ラブラドール犬の遺伝子には色(黒・茶)と濃淡の2種類の対立形質の遺伝子があり、子には優勢の遺伝子の特徴が現れるのが優性の法則で、子に現れなかった劣勢遺伝が孫に分離して現れるのが分離の法則です。異なる対立形質の遺伝子の組み合わせが孫に現れるのが独立の法則です。 インドネシアの生活 ネットで何でも情報は収集できる時代ですが、他人からの情報は基本的に点でしかなく、点と点を繋げることは自分の頭の中でしかできません。また新しいアイデアを生み出したり複雑なことを考えるためには、過去の経験に基づく知識が頭に記憶されている必要があります。 続きを見る
バリ島でのラブラドールレトリバーとの思い出
先日自分は犬派であることをここでカミングアウト(おおげさ)したばかりですが、最大の理由は犬は喜怒哀楽が人間に近く、何を考えているか判りやすいところです。
猫派の人が聞いたら怒られるかもしれませんが、自分が1年間西ブカシの家で野良猫と半同棲生活をおくった結果として、猫は怒りはすれど笑わないという結論に至りました。犬を飼ったことがない人は判らないかもしれませんが犬って笑うんです。
今は真面目にインドネシアの日系製造業様の業務システム導入の仕事をしておりますが、12年前まではバリ島でサーファー風に肩まで髪を伸ばして、TOYOTAの4Lエンジンのジープに乗って、パサールブルン(鳥市場)にアロワナの餌となるカエルやコオロギなどの生餌を買いに行くのが日課、という今考えるとよく生活できていたものだと自分で感心するくらいグータラな生活を送っておりました。
ジャカルタからバリ島に引っ越した2001年は「盲導犬クイールの一生」が映画化され、ラブラドールレトリバーの賢さや人懐っこさ、従順さが話題となった年であり、犬の唾液を忌避するイスラム教が主流のジャカルタから、犬に対して抵抗のないヒンドゥー教文化のバリ島に来たことを機会に、話題沸騰のクイールと同じ黄ラブの子犬を購入しました。ちなみに犬を飼うのはこれが初めてです。
バリ島にはペットショップがたくさんあって、血統証付きのラブラドールレトリバーの子犬が、2001年当時で4.5juta、ゴールデンレトリバーが5.5jutaくらいで販売されており「バリ島で家具ビジネスで一旗あげたる」と息巻いていた自分は「これは商売になる、一回で8~10匹子供生むのなら40juta以上の売上が見込めるではないか」と浅はかな皮算用をしてしまい、実際のところ餌代や各種栄養剤、予防注射や病気の治療代などで、とても元が取れるビジネスでないことに気づくのは5年後くらいの話です。
犬全般に言えることかもしれませんが、実際に飼ってみると確かに犬は喜怒哀楽の表現が明確で、こっちが優しく呼ぶと目の前まで近づいてきて、正面で舌を出してたままハァハァしながら「エーなになに」といった表情で見つめてきますが、留守中に家具をかじるなどのいたずらが発覚したとき、怒気を含んで「こっち来い」と命令すると、手前2mくらいで口を閉じたままお座りし、うつむいたまま目線を合わせようとしません。
ラブラドールレトリバーは前評判どおり知能の高さは感じられましたが、その知能があらぬ方向に発揮されることで、こっちが夜寝ている間に英和辞書とか出荷直前の家具とかをかじりまくって、仕事に甚大な影響を及ぼすまでに至ったため、室内に監視カメラを設置して、寝室から犬がデスクに登って、いざイタズラせんという現行犯のタイミングで扉を開けて「コラッ」とびっくりさせて、パニックに陥った犬達を見てゲラゲラ笑って楽しんでおりました。
かかりつけのドクターから「この黄ラブは警察犬になれる素養がある」とおだてられるままに、麻薬捜査犬の訓練を受けさせることになり、週に2日地元警察署のK9(ケーナイン=ラテン語のcanine 犬)担当の訓練士がやってくるわけですが、最初はプロの訓練士が来るのを楽しみにしていた黄ラブも、そのうち家から500mくらい離れた広場から訓練中に脱走してきて、家のドアを「開けてー」と言わんばかりにガリガリ引っかいていた姿を見たときは少し心が痛みました。
最終的にうちの黄ラブは「麻薬捜査犬の素養なし」という判断を下され、訓練を中止されたわけですが、このままつらい訓練受けさせるのもかわいそうだし、話によると麻薬捜査犬として数年お勤めを果たした犬は、例外なく麻薬中毒を患うことで短命になるということでしたので、うちの黄ラブにとっては失格して良かったと思っています。
デンパサールに3年、バトゥブラン3年半の計6年半のバリ島での犬達との生活の間に、最初は黄ラブ1匹で十分だと思っていたのに、友達がいないのもかわいそうなどと勝手な理由をつけて、あっという間に黒ラブ2匹、茶ラブ1匹を迎え入れてしまい、食欲旺盛なラブラドール犬計4頭飼いの生活では、人間の食費を犬の餌代が上回るという我が家の家計は火の車になりました。
メンデルの法則に従うラブラドール犬の色の遺伝
当時うちにいた黄ラブ、黒ラブ、茶ラブのうち、メスの茶ラブは大腿骨に遺伝性の疾患があることが判明し、生まれてくる子犬に遺伝する可能性があり、かわいそうなので繁殖はあきらめ、早々に避妊手術しました。そしてオスの黄ラブとメスの黒ラブの間に、黄6匹黒2匹の計8匹の子犬が生まれました。
ラブラドール犬の遺伝子には①色調「B(黒)またはc(茶)」と②濃淡「D(濃)またはt(薄)」の2種類の対立形質(優性と劣勢の関係にある異なる形質)としての遺伝子があるので、遺伝子の組み合わせはオスメスともに「B(黒)D(濃)」「B(黒)t(薄)」「c(茶)D(濃)」「c(茶)t(薄)」の4パターンになります。
