「地頭が良い」とは経験や知識に依存せず頭の回転で乗り切る流動性知能が高い人を指しますが、それに該当しない自分は蓄積された知識が有機的に(多くの部分が緊密な連関をもちながら全体を形作っているさま)連携されている結晶性知能が高い状態を目指す。
人間が頭を使ってモノを考えるという行為がなくならない限り、常に頭の中を整理して、複雑な思考に備えたり新しいアイデアを生み出そうとする準備は必要で、新しい知識かと思ってもだいたいは過去に一度覚えて忘れていたとか、前の知識の応用編である場合がほとんどなんですが、必要なときににスッと出てこないと知らないのと同じで、ググればだいたいの知識は出てくるからというのは、翻訳機があるから英語はいらんというのと一緒です。
インドネシアで日々入ってくる情報とそれを裏付ける実体験という点を線で繋げることでコンテキスト(背景)として理解しておくことで、次に入ってくる情報や実体験の時に、突然降りてくる第一感(理屈ではなく一番最初に直感的に思うこと)を受け止めることで、より速くより深い理解が出来るようにするためです。
ネットで何でも情報は収集できる時代ですが、他人からの情報は基本的に点でしかなく、コネクティングドット(点と点を繋げること)により頭の中の知識を体系化しておくことは、自分がより複雑なことを考えたり発案するために役立つだけでなく、WEB上で誰かの目に止まり何らかの役に立つことで、会社のブランド認知度を高めるというマーケティング活動に繋がっています。
人間が頭を使ってモノを考えるという行為がなくならない限り、常に頭の中を整理して、複雑な思考に備えたり新しいアイデアを生み出そうとする準備は必要です。
フェルミ推定は限られた情報から概算すること、メタ推理は手元にある情報のみからより高次の情報(メタ情報)を材料として推理を行うことですが、限られた情報から表面的には見えない背景を考察してなんらかの仮説を構築しながら次の展開を予測することで、そのためにも過去の知識を体系化して文章化することに意義があるのです。
①インドネシア ├②心の平安 | └③脳の動き | └④宗教 └⑤ビジネス ├⑥ことわざ・物語 └⑦一般教養
①インドネシア
多様性の中の統一 ├❶唯一神への信仰 | ├あきらめる民族(帰納的 ボトムアップ) | | ├ikhlasの精神(見返りを求めない心・不幸を受け入れ怒りや執着を手放す心) | | └生きるも死ぬも神の手の中 | | └人生の目的は活動範囲内での幸福指数の最大化 | | └rejeki(神の思し召し) | └後悔する民族(演繹的 トップダウン) | └人間の行動は脳の働きの結果 ├❷公正で文化的な人道主義 | ├寄付文化(ゴトンロヨン・ザカート) | └政宗分離(イスラム法を道徳的規範とするも国家運営は議会立法に基づく) ├❸インドネシアの統一 | └ムラユ語 | └英蘭条約(1824年) ├❹合議制(全会一致または多数決)と代議制(DPR国民議会)による英知に導かれた民主主義 | ├民主共和制(国家元首を国民や議会が決定) | | └立憲君主制(国家元首は世襲) | └ムシャワラ(合議制)とムファカット(全会一致) | └幸福と調和を重視する思考が行動や気質に現れる | └ユートピア志向(インドネシア共産党) | └9月30日事変(スハルト) | ├反共産主義 | | ├共産党の裏切り博物館 | | └中華系差別 | | └konghucu(儒教)の復活 | └開発独裁(外資導入と外国援助) | └ハビビ-政党法/選挙法 | └グスドゥール-自由政党選挙 | └メガワティ-三権分立(行政:大統領 司法:最高裁判所MA=Mahkamah Agung 立法:国民議会DPR=Dewan Perwakilan Rakyat) | └SBY-直接選挙 | └ジョコウィ-工業化/川下化 └❺全インドネシア国民に対する社会的公正
中世(5世紀~15世紀) ├スマトラ │ └スリウィジャヤ王朝 └中部ジャワ ├シャイレーンドラ王朝(ボロブドゥール) │ └回廊-浮彫図(釈迦が菩提樹の下で悟りを開くまでの生涯)-観仏供養(手を合わせることで心を清める) └マタラム王朝(プランバナン) ├ラーマヤナ・マハーバーラタ └クディリ王朝(ダルマワンサ王) └マジャパヒト王朝(ウィジャヤ)-(宰相ガジャマダ・ハヤムウルック王) 近代(15世紀~終戦) └新マタラム王朝(スノパティ) ├スルタン(ジョクジャ) │ └ジャワ戦争(ディポヌゴロ王子) └ススフナン(スラカルタ) 北スマトラ ├アチェ王国(イスカンダル・ムダ) │ └アチェ戦争(パンリマポレム・トゥク・ウマール) ├バタック(シ・シンガ・マンガラジャ) └ミナンカバウ(イマム・ボンジョル) 現代(戦後) └独立戦争(タムリン・スディルマン) └郷土義勇軍(PETA) └9月30日事件(アフマッド・ヤニ)
②心の平安
①心の平安を保つ方法❶眠れないとき❷他人と比べて気分が落ち込むとき❸攻撃的な態度を取られたとき❹理不尽な状況に追い込まれた時 └②喧嘩は怒った時点で負け └③謙虚さ❶言い訳しない❷自慢しない❸批判しない
③脳の働き
脳内伝達物質 ├認知能力 | └肺細胞-酸素 | └筋肉細胞-ミトコンドリア | ├エネルギー | └活性酸素 | └抗酸化能力 | └睡眠 └ストレス(脳内伝達物質の分泌異常) ├適応障害・うつ病(感情や行動を制御できない状態) ├依存症(行為依存・物質依存)-報酬系 └不眠・疲労(筋肉に活性酸素が滞留し血液の流れが悪くなり新陳代謝が低下) └抗酸化能力低下 └運動不足 ├ADL └柔軟性不足
④宗教
断捨離(ヒンドゥ教ヨガの修行) ├❶三業(禅の修行) | ├1⃣執着 | | ├Ikhlasの精神(見返りを求めない心・不幸を受け入れ執着や怨みを手放す心) | | ├人間万事塞翁が馬(人生の吉凶や禍福は転変きわまりなく予測できないので、目先の出来事に一喜一憂せず長期的な視点で物事を見るべき) | | └悟りの境地(解脱) | | ├諸行無常 | | | └平家物語 | | | ├琵琶法師によって弾き語られた作者不明の物語 | | | ├インドの祇園精舎(お釈迦様が説法を行った場所)の鐘の音 | | | └絶えず変化する世の中の無常を説いた仏教観 | | ├諸法無我 | | └涅槃寂静 | └2⃣煩悩 | ├人間は犬や猫とは違って生きている意味を考える生き物 | ├怨みは怨みによって果たされず、忍を行じてのみ、よく怨みを解くことを得る。 | └お坊さん・心療内科は心を救う仕事 ├❷山川草木悉皆成仏(万物に仏性が宿る 神道との融合) | └八百万の神-黄泉の国 | └天照大神-天岩戸 | └神武天皇 └❸先祖を供養し現世で命を授かったことに感謝(地球誕生から48億年・生命体誕生から38億年) ├1⃣超自然的な創造者(神)を仮定しない | ├キリスト教では現世での罪(神の戒めに背く行為全般)を神に対して贖罪するために生きる。 | | ├贖罪出来た者が天国の主の元へ帰りそれ以外は地獄へ行く(地獄行きが分かっていれば自殺できない) | | ├天寿を全うすることが正しい(自殺や安楽死はNG 尊厳死OK) | | ├無宗教=現世で何をすれば天国に帰れるのかを知らないで過ごすなんてあり得ない・現世でやりたい放題 | | ├人間を造った超越した存在で会うことはできないが感じることは可能(デカルトの方法序説にある神の存在証明) | | └行動の全ては『命の手帳』の記載どおり | └輪廻転生(六道)し解脱すると涅槃へ └2⃣世界や生命は『原因と条件の連鎖』(執着を捨て解脱を追求する世界観なので唯物論ではない) └唯物論 └マルクス・エンゲルス主義(理論 弁証法的唯物論) └マルクス・レーニン主義(実践 プロレタリアートvsブルジョアジー間の階級闘争による革命) ├テーゼ:資本主義社会では資本家が生産手段と生産力を独占 | └生産様式が変われば原因と条件の連鎖による有機的結びつきである社会体制も変わるのが必然(マルクス唯物論 哲学) ├アンチテーゼ:労働者階級と資本家階級との間での階級闘争という矛盾 └ジンテーゼ:資本主義から社会主義を経て共産主義へ移行 ├矛盾したものが対立を通して発展し理想にまた一歩近づく(ヘーゲル弁証法 レトリック) └社会主義(資本の私有を禁止し中央の機関が計画し配分) ├共産主義(階級も国家もないユートピア社会) | ├新左翼(中核派・革マル派・赤軍派) | | ├暴力革命(資本主義や社会主義を批判・打倒天皇制) | | └学生運動(全共闘)・三里塚闘争・浅間山荘事件(連合赤軍) | └日本赤軍(よど号ハイジャック・テルアビブ空港乱射・ダッカ日航機ハイジャック) ├独裁政権・政治の腐敗・経済の停滞 └混ぜるな危険!哲学がイデオロギーとなり一党独裁を正当化
アダムとイブ(エデンの東へ追放) ├カイン・アベル(農夫のカインが羊飼いのアベルを殺害) └セト └ノア(方舟) └アブラハム(預言者) └イサク(犠牲祭)
⑤ビジネス
