークスクリプトに従って機械的に「現在ご利用中の社内システムはありますか」とか電話口で質問されても全く心に響かないだろうことは容易に想像できました。

インドネシアは、原則として全ての外国人に対して、インドネシア入国に際して必要回数の接種が完了していることを示す接種証明書を提示しなくてはならないとしていましたが、8月11日に発表された政府通達の中では、外国人のうち12歳から17歳までの者、一時滞在許可(KITAS)・定住許可(KITAP)保持者でワクチン未接種の者は、入国にあたりワクチン接種証明書を提示する必要はないが、その場合は入国後2回目のPCR検査で陰性が確認された後に、隔離施設において、1回目のワクチン接種を実施しなければならないとされました。

それ以前は、インドネシアでシノパックを1回目だけ接種した後に日本に一時帰国した場合、日本でファイザーやモデルナとの混合接種が可能かどうかが不明確であるため、仮に日本で接種出来ない場合はインドネシア入国時に接種証明書を提示できずに入国できないという問題がありましたが、この措置で日本でワクチンを打つことなくインドネシアに帰ってくることが可能となりました。

新型コロナウィルス感染者・死者ともに激減中

インドネシアで当時のジョコウィ大統領がワクチン接種第一号として接種キャンペーンが始まったのが2021年1月13日で、9月20日で1回目の接種率が約30%、2回目以上が約16%と接種率はさほど高くはないものの、新規感染者数と死者数はV字下降で改善しました。

REUTERSより

全人口のうち高い比率でウィルスに感染してしまったので獲得免疫が抗体を作っているという面もあるかと思いますが、この結果はインドネシア保健省の努力が実を結んだものと好意的に受け止めていいと思います。


2021年9月時点でインドネシア入国後に政府指定のホテルにて8日間隔離を含め到着日から14日間の自主隔離が推奨されていた状況ですが、以降はPCR検査陰性証明書とワクチン接種証明書を条件として隔離期間が短縮されていきました。

2021年9月20日、PPKM(レベル4活動制限)のジャワ島・バリ島で10月4日まで2週間延長が決定されましたが、最高危険度のレベル4地域はなくなり、モールへの12歳以下の子供の入館、映画やサッカーその他イベントの開催が段階的に許可されていきました。

Living Plazaでワクチン接種やっている。

一般企業の経済活動では、必須分野(esensial)または重要分野(kritikal)に該当しない業種でも出勤率25%まで認められるようになりましたが、出勤できるのはワクチン接種済みの従業員のみで、ワクチン接種管理用アプリPeduliLindungiによるスクリーニングが義務付けられました。

日本大使館主導の在留邦人向けワクチン接種

2021年7月下旬から日本政府主導の一時帰国のための特別便が手配されるようになると、一般企業の駐在員によるワクチン接種のための一時帰国ラッシュが始まりましたが、私のような自営業者やインドネシアで結婚し配偶者として滞在されている方々には、ワクチン接種の機会を設定してくれる後ろ盾がないため、当地で自力で接種するしかありません。

インドネシア保健省が頑張って接種率を上げようという中、当地に住まわせてもらっている外国人という立場上、すぐにでも接種して一刻も早いコロナ収束に協力しようという気持ちは強かったのですが、意外と接種できる会場を見つけるのに苦労しました。

診療アプリHaloDocで何度か予約を入れてみたものの、数分後に「要件を満たしていない(KTPがない)」という理由でキャンセルされるし、なんとか予約が入ったと喜んでジャカルタの会場まで行ってみたものの「ごめんなさい、インドネシア人オンリーです」と断られるし、なんだかワクチン接種を推奨しながらも外国人の接種がウェルカムじゃないような雰囲気に嫌気が差し、もう別に打たなくてもいいやと思い始めていた矢先に、日本大使館主導の在留邦人向けワクチン接種の案内メールが来ました。

場所は北ジャカルタのタンジュンプリオク港湾検疫と結構遠かったのですが、なにせ日本大使館のお墨付きなので、一般接種で混雑するインドネシア人に気後れすることなく外国人として堂々とアストラゼネカ社製ワクチンの接種ができました。

正直なところ長年に渡って、インドネシア在住日本人にとっての日本大使館の対応は、決して満足のいくものとは言えなかったと思うのですが、最近のインドネシア政府発表に関する日本語による迅速な情報提供、一時帰国のための特別便の手配などで、大きく心象が改善しているように感じます。

そしてワクチン接種実現に際しても、日本大使館関係者によるインドネシア政府関係者との交渉などのご苦労ご尽力があったものと推測され、深く感謝申し上げる次第です。