この2種類の遺伝子の中で、①色調の遺伝子B(黒)はt(薄)に対して優勢であり、②濃淡の遺伝子D(濃)はt(薄)に対して優勢であり、子犬には優勢の遺伝子が持つ特徴が現れることを優性の法則といい、上表のような色パターンの子犬が生まれてきます。
そうなると黒ラブの子犬は優性の法則からみんな黒ラブになりそうなものですが、うちの場合は、B(黒)t(薄)またはb(茶)t(薄)のオスの黄ラブと、B(黒)D(濃)のメスの黒ラブから黄6匹、黒2匹の子供が生まれましたので、両親から受け継いだ優性の遺伝子の組み合わせ以外にも、色を決める法則が別にあることになります。
生まれてくる子犬の遺伝子の組み合わせと外観の色
オス \ メス | B(黒)D(濃) | B(黒)t(薄) | c(茶)D(濃) | c(茶)t(薄) |
B(黒)D(濃) | BBDD(BD) | BBDt(BD | BcDD(BD) | BcDt(BD) |
B(黒)t(薄) | BBDt(BD) | BBtt(Bt) | BcDt(BD) | Bctt(Bt) |
c(茶)D(濃) | BcDD(BD) | BcDt(BD) | ccDD(cD) | ccDt(cD) |
c(茶)t(薄) | BcDt(BD) | Bctt(Bt) | ccDt(cD) | cctt(ct) |
それはもう一世代前のおじいちゃん犬とおばあちゃん犬の遺伝子の影響がこれらの子犬の色に影響しているということであり、親である黒ラブが色調の優性遺伝Bと濃淡の優性遺伝Dを持っているにもかかわらず、黄色い子犬が6匹も生まれてきたということは「おじいちゃん犬とおばあちゃん犬の世代の劣勢t(薄)と劣勢c(茶)が、第一世代の黒ラブと黄ラブに現れなかったにもかかわらず、第二世代の子犬に分離して現れた」ということです。
黒ラブの子犬が全部黒になるとは限らない
このように第一世代で現れなかった劣勢遺伝が第二世代に分離して現れることを分離の法則といい、優性の法則と同じく優性と劣勢の1つの対立形成についての法則です。
そしてメンデルの法則にはもう一つ、異なる対立形質がそれぞれの遺伝子の組み合わせで、子の第一世代ではなく孫である第二世代に出てくる独立の法則というのがありますが、ラブラドール犬の色調と濃淡という対立形質内の優性遺伝と劣勢遺伝が、どう組み合わさって2匹の黒と6匹の黄の子犬という結果になったのかは、当時の血統証があればトレースできるかもしれませんが、ジャカルタに引っ越す前に里親に渡してしまった今となっては判りません。
黄ラブが家に来てから5年目にして2匹の黒と6匹の黄の子犬を授かったわけで、早速「1匹4jutaで売ったら32jutaの売上になるわ」などと、またしても下衆い金勘定をしてしまいましたが、その後の餌代、ミルク代、予防注射や皮膚病の治療代、血統証の登録などで、そんな皮算用は雲消霧散することになります。
ジャカルタへの撤退に際して犬との別れ
2005年頃から、日本ではホームセンターやIKEAにあるような実用性が高く安価な家具の需要が増え、当時自分達が扱っていた高品質のチーク材やマホガニー材を使ったインドネシア家具が売れなくなりつつあることは薄々感じられていましたので、このままバリ島に居残っても先細りするだけだと考え、思い切ってジャカルタに撤退することを決断しました。
当時バトゥブランの自宅の大型水槽には、体長50cm前後のアロワナの紅尾金龍(ゴールデンレッド)が11匹も泳いでいるという、さながら水族館のような様相でしたが、新聞に「アロワナ売りたし」の広告を出すと、毎日のようにコレクターが魚を見にやって来て、最終的には250cmの水槽ごと一式、コレクターが大枚叩いてピックアップトラックで引き取っていきました。バリ島にはアクアリストが多いのです。
そしてジャカルタのアパートに大型犬を連れていくわけにもいかないので、かかりつけの獣医に「引っ越すので犬の里親を探している」と伝えたところ、その日のうちに知らない人からの電話が引っ切りなしにかかってきて参りましたが、一番優しそうで経済的に豊かそうな中華系の若いビジネスオーナーさんに里親になってもらいました。やはり血統証があったことが里親さんに信用してもらう上で役立ったと思います。
この方には4匹のうち3匹を引きとってもらったのですが、最後の別れの時に犬達も事情を察して少しは寂しがるのかと思いきや、散歩にでも連れて行ってもらえるのかと勘違いしているのか、興奮してBOXトラックに自分から飛び乗って、あっけなく行ってしまいました。そして引っ越す直前まで、最後の黒ラブを一匹だけ自宅に残していたのですが、何を思ったのかいつもは殺すだけで決して食べるまではしなかった、まだら模様の毒ヘビを飲み込んでしまい、あっという間に絶命してしまいました。現実が受け入れられないまま、マンゴーの木の下に巨大な穴を掘って埋葬する作業はさすがに精神的に堪えました。
ジャカルタに引っ越してからも、ときどき里親さんに引き取ってもらった黄ラブと黒ラブと茶ラブの3匹のその後について気になりますが、生きていれば15歳~17歳、さすがにもう生きてはいないかもしれませんが、西ブカシの自宅前に住みついている笑わない野良猫と戯れていると、彼らの笑顔が懐かしく思い出されます。