企業理念 ├❶ブランディング-コンセプトワーク │ └見えないKPI │ ├中華系-代理店志向(ブランド) │ ├日本人-モノづくり志向(技術) │ └インドネシア人-商人志向(資金) └❷ビジネスモデル ├1⃣事業計画 │ ├相対的優位性(競争力) │ │ ├人間の価値はどれだけ他人に役に立てるか │ │ ├他人が出来ないことが出来たり他人よりも物知りであることが価値になる │ │ └本業(実業)でしか身につかない │ └『事業計画を立てて数字に管理される仕組み』vs『目の前の課題に向き合う』 ├2⃣インドネシアビジネス │ ├進出よりも継続が難しい(CIFが高い・ローカル市場での人脈・許認可に時間がかかる) │ ├情報と物流の格差縮小 │ └B2Bマーケティング │ ├広告で顕在層を刈り取りながらアウトバウンドで潜在層にアタック │ └B2B高単価商材には潜在層が少なく顕在層のコンペのタイミングに合わせる営業という偶発的な要素に依存 └3⃣Web based Business(自分はいかに生きるか) ├①ブログによる露出戦略(受託ビジネスは過去の経験と知識の蓄積の上に成立する) │ ├第一想起(政治家が地元の選挙区の駅前でミカン箱の上に立って政策を訴える) │ │ └インドネシア生活を投射したリアリティ(プロダクトアウトとマーケットインのバランス) │ └錯覚資産(孔雀やインコが羽を広げて自分を大きく見せるのと同じ) │ └横の繋がり └②逆張り(ブルーオーシャン) └ランチェスター戦略(一点突破・ニッチ・フットワーク) ├相手のためなら自分の時間はいくらでも費やすというメンタル・面倒なこと嫌なことをやることに価値がある └実績というオフバランスの評価価値
⑥ことわざ/物語
- 乾坤一擲の大勝負 運を天にまかせて、のるかそるかの大勝負をすること。
- 当て擦り(Aを非難する振りしてBを批判する)指桑罵槐(しそうばかい):クワを指しつつ、槐(えんじゅ)の悪口 鶏を叩いて犬を叱る(鶏が可哀そう)李克強元首相追悼デモが実は習近平に対する批判
- 牝鶏の晨するは亡国の音(ひんけいのあしたするはぼうこくのいん)朝のコケコッコーは雄鳥の仕事。それを雌鳥が出しゃばるようなところの家運は危うい。
- 三つ子の魂百まで(幼時に表れた性質は、いくつになっても変わらない。)
- 三力加持(さんりきかじ)困難を乗り越えるためには自分の努力と周囲の助けと仏様の力の3つが揃う必要があるという仏教の教え
- 毒を飲んで渇きをいやす。(後の禍を顧みず急場しのぎに危険な手段を採る.)
- 自分が『山月記(中島敦)』の虎になっていないか自省(プライドが高すぎるが故に、人間の心を失い虎になってしまう)。
- すっぱい葡萄(イソップ寓話の『狐と葡萄』)的態度になっていないか自省、「あんな葡萄はどうせすっぱくて、まずいに決まっている」
- イソップ物語の『親子とロバ』で、市場にロバを売りに行く親子が「ロバに乗らずに歩くなんて馬鹿な」と言われては息子をロバに乗せ「子供が楽して親が歩くなんて」と言われては父親がロバ乗り「子供だけ歩かせてかわいそうだ」と言われては2人ともロバに乗り「痩せこけたロバがかわいそうだ」と言われては親子でロバを担ぎますが、自分の基準を持たずに周りの意見に流されると、しまいにはロバが暴れて川に落ちて死んでしまう。
- 智に働けば角が立つ。(理性ばかりで考えれば人との関係に角が立つ。)情に棹させば流される。(感情に流されれば自分を見失う。)意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
- 運命は偶然ではなく必然であり、その人の性格が決める。
- インドの寓話『群盲象を評す』 6人の盲人が象を触って、足は柱、尾は綱、鼻は木の枝、耳は扇、腹は壁、牙はパイプと答えたところ、王様は「君たちは6人は全員正しい。食い違っているのは君たちが象の異なる部分を触っているからであり、象は全ての特徴を備えている」
- 疾風(強い風)に勁草(強い草)を知る。
- 宮本武蔵が「一乗寺下り松の決闘」で吉岡剣法の清十郎と伝七郎の兄弟を倒した後、突然富士山の麓の坂東平野で農業を始めたのは、剣で人に勝って、自分に勝って、さらに人を生かすという理念の実践のため。
- 知らざるを知らずと為す是知るなり(論語)
⑦一般教養
- 対立形質(優性と劣勢の関係にある異なる形質)の表れ方、優勢の法則(子)・分離の法則(孫)・独立の法則(孫)
- 波長(1つの波の長さ)x周波数(1秒間に何回波が出来るか)=電波の速さ30万km/秒(地球7周半)
基本原則は『高周波=情報伝達量が多い』。但し短波放送は3~30Mhzの高周波数帯だが、規制によって割り当てられる実用上の帯域幅(bandwidth)が狭く、遠距離通信に特化されている。 - 真理を見出すための4つの規則 - 1 明証性の規則(明確なエビデンス 問題意識)2 分析の規則(モジュール分割 分析視角)3.総合の原則(簡単な問題から先 本論)4. 枚挙の規則(漏れがないか最終レビュー 総括)。
- 我が家は2200VAなので供給可能電力は『2200VAx0.6=1320W』であり、PLNから購入するトークンkWh(キロワットアワー)であり、50万ルピア分のトークンを購入する場合、Rp.500,000÷Rp.1440/kWh=346kWh分のトークンが得られ、これは我が家が1230Wフルで電気を使用し続けた場合、346,000W÷1230W=281時間(約12日間)利用できる。
- 日本的経営(終身雇用・年功序列・企業別組合)と護送船団方式の崩壊
- 椰子の実液中の電解質(溶けて電気を通す物質)と血漿(血液の液体成分 )のバランスは血液とほぼ同じであり、食中毒で体内の体液が減少し脱水状態になった場合、点滴で注入する輸液の代わりに椰子の実液が使える。抗菌性を持つラウリン酸と免疫性のあるサイトカインが含まれ、皮膚組織の維持(アンチエージング効果)や抗発癌性、抗血栓性(血液を凝固させない力)という効果がある。
■■■心の平安■■■
- ①悩み事で眠れないときは『いろいろ考える時間が出来てラッキー』『もうやりたいことを好きなだけやってきたのだから今死んでも(ただし地上に限る)悔いなし』寝不足になるという恐怖から逃れ、心が落ち着いて安心した結果として入眠できるかもしれないという宗教的なもの。②他人と比べて気分が落ち込むときは『今自分の生きたい生き方が出来ているのだから誰よりも恵まれている(自己肯定感)』と感謝する、『立って半畳寝て一畳、天下を取っても二合半』、『ものは考えよう』とは『自分はどう生きたいか』ということと同義。幸福とか富とかは決められたサイズのパイではなく、誰かに幸運が訪れたとしても自分に訪れる幸運の可能性が減るわけでも増えるわけでもなく、決して他人と椅子取りゲームをしているわけではない。③攻撃的な態度を取られたときは『譲れるものが人生の勝者』と言い聞かせる。④理不尽な状況に追い込まれたときは『損して得取れ』、動じない(坂の上の雲に登場する大山巌『なにごとでごわすか』)、保身しない、思うのも態度に出るのも仕方ないが絶対口に出さない (三業を鍛える)。
- 「喧嘩は怒った時点で負け」感情的になること自体がキャラに合わないので、相手の挑発に乗らず『譲れるものが最後には勝つ』と言い聞かせる。
- 謙虚さとは①批判しない②言い訳しない③自慢しないの3つを実践できること。「川の水が流れるように基本手技を反復」することが心の余裕の源泉となる。
- 思考と感情という二大要素を存分に生かして生きていく中で、感情に流されるのを制御できるのは思考しかなく、人間誰にでも平等に備わっている理性(デカルトの方法序説)を最大限働かせることにより、推論(仮説)を構築することができ、その確からしさを裏付けるのが、個人の場合は過去の経験になります。人間は弱い生き物ですから感情に支配されて感情の赴くままに意思決定したり行動したりするものですが、結果は得てして非合理的なものになりがちなので、相手の感情を汲み取りながらも自分は感情に流されない合理的な思考訓練が重要。
- 「人間にとって2番目に大切なものは何か」と問われたときの返答、「朝、希望をもって目覚め、昼は懸命に働き、夜は感謝と共に眠る」
- 過去は変えられないが、過去の捉え方は変えられるし、過去を変えたのと同じくらいの影響がある。
■■■脳の動き■■■
- 医学的大前提として人間の行動とは、脳の脳内伝達物質の分泌により認知能力が発揮されることで発生する。一つの文字をじっと見ていると、その文字全体でなくそれを構成する各部分に意識が向かってしまい、全体として(まとめて)とらえることができなくなってしまうことがある(『啓』の字)。脳内伝達物質の異常で認知能力低下を引き起こすゲシュタルト崩壊。
- 昼間の活動で肺細胞が空気中から酸素を取り込み、筋肉細胞がエネルギーを生産しながら排出した活性酸素が筋肉細胞を酸化させることで傷ついた状態にあり、これを抗酸化することで修復するのが睡眠の最大の目的で、抗酸化能力が筋肉細胞内のミトコンドリア(細胞内で酸素を取り込みエネルギーを生み出す)に伝達されることで疲れが取れる。
- 安定した精神状態下では人間の意志が必要だと判断した抗酸化能力が細胞内のミトコンドリアにうまく伝達され眠くなりますが、精神的なストレスを受けた場合には、活性酸素が大量に発生されすぎて、これを補うにはどれだけの抗酸化能力を発揮すればよいかがミトコンドリアにうまく伝達されなくなり不眠になる。不眠や体が重いとかだるいのは、細胞の抗酸化能力が低下して、筋肉に活性酸素が溜まっているのに放置されている状態であり、その結果として体の血液の流れが悪くなり新陳代謝機能が落ちてしまう。対処法としては「目を瞑って安静にさえしていれば、睡眠時ほどではないとしても、6掛けくらいで抗酸化作用は働いて酸化した筋肉細胞は修復されて疲れは取れる」と論理的に考えることで安心感が生まれいつの間にか眠れる。根本的には運動不足が原因であり、これを解消するのが筋肉や関節などの柔軟性である。運動不足は日常生活動作ADL(Activities-of-Daily-Living)を習慣化することで解消する。
