インドネシア共産主義と9月30日事件の影響

2020/07/11

インドネシア

インドネシア共産党によるクーデター未遂である9月30日事件により、スカルノ大統領を支えた共産勢力と民族主義勢力のパワーバランスが崩れました。3月11日政変後、スハルト政権下でインドネシアは完全に反共産路線に傾くことになりました。

インドネシアの歴史年表と王朝から大統領政権までの全体像を構造化した図解

インドネシアの歴史年表と時代区分|王朝・植民地支配・独立・大統領政権の全体像

5世紀頃、中部ジャワに仏教のシャイレーンドラ王朝やヒンドゥ教のマタラム王朝が誕生し、ラーマーヤナやマハーバーラタが文化として浸透しました。1602年、オランダは東インド会社を設立し、植民地支配を拡大しました。行政の中心地バタビアは現在…

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この記事でわかること

  • 9月30日事件はスカルノ大統領を支えた共産勢力のパワーバランスを崩しました。
  • スハルト政権下でインドネシアは完全に反共産路線に傾きました。
  • PKIはかつて世界で三番目に大きな共産党でした。
  • パンチャシラ・サクティ記念碑は9月30日事件の舞台となった場所です。
  • 共産主義者狩りに関する情報は博物館の展示に欠如しています。

インドネシア語習得のきっかけはBlok Mの彼女:共産主義を信奉する彼女との忘れがたい日々

1997年10月、インドネシアに来たばかりの私は、インドネシア語を早く上達させたい一心で、Blok Mのカラオケ屋で出会った彼女とオフで会う約束をしました。彼女の自宅で再会し、毎週日曜日にサリナのマクドナルドでインドネシア語を教わり、10万ルピアを支払っていました。デートはPlaza Indonesiaやスナヤンの遊園地Taman Riaで楽しみましたが、彼女は感情の起伏が激しく、政治的な話題をよく振ってきました。

事例:彼女は橋本総理のスラウェシ島への資金援助に感謝する一方で、日本の植民地支配を批判しました。また、毛沢東思想を理想的とし、インドネシア共産党PKIを賛美していました。

要点:1997年のスハルト政権末期、共産主義を賛美することは危険でしたが、PKIはかつて世界で三番目に大きな共産党であり、彼女のように共産主義を信奉する人々も存在しました。


インドネシアの独立

インドネシア独立の背景と日本軍政の影響

インドネシアは1945年8月17日に独立を宣言しました。独立はオランダと日本の支配を経て達成されました。独立宣言書には日本の皇紀が使用されていました。

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9月30日事件の舞台「パンチャシラ・サクティ記念碑」とPKI弾圧の象徴的施設を訪ねて

インドネシアの歴史を学ぶために、私は「パンチャシラ・サクティ」記念碑を訪れました。ここは、1965年の9月30日事件で6人の国軍将校の遺体が発見された古井戸Lubang Buayaがある場所です。この事件は、スカルノ大統領の新鋭部隊が関与したとされ、後にスハルト少将が鎮圧しました。事件はPKIによるクーデターと解釈され、共産党勢力の一掃作戦が展開されました。

「パンチャシラ・サクティ」記念碑

事例:1973年に公開された「パンチャシラ・サクティ」記念碑や1992年に開館した「共産党の裏切り」博物館は、インドネシア政府の公式見解を形にしたものです。しかし、単なる陸軍内の内紛やスハルト少将による陰謀説、欧米諸国による陰謀説などの異なる見解も存在します。彼女はスハルト少将による自作自演の陰謀であると信じていました。

要点:9月30日事件は、インドネシアの政治的パワーバランスを大きく変え、スハルト少将の影響力を強める結果となりました。

9月30日事件での6人の将校が発見されたLubang Buayaと、その前に建てられたMonumen Pancasila Sakti

深田祐介著「ガルーダ商人」にも、スカルノ大統領が事件後にハリム空軍基地に行ったことが、彼の政治生命に重大な影響を与えたと記されています。この出来事は、インドネシア国内の政治的パワーバランスをスハルト少将に傾けました。

「共産党の裏切り」博物館を23年ぶりに再訪:見えなかったインドネシア共産主義者虐殺の真実

PKI信奉者である彼女が、何故に反共産主義的な博物館に私を連れていったのかの答えを探すために、「共産党の裏切り」博物館を23年ぶりに再訪しました。館内はPKIの非道な行為のジオラマばかりで、日本人である私がPKIに対して同情の念を感じるような展示物は見つけられませんでした。また、反PKIと反スカルノ大統領デモの激化によりスハルト氏に権力移譲された1966年の「3月11日政変」の前後に、インドネシア全土で繰り広げられた「共産主義者狩り」に関する展示もありませんでした。

事例:Pondok Gede在住の尾根遺産に案内されたMuseum Penghianatan PKI。9月30日事件を主導したとされるPKIの非道行為の展示物だらけでしたが、当時スハルト政権下で毛沢東信奉者だった彼女に「なんでスハルト一族は大金持ちなの?」と聞いたときの「知らん」と怒気を含んだ返事の迫力が忘れられません。

要点:博物館の展示はPKIの非道行為に偏っており、共産主義者狩りに関する情報は欠如しています。

インドネシアの独立後、スカルノ大統領は異なる文化や民族をまとめるために、欧米諸国を外敵とし、ソ連や中国など共産主義国家と繋がりを持つPKIとの関係を深めました。しかし、「9月30日事件」で国内の反共勢力とのパワーバランスが崩れ、「3月11日政変」後のスハルト政権でインドネシアは完全に反共産路線に傾きました。

インドネシア社会史が専門の研究者である倉沢愛子氏は、著書「インドネシア大虐殺」で、50万人とも200万人とも言われる共産主義一掃のための大虐殺に対して、西側諸国からも社会主義国からも抗議の声が上がらなかったことに疑問を呈しています。日本はインドネシアに対して借款による経済援助を供与し、高度経済成長を享受してきたことを忘れるべきではないとしています。