インドネシアのビル火災現場で感じた廃墟の美しさ

2016/08/22

ジャカルタのタムリン通り

すべては時代の流れとともに栄枯盛衰をとげますが、廃墟はかつて栄えていた場所が衰退した状態であり、栄光とのギャップが大きければ大きいほど、廃墟を目の前にしたときに思い巡らすかつての活気との対比で、諸行無常をより強く感じるからです。

Thamrin通りのKosgoroビル

ジャカルタのド真ん中、Thamrin通りの午後の渋滞がいつもにも増して暑苦しく、地下鉄MRT工事のクレーン車と資材が雑然と置かれている分、秋篠宮ご夫妻が宿泊された旧日航ホテルの新館を引き継ぐプルマンホテル外観の白が一層映えて美しく、インドネシア人のgengsi(見栄)を集約したようなプラザインドネシアのルイヴィトンの高級感溢れるロゴが、一層洗練されて見えます。

向かって右手後方に見える16階から上が真っ黒焦げのコスゴロ(Kosgoro)ビルだけ「時間が止まった感」が際立っていますが、今日の午後約1年ぶりに7階オフィスのデスクに残してきた荷物を取りに、廃墟と化したビルに潜入してきました。

火災の原因についてはいろんなゴシップが流れていますが、現在のビル管理会社の担当者の話では、当時16階のペントリー付近から焦げ臭いニオイが立ちこみはじめ、セキュリティが駆けつけたときには既に煙がもうもうと立ち込めて、手のつけようがなかったそうです。

「鎮火まで13時間かかったのはアジア新記録だ」と誰もうらやましがらない自慢をしていましたが、火事で封鎖された後もビル管理会社は地下駐車場の仮設オフィスにて、各関係省庁への対応、テナントが残した荷物の管理、債権債務の管理等の残務処理は続いていくわけで、残されたビル管理会社の社員、警備員、掃除のおばちゃん等への給料の支払いは続きます。

しかしながら収入はなくても費用だけかさむ状態をキープするための予算も今年10月一杯まで尽きてしまい、それ以降はいつ取り壊し作業が開始されるか、ビル管理会社ですら知らされていないとのこと、すべては政治的に雲の上で知らないうちに話は進んでいくようです。

当初は数百ミリアル(数十億円)かけて改装する方向だったのが、改装して再開したところで政府からの営業許可は10年しか得られないということでは、到底回収不可能であるため、このタイミングで取り壊して40階建てのビルを建設する構想があるようです。

廃墟が恐ろしくも美しい理由

3機あるエレベータも2つは既に取り外され吹き抜け状態であり、デスクやキャビネットなどの大きな荷物を降ろすために、1機だけかご室がつるされている状態ですが、当然ながら電気は来ていないので、かご室の上げ下げは人力作業になります。

時間が止まった室内

時間が止まった室内

封鎖されたビルの内部に潜入してみると判りますが、黒焦げの外観から想像する以上に、薄暗い室内に残されたデスクの上に放置された書類や、ペントリーの棚に置かれたままの食器やグラスからは、人間の活動の痕跡が生々しく感じられます。2015年3月10日で完全に時間がストップしているとはいえ、電気さえ通じて半日ほど掃除と片付けをすれば、すぐに火災前と同じようにオフィスとして使えるんじゃなかろうかとすら思えます。

二度と再現できない崩壊の過程、現在のオフィスで動的に感じられる活気と同じものが、廃ビルの中では痕跡として静的に感じられるところが、廃墟の恐ろしさでもあり美しさでもあるのかもしれません。

一通り自分の荷物は取り出したので、このビルに足を踏み入れることはもはやないと思われますが、思い入れのある建物だけに、これからどんな風に取り壊されていくのかは非常に気になります。

(2020年9月追記)
Kosgoroビルは既に解体済みでした。

Kosgoroビルはいつの間にか取り壊されていました。対面の日本大使館の警備員によるとほんの最近の出来事だったとのこと。