- ストレスで脳内伝達物質が正常に出ないと適応障害やうつ病という状態になり、行動や感情をコントロール出来ない状態は脳の病気。パチンコや競馬などのギャンブルは行為依存(プロセス依存)と呼ばれ、アルコールや薬物の摂取によるものは物質依存と呼ばれますが、両者とも報酬系と呼ばれる脳の回路が刺激を求め、やがてより強い刺激を求めて摂取量・頻度が増加する点では同じ。深すぎる信仰心故に脳の働きが神にすがることでしか安心感が得られないという神(イエスキリスト)への依存症。
- オバマ元大統領から「外野からホームまでレーザービームのように一直線のボールが投げられる秘密は何なんだい?」と聞かれたときのイチロー選手の回答「柔軟な筋肉です。大きな筋肉は必要ありません」。ストレッチは直接的に精神の安定や神への帰依を目指すものではないとはいえ、血流の循環が活性化することにより、肉体的にも精神的にも心の安定を得られる効果がある。ストレッチを行い、心の平安を保つ方法を探求し、言語化(ブログ化)して頭の中を整理することは、禅の修行に通ずるものがある
- ヨガは、アサナ(身体能力を極限まで生かすポーズ)と呼吸法により、神に近づくためのヒンドゥ教の修行ですが、宗教から切り離されることによって、問題がある中でも、不安に振り回されない状態を保つ練習(心の筋トレ)である瞑想や、美容と健康の手段となったり、普遍の学問的原理である哲学に変化。
- 日本人は『脳が感情と思考をコントロールした結果である』という医学的大前提に基づき、演繹的(トップダウン)に個別の事象を理解するという意味で、『あの時こうしておけばよかった』と後悔する民族であり、インドネシア人は起こってしまった不幸な出来事は「Hidup mati di tangan Tuhan(生きるも死ぬも神の手の内)」という死生観の中で帰納的(ボトムアップ)に理解し、今置かれた環境の中でrejeki(神の思し召し)に感謝しながら生きていくしかないというあきらめる民族。
■■■宗教■■■
- 断捨離とは、ヒンドゥー教の修行であるヨガの「断行(だんぎょう)・捨行(しゃぎょう)・離行(りぎょう)」の頭文字を取ったもので、これが派生して仏教の修行である禅の中に「拘り(こだわり)を捨てる、執着を捨てる」という教えがあります。
- 仏教の修行である禅により、罪の根源である三業(さんごう)「言葉(口)と体(身)と心(意)」の三つを鍛えることで解脱し(煩悩や執着から逃れる=悟りを開く)即身成仏になる。
- 仏教の無執着は、人間万事塞翁が馬(一見、不運に思えたことが幸運につながったり、その逆だったりする、人生の出来事に一喜一憂すべきではない)、イスラムのikhlas精神(見返りを求めない心・不幸や試練を受け入れ怒りや怨みを手放す心)に近い。
- 「悟りの境地」とは「解脱してはじめて理解できる世の中の仕組み」のことで、それは世の中のものはすべて変化する(諸行無常)、世の中のものはすべて関係しあっている(諸法無我)、悟りの世界は穏やかである(涅槃寂静)ということ。
- 平家物語は琵琶法師によって弾き語られた作者不明の物語ですが、お釈迦様が説法を行ったインドの祇園精舎の鐘の音から絶えず変化する世の中の無常を説いた仏教観を説いています。
- 人間は犬や猫とは違って、生きている意味を考える生き物です。犬や猫は喜怒哀楽はあるけど自分が何のために生きているのかといったことは考えない、そこで人間の中には煩悩が生まれるが、これは仕方のないこと
- 怨みは怨みによって果たされず、忍を行じてのみ、よく怨みを解くことを得る。(法句経の第五章)。
- 昔お坊さんに「どうして自分を律することができないんでしょうか?」と聞いたことあります。「それが人間です、そういうことで悩むのが犬猫との違いです。私だって酒ばっかり飲んで堕落しています」と言われて心が救われましたが、この人は心を救うのが仕事で解決策を考える人ではないと気づきました。
- 医者は病気を治してくれるが心は救ってくれない。お坊さんや心療内科の仕事は心を救うこと。
- 仏教で神に該当する仏様(お釈迦様)とはキリスト教のようにすがる対象ではなくそうなろうと追求する対象
- 『山川草木悉皆成仏(さんせん そうもく しっかい じょうぶつ)』という日本仏教の中心思想は、この世のすべてのものが仏性を持ち成仏できるというもので、これは万物に神が宿るとする神道と融合して仏教が独自発展した歴史によるもので、生命が誕生して38億年の間、命を繋いできたご先祖様を供養し、現世で尊い命を授かったことに感謝することを説きます。
- 日本の神道は、太陽の女神である天照大神(天岩戸に引き籠った人で、子孫が初代天皇である神武天皇)を最高神として、山や川など自然界のすべてに宿っている八百万(やおよろず)の神から霊的スピリットを感じ取り、パワーを吸収しようとする土着信仰であり、人間は死ぬと死後の世界である黄泉の国(よみのくに)に行き、八百万の神の一員になる、ジャワのアニミズム(自然界のそれぞれのものに固有の霊が宿るという信仰)であるkejawenも同じような考え方です。
死は「逝く」もの?「帰る」もの?無宗教日本人がインドネシアで気づいた宗教の力
私見ですが仏教は『生命の進化の過程の結果として奇跡的にここに命が存在する』という生物学的根拠を元にして、この世に生まれてきた奇跡に感謝し、現世を一生懸命生きようという演繹的(トップダウン)な立場にあると言えます。
キリスト教も仏教も医者が患者を苦しみから解放させるために薬の投与で命を絶つ安楽死に否定的(自殺厳禁)で、延命治療を止めて痛み止めの処方のみを行い自然死を待つ尊厳死はやむを得ずという考えで一致しているのは、命は仏教的に38億年の歴史の中を脈々と受け継がれてきたものであれ、キリスト教的に神から現世で行うべきことを遂行するために与えられたものであれ、天寿を全うすることこそが正しい行いであることで一致しているからです。
キリスト教もイスラム教もイエスキリストまたはアッラーという唯一無二の神を信じ、死んだあとは天国の主の元に帰るか地獄に逝くかの二択であり、あの世に逝ってまた戻ってくる(逝くなら必ず帰るがあるはず)という仏教の輪廻転生という宗教観とは異なります。死んだあとの地獄逝きさえ回避できれば、この世で生きる上での死への不安が和らぎ、地獄逝きが判っていれば自殺はできないというのが、クリスチャン的見解です。
ちなみに仏教では天国か地獄かという二分法ではなく、天道(キリスト教的天国)・人間道(苦楽のあり)・修羅道(争いと戦いの世界)・畜生道(犬猫のように本能のままに生きる)・餓鬼道(飢えと苦しみ)・地獄道のいづれかに因果応報で生まれ変わり、最終的にこれら六道(ろくどう)から解脱し、涅槃に行くことが目標です。
インドネシア人が無宗教の私に「死ぬとき不安じゃないの?」と聞くのは「現世で何をすれば地獄じゃなく天国に帰れるのかを知らないで過ごすなんてあり得ない」「じゃあ現世で強盗でも何でもやりたい放題だね」と問いかけているわけで、イスラム教もキリスト教も天国に帰るか地獄に逝くかの審査は似たようなものだが、うちの嫁はんによると天国に行っても格差はあるとのことです。
キリスト教やイスラム教などの一神教では、神は人間を作った永遠で最高の超越した存在であり、人は神になれるはずも無く会うこともできないが、神は確かにいるということを感じとることはできる(デカルトの方法序説にある神の存在証明)、日本人にとって敬う対象である神様は、イスラム教徒やキリスト教徒のインドネシア人にとっては依存してもいい対象であり、この宗教観の違いは大きいと思います。
キリスト教では、神から何らかの役割を持たされてこの世に生を受けて誕生し死んだ後に主の元に帰るので現世では神に帰依する(頼みとして、その力にすがること)ことが普通です。自分の行動の全ては『命の手帳』の記載どおりに全うしているにすぎず、自分は神から何らかの教示を得た上で存在しているということを認識できるという帰納的(ボトムアップ)な立場にあると言えます。
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死は「逝く」もの?「帰る」もの?無宗教日本人がインドネシアで気づいた宗教の力
インドネシア人が無宗教の日本人に「死ぬとき不安じゃないの?」と聞くのは「現世で何をすれば地獄じゃなく天国に帰れるのかを知らないで過ごすなんてあり得ない」と言っているわけで、イスラム教もキリスト教も天国に帰るか地獄に逝くかの審査は似たようなものだが天国に行っても格差はあるとのことです。
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イスラエルの民の歴史である旧約聖書の創世記に記述されるノアの方舟
紀元前から存在したユダヤ教の旧約聖書は、イスラエルの民と民を裁き導く神との間に交わされた壮大なる物語の記録です。
創世記では、神は6日間で天地創造し土で作ったアダムに生命を与え、男一人ではかわいそうなので女のイヴを作りました。エデンの楽園の禁断の果実を蛇にそそのかされたイヴが食べた結果、恥じらいや猜疑心、怒り、嫉妬、悲しみなど様々な感情が生まれました。神は怒って蛇は這い回る呪われる存在とし、女性には産みの苦しみを与え、男には命を終えて土に返るまで、土を耕して食物を得る苦しみを与えました。アダムとイヴはエデンの東に追放され、カインとアベルとセトという子供を育てました。
神は地上の人間達があまりにも堕落し退廃的な生活を送っていることに見切りをつけ、大洪水で地上の人間どもを滅ぼしてしまうので、セトの子孫である神に選ばれし善人ノアに対して、妻と三人の息子とそれぞれの妻、そしてすべての動物のオスとメス一組ずつを乗せて、生還できるための方舟の建設を命じました。40日間昼夜問わず続いた洪水の後で、ノアの方舟はトルコのアララト山の山頂に止まり生還しました。
