民族とは、言語や人種、文化、歴史的運命を共有し、同族意識によって結ばれた人々の集団です。これらは歴史的運命や同族意識といった主観的基準でグループ化されたものに過ぎません。
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インドネシア人の性格・民族・宗教観|多様性に生きる国民性とは?
インドネシアの人口は2億8千万人で、ジャワ島に4割が集中しています。ジャワ人は45%、スンダ人は15%を占め、イスラム教徒が9割です。ジャワ人は幸福と調和を重視し、バタック人やマドゥーラ人は気性が激しいとされます。
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この記事でわかること
- インドネシアには300以上の民族が存在し、地域の言葉や風習が同族意識を形成しています。
- ジャワ人は幸福と調和を重視し、合議制や相互扶助の村社会の不文律が存在します。
- スンダ人は色白で働き者とされ、離婚率が高い背景には親元を離れたくない男性の特性があります。
- ミナンカバウ人は母系相続社会で、男性は商売を始めるために故郷を離れることが多いです。
- インドネシアの最低賃金UMKは地域差が大きく、出稼ぎ文化が多民族社会の交流を促進しています。
インドネシアに300以上の民族が存在する理由|“民族”を定義する文化的・歴史的背景とは?
インドネシアは多民族国家であり、300を超える民族が存在します。これは驚くべきことですが、これらの民族はDNA型で定量的に分けられたものではなく、地域の言葉や風習が同じ人々が同族意識を持つことで一つの民族とカウントされる、緩やかな定義に基づいています。
「民族」の定義は曖昧で、「言語・人種・文化・歴史的運命を共有し、同族意識によって結ばれた人々の集団」とされています。インドネシアでは、例えばジャカルタ近辺に住むOrang Betawi(ブタウィ人)は、Suku Betawi(ブタウィ族)という民族カテゴリに区分されますが、これはDNA型ではなく、17世紀のバタビアに集まった人々が混血し、言語や風習に地域性が生まれた結果です。
インドネシアで民族を分ける基準はDNAよりもアダット(Adat)であり、これは生活共同体での親族や社会の過去の慣習や規範です。例えば、ジャワ人とスンダ人はDNAは同じですが、アダットが異なります。
スンダ人は色白が多いと言われますが、これは日本の東北地方の人々が色白と言われるのと同じで、涼しい地域に住んでいた祖先をルーツに持つためです。日本では東北人だけで民族カテゴリを形成することはありません。
インドネシアでは、中華系(漢民族)やパプア人(オーストラロイド)のようにDNA型の違いに由来する身体的特徴が顕著な民族以外は、地域の生活環境で育まれた行動様式を基準に区分けされており、比較的緩やかです。これがインドネシアに300以上の民族が存在する理由と考えられます。
インドネシア主要民族の特徴と気質:ジャワ人・スンダ人・ミナン人の文化比較
インドネシアの人口は約2億8千万人で、そのうち45%を占めるジャワ人は「幸福と調和を重視する思考が気質や行動に表れる」と言われています。彼らは優柔不断でお世辞(basa-basi)が多く、本音と建前を使い分ける傾向があります。また、見栄っ張り(gengsi)で、合議制(Musyawarah)や相互扶助(Gotong Royong)などの村社会の不文律が存在し、日本の村社会に似ていると感じます。
人口の15%を占めるスンダ人は、「スンダ人女性は働き者で外見も色白でスタイル抜群の美人が多い」という評判があります。実際、経理や総務のマネージャーなど重要なポストに就いているスンダ人女性は、テキパキと仕事をこなす美人でスレンダーな方が多いです。
スンダ人男性は結婚しても親元から離れることを嫌い、それが原因で「あなたは私とお義母さんのどっちの味方なの?」という口論が発生しやすいとされています。これがスンダ人の離婚の要因の一つかもしれません。
事例:私の周りにはジャワ人が多く、彼らは遠慮がちで優柔不断で、何事も穏便に済ませようとする傾向が強いです。時には、自分はリスクを負わずに得しようとする姿勢が見えることもあります。これは日本の村社会の深層心理と似ているかもしれません。
事例:カラワンの工場の採用担当者によれば、可愛らしいスンダ人の女の子が面接に来ると、まだ少女のような幼い顔をしているのに、離婚経験が複数回あることも珍しくないそうです。これを聞いたとき、カラオケ屋さんなどの遊興施設で多くのスンダ人のシングルマザーと出会ったことを思い出しました。
事例:離婚したスンダ人男性が、12歳までの子供の親権は母親に行くため一人暮らしをしているという話を聞きました。スンダ人女性のシングルマザーに出会う機会が多かったのは、離婚が多いからかもしれません。理由としては、妻が夫の家に入り、夫が母親を尊重しすぎることや、単に経済的事情が挙げられます。
事例:日本のIT企業で働きたいスンダ人技術者が、スンダ人の男は親から遠くに離れて住むことはTidak bisa(だからアメリカは遠すぎてNG、日本はOKという理屈)と言われました。親から強制されるわけではないが、本人が人の道に外れると考えているという意味なのでしょう。
母系相続社会のミナンカバウ人(ミナン人)の男性は、親の資産(土地)はすべて女兄弟に相続されるため、何も貰えない男は一定の年齢に達すると家を出てお金を稼ぐ方法を考えざるを得ません。故郷を離れて商売を始めるようになります。
弊社の株主兼ビジネスパートナーであるミナン人によれば、金銭的成功を収めない限り故郷に錦を飾ることはできないという意識が強く、レバラン休暇でパダンに帰省すると、金銀装飾品で身を固めた人に会うこともありますが、実際は親に心配をかけないために見栄を張っているケースも多いそうです。
1945年8月15日に日本が連合国に無条件降伏し、2日後の17日にスカルノが独立宣言を行いました。日本の占領下にあったインドネシアは敗戦国側の立場であったため、イギリスやオランダが独立を拒否し再び侵攻しようとした際に、パダンはインドネシアの臨時政府の仮首都とされました。
事例:パダン人(Orang Padang)という場合は西スマトラ州の州都であるPadang出身の人を指し、有名なパダン料理も本来はミナン人の料理ですが、知名度の高いパダンを冠してパダン料理と呼ばれています。
インドネシアの最低賃金と多民族社会:UMK格差が生む出稼ぎ文化と宗教・民族の多様性
インドネシアの県(Kabupaten)が定める最低賃金UMK(Upah Minimum Kabupaten)は地域によって大きな差があります。ジャカルタ特別州や工業団地が位置するブカシ県やカラワン県の最低賃金は、中部ジャワや西ジャワ州の一部より2倍近く高いため、多くの出稼ぎ者がこれらの地域で働いています。その結果、日常的にさまざまな宗教や民族の人々と交流する機会が増えています。
1997年、私がインドネシアに来たばかりの頃、アチェ出身の敬虔なムスリムから英語を習っていました。彼は毎回、イスラム教とアラーの神の素晴らしさ、アチェの豊富な天然資源について熱く語っていました。当時は自由アチェ運動(GAM=Gerakan Aceh Merdeka)の民兵がインドネシアからの分離独立を目指して国軍と衝突していた時期でもあり、彼の話は非常に新鮮に感じられました。
国家との衝突によって分離主義が強まったアチェやパプア、ティモール(テトゥン族)などの民族もあれば、悠久の歴史の中で比較的平和に存在し続けてきたジャワやスンダなどの民族もあります。それぞれの歴史的背景が民族構成員の人格形成に影響を及ぼしてきたというのは興味深い話です。