ノアの子孫が預言者アブラハムで神への忠誠心として息子であるイサクを生贄にささげようとしたことが犠牲祭となりました。
モーセはエジプトで迫害されていたイスラエル人を連れて脱出するも、エジプト軍に海に追い詰められたが海を割って渡りました。
ユダヤ教から500~600年後に派生してアラブの生活習慣が反映されたのがイスラム教であり、旧約聖書を自分の宗教に都合がいいように、新約聖書またはコーランとして書き換えたという意味でユダヤ人は新約聖書を認めていません。
イエス・キリストの誕生日の年を西暦0年として派生したのがキリスト教(カトリック)で、新約聖書ではイエスキリストの教えと生涯、弟子たちによる伝道活動などが記されています。
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イスラエルの民の歴史である旧約聖書の創世記に記述されるノアの方舟
弊社の社名に付くBAHTERAとの関連性を問われる鯖の押し寿司のバッテラは、ポルトガル語の小舟を意味するbateiraを語源とします。旧約聖書の創世記に記述されるノアの方舟はインドネシア語ではBahtera Nuhになり大きめの船のことをBAHTERAと呼びます。
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一神教と仏教における罪の違い|ラマダン・断捨離・禅の思想から考える
イスラム教やキリスト教はユダヤ教から派生した宗教であり、現世での罪を神に対して贖罪するという考え方が根底にあり、人間は神に対する罪人として贖罪のために生き、贖罪を果たしたものだけが天国へ行きます。
インドネシア語で「罪」という言葉は、神に対する罪は「dosa」で人に対する罪は「kesalahan」とか「kriminal」とか区別されるのに、日本語で「罪」という言葉は刑事犯罪の罪にも神の教えに反する罪にも使われるのはおかしいと言われたことがあります。
仏教や神道で神に許しを請うという概念がないため、日本語の「罪」という言葉は、相手が人であるか神であるか区別がありません。
供養するという場合、死者の霊に供え物をして、死者の冥福を祈ることを指しますが、浄土真宗での供養とは来世に対して行うのではなく、残されたこの世に生きる人を敬い、尊い命を授かったことに感謝するという、現世に対して行うものです。
断捨離とは、ヒンドゥー教の修行であるヨガの「断行(だんぎょう)・捨行(しゃぎょう)・離行(りぎょう)」の頭文字を取ったもので、これが派生して仏教の修行である禅の中に「拘り(こだわり)を捨てる、執着を捨てる」という教えがあります。
断捨離する対象はモノや故人そのものというよりも心の中にある執着であり、執着から解放され現世の大切なものと向き合うということは、これすなわち罪の根源である三業(さんごう)である言葉(口)と体(身)と心(意)を鍛える修行の一つです。
地球誕生から46億年前、そして生命体誕生から38億年、今ここにある自分の命は突然湧いて出てきたものではなく、脈々と受け継がれてきたものであるので歴史上非常に貴重で尊いものであるはずで、霊魂や創造神を前提とせず、世界や生命は『原因と条件の連鎖』で説明され、超自然的な創造者を仮定しない点では、仏教はマルクス・エンゲルスの根本思想である唯物論に似ていますが、執着を捨て解脱の道を追求するというのは仏教独自の異なる世界観です。
「人の命は地球より重い」とは1977年日本赤軍(リーダー 重信房子)によるダッカ日航機ハイジャック事件で、犯行グループが高額の身代金と日本で服役中の過激派を解放するよう要求した時に、時の福田赳夫首相が言った言葉であり、すべてのものを生きとし生けるものと拝むことができる日常こそ、一人の生命の重さを実感して生きることです。
私が東京の予備校に通っていた頃、1960年代の学生運動(日米安保条約改正に反対・ベトナム戦争に反対・大学の学費値上げや研究が軍事に利用されることへの反対)で全共闘(全学共闘会議)に属して、東大安田講堂事件で逮捕された経歴を持つという講師がいて、「海外でテロ組織に拉致されたら日本赤軍のリーダーの名前を出せば解放されるよ」ととんでもないことを予備校生に吹聴していましたが、学生運動で全共闘以外で主体となった中核派(革命的共産主義者同盟全国委員会)、革マル派(日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派)、赤軍派(連合赤軍の前身)などの日本共産党を源流とする新左翼と、1970年の『よど号ハイジャック事件』1972年の『テルアビブ空港乱射事件』1977年の『ダッカ日航機ハイジャック事件』を主導した国際テロ組織である日本赤軍は、思想的にも戦術的にも過激度合いが桁違いに異なります。
晴れて大学生となってから初のインド旅行中に、バラナシのゲストハウスで三里塚闘争(成田空港建設反対する農民運動に新左翼や学生運動が合流した反政府運動)に没入するあまり大学を8回留年したというお兄さんと出会い、中核派は火炎瓶や鉄パイプを用いた実力行使の武闘派集団で、革マル派は実践より理論重視でそこまで過激ではないというような話を聞いた記憶があるのですが、中核派系の革命左派と赤軍派が合併してできた国内過激派の集大成とも言える連合赤軍は、1972年の浅間山荘事件で解体してしまいました。
ちなみにこのお兄さんは、日本で一般企業に就職できなかったところ(よく言われる要注意学生名簿に載ってしまったからというより、社会や組織に馴染めないからという印象が強かった)、運よく野菜の引き売りの仕事を紹介してもらい、日本に帰ったら何とか生計を立てる目途が立っていると嬉しそうに語っていました。
日本共産党を源流とするこれらの新左翼は、マルクス・レーニン主義を基盤とし、階級闘争を通して共産主義社会を目指すという点で共産主義と同じですが、議会を通した改革路線よりもより実践的な暴力革命を正当化する傾向があり、中国やソビエト連邦の社会主義を官僚的な統制経済だと批判し、純粋なプロレタリアート革命を目指し、資本主義や天皇制打倒を打ち出すところに違いがあります。
昨今の世知辛い世の中で生きていくなかで、そんな生命の尊さなどを考える余裕はなく、生きるのがつらい、いっそこの世から消えてしまいたい、という感情が湧き上がることもあるのが人間です。
祥月命日(年に一度の命日のこと。月命日は年に11回)といえば、死者を弔い供養する日という後ろ向きのイメージがありますが、現世で生きている残された人間が、自分自身の命の尊さについて考え、他人の命を敬う日であると考えることで、来世に逝ってしまった人の死を無駄にせずに、その人の現世での振る舞いや言葉をしみじみと思い出し、自分もこの世に生まれて良かったと考え、残りの人生をいかに生きていくかを考え直すという、前向きで建設的な意味が出てきます。
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一神教と仏教における罪の違い|ラマダン・断捨離・禅の思想から考える
イスラム教やキリスト教では現世での罪を神に贖罪したものだけが天国へ行けますが、仏教に神は存在せず死んだらみな仏になり、禅の修行で執着が捨てられれば煩悩から解放され解脱します。執着を捨てて身辺整理することで本当に大事なものに気づくことが重要だとされます。
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■■■インドネシア■■■
- インドネシアは言葉も文化も日本人にとって馴染みやすく、いったん生活しはじめると心地よくなってついつい長居してしまう友人の家みたいなものですが、常に部屋に漂う何かモヤっとした不思議な空気が気になりだして、調べていくと実は「間口は広いが一度入り込んだら出られない伏魔殿」みたいなもの。
- 労働法(UU No 13 Tahun 2003 労働に関するインドネシア共和国法律2003年第13号)に外国人労働者の雇用についての規則がありますが、いかにもインドネシアらしいのが外国人は人事業務に就くことを禁じられていることであり、建国五原則パンチャシラの下で民族の多様性を重視するためには、インドネシア人を評価できるのはインドネシア人のみという理念が反映されているのだと思います。
- インドネシアの雇用関係は労働法に基づき、労働者が手厚く保護されていると言われてきましたが、2020年に制定されたオムニバス法によって退職金の減額(現行最大32カ月分⇒ 最大25カ月分)と経営側の裁量による最低賃金の設定(国の実質経済成長率とインフレ率の和 ⇒ 経営側が各州の経済成長率またはインフレ率に沿った最低賃金を設定)という労働法の2大聖域に踏み込む改正が盛り込まれました。
- 私がインドネシアに来た1997年当時の一人当たり名目GDPは1,000ドル前後、当時日本の30分の1程度で、2024年が約5倍の5,000ドル前後となり、インドネシア経済の躍進が顕著であるにもかかわらず、庶民の生活に対する不満が依然として強くデモが頻発する理由は、インフレや物価上昇を考慮したルピアベースの実質GDPは、2倍弱にしか成長しておらず、庶民の生活水準はマクロ経済的な数字ほど大幅改善していないからだと考えられます。
人・食・風土すべてにおいて魅力溢れる多民族国家インドネシア
1945年に起草された憲法の前文にある建国5原則パンチャシラ(Pancasila)ですが、これを一言でまとめたのが有名な「多様性の中の統一(BHINNEKA TUNGGAL IKA)」であり、イスラム人口が9割を占める国で、政宗分離、政経分離を実現することでイスラム強硬派勢力と他宗教や民主化勢力との対立を抑えてきた国家イデオロギーの柱です。
「インドネシア建国の父」と評されるスカルノ大統領の正当なる後継者であることをアピールするために、1965年からスハルト大統領は学校教育の中でパンチャシラ教育を国民の愛国教育に利用したことで、うちの嫁はんも小・中・高の12年間、毎週月曜日の集会でパンチャシラ五原則を暗唱したそうです。
- 【宗教】唯一神への信仰 (Ketuhanan Yang Maha Esa)
- 【人道主義】公正で文化的な人道主義 (Kemanusiaan Yang Adil dan Beradab)※政治・宗教より人としての道を優先
⇒『基本的人権の尊重』に近い - 【国家】インドネシアの統一 (Persatuan Indonesia)
- 【政治】合議制(合意または多数決)と代議制(DPR国民議会)における英知に導かれた民主主義 (Kerakyatan Yang Dipimpin oleh Hikmat Kebijaksanaan, Dalam Permusyawaratan / Perwakilan)
⇒『国民主権』に近い - 【平等】全インドネシア国民に対する社会的公正 (Keadilan Sosial bagi seluruh Rakyat Indonesia)
⇒『基本的人権の尊重』に近い
パンチャシラ第一原則でイスラム教を国教とはせず他宗教間との融和を規定し、第四原則で一神教で主権を神とするシャリーア(イスラム法)と、国民主権の民主主義に基づく法との共存を図っています。
国家としての調和を維持するためには、他の民主国家が採用する多数決や利益主義を超越した、ジャワの伝統的農耕社会のムシャワラ(Musyawarah)に倣った合議制と全会一致のムファカット(Mufakat)による民族主義的解決法が志向され、時には敢えて具体的な決定を遅らせることにより、対話の繰り返しによる合意を目指します。
日本から出張中の年配の社長さんが 、中央ジャカルタのホテルの庭の熱帯植物の緑と色鮮やかな花々を見ながら「インドネシアは本当にいい国だと思いますよ」としみじみおっしゃっているのを聞いたとき、そんな国でビジネスが出来ている自分は本当に幸せだと思いました。
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人・食・風土すべてにおいて魅力溢れる多民族国家インドネシア
インドネシアは北回帰線と南回帰線の間に連なる国土に豊かな自然、温暖な気候を持ち、植民地時代には「オランダ女王の首飾り」と称されました。建国5原則パンチャシラを一言でまとめた「多様性の中の統一(BHINNEKA TUNGGAL IKA)」は多宗教の多民族をまとめた国家イデオロギーの柱です。
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インドネシア語の起源と国語化の理由:ムラユ語を採用した歴史的背景とは
1824年の英蘭条約でマラッカ海峡を境にイギリス領とオランダ領に分断された後に、同じムラユ語発祥でもマラッカ海峡で分断されてインドネシア側はオランダ語とかジャワ語とかスンダ語の影響を受けて(9時半のsetengah sepuluhはオランダ式)、マレーシア側は英語とかその他ローカル言語の影響を受けて、それぞれ200年ほど熟成された結果が、今のインドネシア語とマレーシア語の違いです。
インドネシアという国名、概念が公式に使われるのは1945年に独立してからで、それ以前はオランダ領東インド、今のインド付近は前方インド、インドネシア付近は後方インドと呼ばれており、カリブ海の西インド諸島に対比するように東インド諸島と呼ばれていたようです。
1602年にオランダが東インド会社の拠点があったジャワ島西部を勝手に首都バタビアと決めてからの約350年間が、いわゆるオランダ植民地支配の期間に該当するわけですが、300とも言われる民族が10,000以上の島々に住んでいる状況で、一体どれくらいの人々が「今、自分達はオランダに支配されている」と認識していたのかは興味深いところです。
その後インドネシアは苦難の歴史を辿り1945年8月17日に独立を迎えるわけですが、憲法の中で表記されるRepublic Of Indonesiaという正式名のとおり共和制(国家元首が世襲の君主ではなく、選挙や議会によって選ばれる政治体制)ですから、君主を持たない政治体制で国家の所有や統治上の最高決定権(主権)を国民が持つという、国民主権の民主主義国家を目指したわけです。ちなみに日本はイギリスと同じく立憲君主制(天皇は国家の象徴であり、実際の政治的権力は持たず議院内閣制に基づく民主主義)です。
インドネシア憲法の前文となるパンチャシラの中で「唯一神への信仰(国民は必ず自分の信じる宗教を常に信仰すること)」としてイスラム教を国教としなかったのと同様に、インドネシア語が少数派のムラユ語を母体とされたことは、民主主義を志向した国家統一のために大きな貢献となったと考えられます。
ムラユ語(Bahasa Melayu)はマレー語とも言われ、マレー半島からマラッカ海峡をはさんでスマトラ島などに住むムラユ人が話す言語で、人種や民族間での上下関係による敬語等の表現がなく、意思疎通に便利な言葉でした。
1945年憲法の中でムラユ語を母体とした言語をインドネシア語とすると決定したことは、ジャワ人中心の国ではなく全く新しい国を造るということであり、その決定過程においてスカルノ大統領の母親がバリ人だったこと、副大統領のハッタが西スマトラのブキティンギ(Bukittingi)出身のミナンカバウ族であったことが、新しい国家で「多様性の中の統一」を実現するのに最適な言語がどれかを、客観的に評価する上で影響したものと考えます。
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インドネシア語の起源と国語化の理由:ムラユ語を採用した歴史的背景とは
「唯一神への信仰(国民は必ず自分の信じる宗教を常に信仰すること)」としてイスラム教を国教としなかったのと同様に、インドネシア語が少数派のムラユ語を母体とされたことは、民主主義を志向した国家統一のために大きな貢献となったと考えられます。
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インドネシアが国民の幸福感が高い国といわれる理由:寄付文化・宗教観・若者の生き方から見る日本との違い
インドネシアの職場では、同僚やその家族に災難があればすぐにカンパの箱が回ってくるし、ラマダン(断食月)明け直前には給料の低いオフィスボーイに対する寄付(sumbangan)の茶封筒が回ってきたりしますが、これらはインドネシアの村社会に根付く相互扶助のゴトンロヨン(Gotong Royong)の精神や、イスラム教の五行の一つである困窮者を助けるための義務的な喜捨を指すザカート(Zakat)の考え方に根差しています。
インドネシアには『Hidup mati di tangan Tuhan』という言葉があるように、この世の幸不幸もやがて訪れる死さえも、すべてが神の意向によるという死生観(生と死に対する考え方)があり、金銭的な裕福度合いに関わらず、今置かれた環境の中でのrejeki(神の思し召し)に感謝し幸せを感じることが普通のことあり、人生の目的が今の環境での幸福指数の最大化であるとすれば、これは非常に合理的な考え方と言えるわけで、社会的弱者を救済するために寄付をすることが倫理的に正しい行いである、ということを子供の頃から教育されている点は、宗教的に大きな意味があると思います。 インドネシアが国民の幸福感が高い国といわれる理由:寄付文化・宗教観・若者の生き方から見る日本との違い 神の存在を信じることで与えられた今の環境に感謝し幸せを感じること、寄付によって社会的弱者を救済することが倫理的に正しい行いである、ということを子供の頃から教育される点で、宗教には大きな意味があります。 続きを見る
インドネシアに300以上の民族が存在する理由|DNAではなく「文化と慣習」で分かれる国民性
民族は必ずしもDNA型の違いに由来する身体的特徴による遠い血縁関係の集団ではなく、同じ生活環境を共有する中で生まれた家族観や社会制度、歴史的背景によって思考様式や行動様式であるアダット(Adat)であり、例えばジャワ人とスンダ人はDNAは同じだがアダットが異なると言えます。
「スンダ人は色白が多い」というのは事実かもしれませんが、これは日本の東北地方の人々が色白と言われるのと同じく、涼しい地域に住んでいた祖先をルーツにすると、もち肌の美人が多くなる傾向を言っているだけであり、日本では東北人だけで民族カテゴリを形成することはありません。
インドネシア人全体の中では、中華系(漢民族)やパプア人(オーストラロイド)のように、DNA型の違いに由来する身体的特徴が顕著な民族以外は、地域の生活環境の中で育まれた行動様式を基準として区分けされており、比較的緩やかです。
ジャワ人の気質として言われる言葉が「幸福と調和を重視する思考が気質や行動に表れる」というもので、優柔不断でお世辞(basa-basi)が多く本音と建前を使い分ける、見栄っ張り(gengsi)、合議制(Musyawarah)や相互扶助(Gotong Royong)などの村社会の不文律の存在など、日本の村社会によく似ています。
スンダ人男子の場合は結婚しても親元から離れることを嫌い、それが原因となって「あなたは私とお義母さんのどっちの味方なの?」というドラマのシーンのような口論が発生しやすいとすれば、スンダ人は他民族に比べて離婚となる要因が多いと言えるのかもしれません。
真逆の立場にあるのが母系相続社会のミナンカバウ人(Minangkabau ミナン人)の男性であり、親の資産(土地)はすべて女兄弟に相続されるので、何も貰えない男は一定の年齢に達すると家を出てお金を稼ぐ方法を考えざるを得なくなり、故郷を離れて商売を始めるようになります。
この出稼ぎの風習はムランタウ(merantau)と呼ばれ、ミナンカバウ人の独立自尊の精神を養う上で大きな影響を及ぼしていると考えられますが、気概だけでは必ず成功するとは限らない世知辛い世の中で、華々しく故郷に錦を飾ることが出来る人ばかりではないようです。
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インドネシアに300以上の民族が存在する理由|DNAではなく「文化と慣習」で分かれる国民性
民族とは言語・人種・文化・歴史的運命を共有し、同族意識によって結ばれた人々の集団であり、歴史的運命とか同族意識とか、解釈でどうにでもなる主観的基準でグループ化されたものに過ぎません。
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インドネシアの歴史を地名と紐づけて学ぶ:仕事に活かせる実践的な歴史知識
私の中でインドネシアの歴史の起点は、シャイレーンドラ王朝(8世紀~9世紀)の仏教遺跡であるボロブドゥール(Borobudur)とマタラム王朝(8世紀~9世紀)のヒンドゥ教遺跡であるプランバナン(Prambanan)であり、時を同じくしてスマトラ島のパレンバンを中心とした仏教王国スリウィジャヤ王朝が栄えていました。
その後マタラム王朝はクディリ王朝(929年~1222年)となりダルマワンサ(Dharmawangsa)王を輩出し、その後ウィジャヤが建国したのがマジャパヒト王朝(1293年~1527年)で、マジャパヒト王朝の最盛期を築いた宰相ガジャマダ(Gaja Madah)とハヤム・ウルック(Hayam Wuruk)王です。
16世紀にマジャパヒト王朝の後に勢力を拡大したのがスノパティによって建国された新マタラム王朝(古代ヒンドゥ教のマタラム王朝とは別物)で、この時代からヒンドゥ教よりもイスラム教勢力が強くなります。
この新マタラム王朝の王位継承問題により、1755年にジョクジャカルタ家のスルタン(Sultan)とスラカルタ家のススフナンに分裂しました。
時代を同じくして16~17世紀には北スマトラでアチェ王国が隆盛を誇り、1607年にスルタンに就いたのがイスカンダル・ムダ(Iskandar Muda)であり、古代ギリシアのマケドニア王国の王様アレクサンダー(アレクサンドロス)のイスラム圏での呼称です。
1603年にオランダが東インド会社を設立し、オランダ領東インドというオランダ直轄の植民地となると、以降インドネシア各地で反乱が起き、アチェ王国ではパンリマ・ポレム(Panglima Polem)9世率いるアチェ軍がトゥク・ウマール(Teuku Umar)を中心としてオランダ軍とゲリラ戦を戦ったのが、30年に渡るアチェ戦争(1873年~1904年)です。
同じく北スマトラのバタック地方では、シ・シンガ・マンガラジャ(Sisingamangaraja)12世は、1878年からオランダ軍とゲリラ戦を繰り広げました。
西スマトラのミナンカバウではイマム・ボンジョル(Imam Bonjol)指揮する反オランダ植民地支配勢力とオランダ軍との間でパドリ戦争(1821年-1837年)が起きました。
同じころ当時最大の国内王朝だった新マタラム王朝の領土は削減されていき、これに反抗したジョクジャカルタ家のディポヌゴロ王子(Pangeran Diponegoro)が指揮したジャワ戦争(1825年~1830年)は民衆の支持を受けて、ジャワ島全土に拡大しました。
タムリン(Thamrin)は民族主義思想家の中心、スディルマン(Jendral Sudirman)は大日本帝国陸軍が創設した郷土義勇軍(PETA)の初代司令官として独立戦争を戦った国軍の父と称される人です。
1965年9月30日未明から10月1日にかけて、共産党(PKI)に近いスカルノ大統領新鋭部隊配下の決起部隊が自らを革命評議会と名乗り、大統領排除計画を立てたという疑いで6人の国軍将校を拉致して殺害し、Lubang Buayaに遺棄する事件が発生しましたが、このとき犠牲になった一人がアフマッド・ヤニ(Ahmad Yani)司令官です。 インドネシアの歴史を地名と紐づけて学ぶ:仕事に活かせる実践的な歴史知識 インドネシアで仕事をする上で覚えておくと役に立つ歴史の知識とは、その瞬間にその場所で見た映像や聞いた情報を、時間軸の流れの中に置き、コンテキスト(背景)を想像するための道しるべに使えるレベルで十分であり、具体的な場所や建造物との連想記憶で覚えるのが一番だと考えます。 続きを見る
インドネシアにおける中華系差別の歴史と変化:スハルト政権から民主化までの民族分断と和解の軌跡
インドネシア独立後、スカルノ大統領が共産主義に傾倒していったのは、ジャワ農村文化であるゴロンヨロン(相互扶助)や、伝統的合意形成方法であるムシャワラと全会一致のムファカットの姿が、共産主義社会の理想と相性が良かったからだと思われます。
スハルト政権の見解として、9月30日事件とはPKI(インドネシア共産党)が政権転覆のために、左派の大統領親衛隊をそそのかして引き起こしたクーデターであり、共産勢力に対する弾圧は社会治安の安定のために不可欠だったというものですが、実際にPKIは1963年末の段階で自称250万人の党員を抱えるソ連共産党、中国共産党に次ぐ世界で三番目に大きな共産党であったことから考えると、結果的にインドネシアの共産化が防がれたとも言えるわけです。
スハルト大統領の国家イデオロギーとしては「インドネシア建国の父」と評されるスカルノ大統領の正当なる後継者であることをアピールするために、建国五原則であるパンチャシラを国民の愛国教育に利用し、独裁長期政権のための政治体制を築く一方で、西側諸国との関係を深めることで外資導入を促進し外国援助を取り付けるスタイルは「開発独裁」と言われました。
多民族の国民を一つにまとめるために、パンチャシラをうまく利用する一方で、スカルノ時代を超えるためには反共産主義の姿勢をアピールする必要があり、パンチャシラが謳う「多様性の中の統一」と矛盾する中華系への差別的雰囲気を社会に醸成させました。
1997年、私がインドネシアに来た当時は既に政権末期ではありましたが、中華系に対する国民の嫉妬や不満をそらすために、屋外に漢字表記の看板を表に出すことは禁止するなど、中華系色が表舞台に露出することに対する抑制政策は続いており、30年以上も続いたスハルト独裁政権の間、プリブミ(大地の子=主にマレー系インドネシア人)と中華系インドネシア人とが分断される空気が出来上がっていました。
1998年5月のジャカルタ暴動では、中華系インドネシア人をスケープゴートとした略奪、破壊行為が行われたことで、街の多くの商店のシャッターに「うちは中華系の店じゃないから襲わないでください」という暴徒に対するメッセージである「PRIBUMI(プリブミ)」という文字は、私の中に鮮明な記憶として今も残っています。
1999年、金融危機(Krisis Moneter 略してクリスモン)の最中、ワヒド大統領(グスドゥール)政権の経済担当調整大臣としてKwik Kian Gie(郭建義)氏が選出されたとき、会社の同僚の中華系インドネシア人が閣僚の顔写真一覧ポスターを見せながら「この中でチャイニーズは誰か分かるかい?」と嬉しそうに聞いてきたことをよく覚えています。
民主化のプロセスが進む中で中華系インドネシア人の活動を抑制するような政策はなくなり、街には漢字表記の看板が見られるようになり、スハルト政権下で認められなかったKonghucu(儒教)が、正式に国家が認める6つ目の宗教に復活しています。
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インドネシアにおける中華系差別の歴史と変化:スハルト政権から民主化までの民族分断と和解の軌跡
スハルト政権時代に、インドネシアの国家イデオロギーは共産主義のユートピア志向から資本主義のリアリズム志向への大転換が行われ、プリブミと中華系インドネシア人とが分断される空気が作られましたが、昨今の民主化と経済発展のおかげで、プリブミの心情が変化し中華系への理不尽な嫉妬が減ったと考えます。
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宗教的規範と社会活動と分けて考える良心的な庶民感覚
宗教の違いによる価値観の差をどこまで許容できるかは人によって異なりますので、特定の強硬派集団が形成されてしまうのは止むを得ないことで、実際にクリスチャンであるうちの嫁はんもその友人達も同性婚を絶対に認めませんし、私の仕事上のパートナーである敬虔なイスラム教徒のインドネシア人も、LGBTの存在を絶対に理解しません。
イスラム教やキリスト教を信仰する大多数の国民の声は、LGBTに対して批判的であることは否定できませんが、法でLGBTを規制しろなどとは言いません。否定するが法的権利は認めるというのがインドネシアのマジョリティの庶民感覚ではないでしょうか?
イスラム的価値観に少しでも抵触する事案に対しては一切妥協の余地なしの一部強硬派によるデモばかりがメディアを賑わせるため、インドネシア全体がイスラム原理主義っぽく見られることが非常に残念であり、実際には価値観の違いを理解し政治と宗教を切り離して考えることができるムスリムが大半であることが、なかなか海外には伝わりにくいと思います。
スハルト大統領退陣後の民主化以降、インドネシアではイスラム政党が第1党になったことが1度もなく、多様性の中の統一を国是とするインドネシアのイスラム社会では、世界最大のイスラム人口を抱えながらも、政治と宗教のバランスが絶妙に保たれていることが判ります。
民主主義の下では主権は立法府や行政府ではなく国民に帰属され(国民主権)、法の下で国民の活動や権利は保護(基本的人権の尊重・法の下の平等)されますので、民主主義の退行と言う場合は、主権が国に属し法によって国民の活動や権利を規制するということです。
ではイスラム法は民主主義の法律と適合するのかという問題ですが、絶対的な主権は神に帰属すると考えた場合は民主主義と相入れませんが、規範は規範としても実際に実行していくのは国民であると寛容にとらえたのが、民主主義国家としてのインドネシアにおける従来の法の考え方でした。
インドネシアの場合、政宗分離で宗教的価値観はあくまで道徳的な行動規範として制約を持つのみで、法的な制約はなく、これが「緩いイスラム国家」と言われる所以であり、婚外交渉や性的少数者であるLGBTの存在自体が、法に抵触すると判断されるのであれば、それはあきらかに法の下の平等に反する民主主義の退行と言えると思います。
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宗教的規範と社会活動と分けて考えるインドネシアの良心的な庶民感覚
インドネシアは刑法改正によりLGBTを法的に認めない一方で、庶民の間では宗教的規範と社会活動と分けて考える良心的な感覚が生きています。そして宗教的価値観の下でモスクや教会のネットワークを通じて困った人々への支援活動が積極的に行われています。
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9月30日事件とインドネシア共産党の崩壊:スハルト政権末期の反共時代のなごりを体験した記憶
私がインドネシアに来た1997年当時は、まだスハルト政権末期、共産主義を賛美しようものなら日本の公安調査庁に当たる国家情報調整庁(Badan Koordinasi Intelijen Negara)、通称インテル(Intel)に宗教侮辱罪(共産主義者は無神論者と見なされた)か国家シンボル侮辱罪(建国五原則のうち「唯一神への信仰」に反する)で逮捕されてもおかしくない時代でした。
当時私がお付き合いを始めたスラウェシ島出身の女性は、毛沢東信奉者といういわゆる危険思想に染まった反社会的な存在だったのですが、PKI(インドネシア共産党)が1963年末の段階で自称250万人の党員を抱えるソ連共産党、中国共産党に次ぐ世界で三番目に大きな共産党であったことから考えても、彼女のように隠れキリシタン的に水面下で共産主義を信奉するインドネシア人も相当数いたものと考えられます。
スカルノ大統領は、ジャワ農村文化であるゴロンヨロン(相互扶助)や、伝統的合意形成方法であるムシャワラと全会一致のムファカット(Mufakat)の姿が、共産主義社会の理想に近いと考え傾倒していった可能性がありますが、本来共産主義社会を実現するためのマルクス・レーニン主義は「物質がすべて」「神や霊的存在は存在しない」という唯物論に基づいており、宗教は国家の権威と競合する脅威とみなすものでした。
共産主義の主権は人民にあるという意味で、民主主義と似ていますが、労働者階級(プロレタリアート)による資本家階級(ブルジョアジー)との階級闘争によって、階級のない社会を実現する過程において、人民を代表する共産党が主権を管理するという理屈で、共産党による一党独裁が正当化されます。
今となっては黒歴史ですが、私は高校時代に進学校の中の落ちこぼれにありがちな、優秀な人間の中で埋没してしまうという屈折した劣等感に悩んでいたところ、レーニン『帝国主義論』を読み、まだ働いてもいないにも関わらず、階級闘争により共産主義のユートピア社会の実現を目指す労働者階級に感情移入してしまい、本来受験勉強で一分一秒大切な時期に、多くの時間を無駄にしてしまいました。
マルクス・エンゲルスの弁証法的唯物論に基づく共産化のプロセスは、社会の発展を物質的条件と階級闘争の観点から説明され、(1)資本主義社会では資本家が生産手段を独占し生産力を増強するという現状の秩序(テーゼ)に対して、(2)労働者階級と資本家階級との間での階級闘争という矛盾(アンチテーゼ)が生まれ、(3)資本の私有を禁止する社会主義から最終的に階級も国家も消滅した共産主義へ移行するというものです。
しかし本来人民のためであるはずの計画経済(正:テーゼ)が、一党独裁による政治の腐敗と経済の停滞(反:アンチテーゼ)を招いた結果、1991年にソビエト連邦が崩壊し、市場経済を導入しようとしたものの混乱を招き、現在のような権威主義の下での市場経済が生まれた(合:ジンテーゼ)というプロセスは、マルクス・レーニン主義の哲学的立場である唯物論とレトリックとしてのヘーゲルの弁証法が合わさった弁証法的唯物論で説明されるのは皮肉な話だと思います。
唯物論自体は世界(社会全体・経済とそれを支える生産様式すべて)は物質の有機的な結びつきでしかないという哲学的な立場に過ぎず、弁証法自体も矛盾したものが対立を通して発展し理想にまた一歩近づくという変化の論理に過ぎないものが、弁証法的唯物論として統合されると『混ぜるな危険!』、生産様式が変われば社会全体も変化し(唯物論)、その変化は階級闘争という矛盾によって必然的に進行・発展し、労働者階級と資本家階級という二項対立を生み出した資本主義は、社会主義を経由して共産主義に移行するのが歴史の必然(弁証法)という、哲学や思想がイデオロギー色を持ちはじめ、階級闘争と一時的な一党独裁を正当化する理論的根拠となってしまうところに危険性があります。
1965年9月30日未明から10月1日にかけて、スカルノ大統領新鋭部隊配下の決起部隊が自らを革命評議会と名乗って、大統領を排除する計画を立てていたと疑われる6人の国軍将校を拉致して殺害し、Lubang Buayaに遺棄する事件が発生し、これに対して戦略機動予備軍司令官スハルト少将がいち早く鎮圧にあたり事態を掌握し、事件は国軍ではなくPKIによるクーデターであると解釈した上で、その後の民間人を扇動した「赤狩り」が行なわれ、共産党勢力の一掃作戦が展開されることになります。
この事件がPKI主導によるものであるというインドネシア政府の公式見解を形にしたものが、1973年に公開された「パンチャシラ・サクティ」記念碑や1992年に開館した「共産党の裏切り」博物館ですが、本当は単なる陸軍内の内紛だったという説もあれば、スカルノ大統領を失脚させるためのスハルト少将による陰謀説、インドネシアの共産化を恐れた欧米諸国による陰謀説などがあります。
インドネシアの独立を達成した後、スカルノ大統領は異なる文化、民族、言語、宗教に属する人々をインドネシアという国家の一員であるという意識を根付かせ一つにまとめていくために、欧米諸国という外敵を作り、ソ連や中国など共産主義国家と繋がりを持つPKIとの関係を深めていったものの、「9月30日事件」で国内の反共勢力とのパワーバランスが崩れ、「3月11日政変(1966年にスカルノ大統領がスハルト陸軍戦略司令官に事実上の政権を委譲することになった出来事)」後のスハルト政権でインドネシアは完全に反共産路線に傾くことになりました。
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9月30日事件とインドネシア共産党の崩壊:スハルト政権末期の反共時代のなごりを体験した記憶
インドネシア共産党によるクーデーター未遂である9月30日事件でスカルノ大統領を支えた共産勢力と民族主義勢力とのパワーバランスが崩れ、3月11日政変後のスハルト政権でインドネシアは完全に反共産路線に傾くことになりました。
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■■■ビジネス■■■
- 起業する際には事務手続きと並行して、会社の不変の基本的価値観である「企業理念」を起草し、これを実現するためにどのように利益を上げて成長していくかという「ビジネスモデル」を描き、最後に具体的な「事業計画」を作成するというのが教科書的な手順。企業理念は、すべての社員の実務の行動指針となるもので、これを定義する作業をコンセプトワークと呼びますが、企業理念を分かりやすく発信することをブランディング。
- 中華系インドネシア人はブランド力でレバレッジを効かせて効率よく商材を売りまくる「代理店志向」で、日本人は確かな技術力でいいモノを作れば顧客は後からついてくるという「モノづくり志向」、インドネシア人は資金力の範囲で仕入と売上を積み上げて元手をコツコツ増やしていこうという「商人的志向」という意味であり、これらの要素のいずれかを存分に発揮しながら戦う。日本人がインドネシアで地に足をつけたビジネスを構築しようとするならば、回り道でもブランド力を地道に磨き続けることが最短距離だが、ブランドという見えないKPIを追うのは大変。
- インドネシアでビジネスを立ち上げるのが難しいと言われる理由は、輸出入にかかる送料、関税などのCIF(Cost Insurance and Freight)コストが高いこと、国内ローカル市場での人脈が乏しいこと、就労ビザや許認可取得手続きが複雑であること。そんなインドネシア特有の参入障壁に加えて、近年ではIT技術の進歩によって世界の情報格差と物流格差がなくなり、「日本にあってインドネシアにない価値あるもの」が少なくなったことが一番大きい。
- ニッチ戦略・一点集中・スピードとフットワークに注力するランチェスター戦略。面倒臭くてコスト的に採算が合わなさそうな分野、言い換えればまずはブルーオーシャンを探す。
- ブログやSNSで認知度が上がることは、インドネシアの製造業界でITによる業務改善に関心を持つ顕在層の第一想起となることで、リード獲得に繋がる可能性がある。政治家が地元の選挙区の駅前で、通勤途中の人々が誰一人足を止めないにも関わらず、ミカン箱の上に立って政策を訴えるのは、自分の顔と名前を有権者の深層心理の中に焼き付けることで、いざ選挙の際には政策の違いまで精査することなく投票所に行く人々が、投票箱の前で自分の顔を思い出して、投票用紙に記名してもらうためです。
- 広告で顕在層を刈り取りながら、潜在層にアウトバウンドでアタック(cold call 電凸)するのがBtoBマーケティングの王道かと思いますが、ERPのようなB2B高単価商材の場合、潜在層自体が非常に少なく、顕在層に対してコンペの形で営業するという偶発的な要素に依存してしまうため、SaaS会計システムのように市場が飽和して、特定のサービスが第一想起として確立されてしまっている市場ほど難易度が上がります。
- 受託ビジネスが過去の知識と経験の蓄積から成り立つ以上、それらを整理体系化することにより、さらに複雑な事柄を考えたり発案したりすることができる。オンライン集客は自分がインターネット黎明期から標榜していたWeb based Businessの中核であり、これは自分がどう生きたいかという問いに対する回答でもあります。
- インドネシア市場で独立系日系IT会社が営業活動を行う上で重要なことは、横の繋がりをうまく利用することだと考えており、上述のとおり案件の価格帯によってある程度の棲み分けが出来ている状態なので、小さい側と大きい側は案件の規模に応じて仕事を回し合う関係を築くことが可能。孔雀やインコが羽を広げて自分を大きく見せるのと同じように、自社の存在を実像より大きく見せるには、ネット上での露出戦略によって錯覚資産を築くことが効果的。
- 近江商人の経営哲学に『三方よし』というものがありますが、売り手よし、買い手よし、世間よしの意味で、地域経済に貢献してこそ経済活動は許される。
- 『相手のためなら自分の時間はいくらでも費やす』『相手が喜んでくれるなら面倒なこと嫌なこと全部自分がやるというメンタル』という、イスラム教でいうIkhlas精神(見返りを求めない心・不幸を受け入れ執着や怨みを手放す心)、気合と根性を要する自己犠牲の精神が必要です。人間の価値とは、結局はどれだけ他人に役に立てるか、ということなんでしょうが、人の役に立つには他人が出来ないことが出来たり他人よりも物知りだったりする必要があり、ビジネスにおいても最も重要なことは相対的優位性(競争力)を持つことであり、他人が出来ないこと(≒技術)や他人より詳しいこと(≒情報)は、現場での日常業務で体得した経験に基づいた場合に初めて説得力を持ち、基本は本業(≒実業)の中でしか身につきません。難しいこと出来る、面倒くさいことやるのが価値になる。
- 仮にコストに見合わない仕事であったとしても、実績というオフバランスの評価価値が金銭的価値以上に高い仕事である可能性もあるわけで、重要なのは「相手が喜んでくれるのであれば面倒なことは何でも自分がやる」いう姿勢です。
- インドネシアで新規事業をはじめたいという人は、みんな日々悶悶としながら頭を捻りアイデアを絞りだそうとしているのが普通
- 生成AIは情報収集と比較を自動化し、SEOで上位表示されないサイトは大規模言語モデル最適化(LLMO)においても参照の対象にすらならないリスクがあります。
- 『勇気は最大の武器』『信用は最大の資産』
- 速く行くなら一人で行け、遠くへ行くなら仲間と行け
- 来世で頑張ろう
- 広げて当たり前、切られるなんて言語道断(KISSの法則)
- 魚の居ない池に釣り糸を垂らしても虚しいだけ
- インドネシアの全方位外交に見習って、種撒くなら全方位的に、ブレーキ踏んでいたら跳ねない。
- 難しいことが出来ます、箔もなければリード(見込み顧客)もない、そこからこじ開ける力が価値になる。
- 目の前の課題に向き合おう vs 事業計画を立てて数字に管理される。
- 計画どおりに進まない場合に、挽回するには稼働時間を増やすしかない
- タイムラインのランディングページ化
- 年齢はどれだけ生きたかを教えてくれるが、どう生きたかは教えてくれない
- 一番難しいのは自分を殺しに来た相手と友達になること、嫌いな相手と距離を置くのは簡単だが、イヤな相手とも仕事をして実利追求。
- プロなんだから何でも対応できなきゃならない、だから基本が大事
- 商品が良くなくても売れる、この商品が売れるんだったら御社の商品なんて楽勝という感覚になってくる。
- フルコミかそうでないかの違いは大きい。何か依頼を受けたとき「いま別件で忙しい」と言われるとどうしようもない。業務は特定の日は発生しないことはあり得ないため、週3日御社の仕事をやる、というのはあり得ない。
- 一点突破型にはない劇場型の提案力。お客様の話を紐解いていくと実は重要な課題は別の部分にあることがある。
- 流入数が少ないながらもポジションを取る。難しいこと出来るのが価値になる。
- コンサルの人は大枠の机上の空論は上手いが、ほぼそれは意味がなくて、目の前の消しゴム1個を100円から150円に上げるかが商売の本質で、『会計上のれんがどうたら、、』というのは無意味。スモールビジネスで売上利益を伸ばしていく叩き上げでいかに細かく粗利を積み上げていけるか
- 努力は報われると思ってる人が15%しかいないなら、ちょっと頑張るだけで、抜け駆けし放題ウッシッシ。
- 「個人で事業を起こしたい」というのは人間の根源的欲求。
- 芸能人の最大の《強み》はその知名度でしょう。すでに保有している資産を最大活用するのはビジネスの基本であり、戦略の定石です。
- 馬鹿であればあるほどこっちは稼がせてもらうのに都合が良い。粛々と実利を取ることに集中する。
- スマートな営業はAIに食われていく、泥臭い営業のほうが残る。
- 中年男の欲望を考えると、先ず若い綺麗な姉ちゃんと心ゆくまでHをする、満足したら姉ちゃんに帰ってもらい、若い部下みたいな男を呼んで、説教をする、そして自分の武勇伝を心ゆくまで語る、そんで、家帰って家族にお父さんありがとうって感謝されたい、その三点を順番を間違えずにすると気分いいな