インドネシア歴史の知識が仕事に役立つ理由

2021/05/15

インドネシアの歴史

インドネシアで仕事をする際に役立つ歴史の知識は、その場で見た映像や聞いた情報を時間軸の中に置き、背景を想像するための道しるべとして使えるレベルで十分です。具体的な場所や建造物との連想記憶で覚えるのが一番だと考えます。

インドネシアの歴史年表と王朝から大統領政権までの全体像を構造化した図解

インドネシアの歴史年表と時代区分|王朝・植民地支配・独立・大統領政権の全体像

5世紀頃、中部ジャワに仏教のシャイレーンドラ王朝やヒンドゥ教のマタラム王朝が誕生し、ラーマーヤナやマハーバーラタが文化として浸透しました。1602年、オランダは東インド会社を設立し、植民地支配を拡大しました。行政の中心地バタビアは現在…

続きを見る

この記事でわかること

  • シャイレーンドラ王朝とマタラム王朝は8世紀から9世紀にかけて栄え、ボロブドゥールとプランバナンの遺跡がその象徴です。
  • スリウィジャヤ王朝は仏教王国で、スマトラ島の歴史に大きな影響を与えました。
  • マジャパヒト王朝は1293年から1527年にかけて存在し、ガジャマダとハヤム・ウルックがその最盛期を築きました。
  • 新マタラム王朝は16世紀に成立し、ジョクジャカルタとソロの分裂が地域文化に影響を与えました。
  • 1965年の共産党事件では、アフマッド・ヤニ司令官が犠牲となり、プロパガンダ的な展示が行われました。

仏教・ヒンドゥ教王朝が乱立した時代(古代から中世)

古代インドネシアでは、モンゴロイド系人種が大陸からマレー半島を経由して移住し、その後インド南部からヒンドゥ人がジャワ島にヒンドゥ文化を持ち込みました。インドネシアの歴史の始まりとしては、シャイレーンドラ王朝(8世紀~9世紀)の仏教遺跡ボロブドゥール(Borobudur)とマタラム王朝(8世紀~9世紀)のヒンドゥ教遺跡プランバナン(Prambanan)を起点に考えるのが適切です。

事例:2021年1月9日、スマトラ島をベースにした国内航空会社スリウィジャヤ(Sriwijaya)航空の182便が墜落し、乗客乗員62名全員が死亡しました。この事故の背景には、スマトラ島のパレンバンを中心とした仏教王国スリウィジャヤ王朝の歴史的な影響が見られます。

要点:スリウィジャヤ王朝は、シャイレーンドラ王朝やマタラム王朝と同時期に栄えた仏教王国であり、インドネシアの歴史における重要な位置を占めています。

バリ島のハヤム・ウルック通り(Hayam Wuruk)は、デンパサールのププタン通りを東へサヌール方面に向かい、ハントゥア通り手前を左折してデンパサール市街地へ向かう通りです。バリベーカリー(Bali bakery)の印象が強い場所です。

バリベーカリー

その後、マタラム王朝はクディリ王朝(929年~1222年)となり、南ジャカルタの高級ホテルで有名なダルマワンサ(Dharmawangsa)王を輩出しました。さらに、ウィジャヤ(Wijaya)センターのウィジャヤが建国したのがマジャパヒト王朝(1293年~1527年)です。

Hayam Wurukと聞けば、道路に偉人の名をつけるのは地理と歴史を紐付ける良いアイデアです。Gajah Madaまでがマジャパヒト王国で、ThamrinからSudirmanが民族独立闘争、以南はバタックやアチェの偉人に繋がります。

ジャカルタのハヤムウルック通り

マジャパヒト王朝の最盛期を築いた宰相ガジャマダ(Gaja Madah)とハヤム・ウルック(Hayam Wuruk)王の名前は、ガジャマダプラザやその先の歓楽街マンガブサールに向かう大通りとして在住日本人には馴染み深い名前です。

ボロブドゥール仏教遺跡

ボロブドゥール遺跡の歴史と建築美|インドネシア

ボロブドゥール遺跡は8世紀から9世紀にかけてシャイレーンドラ朝により建設されました。2023年6月、天皇陛下の訪問によりボロブドゥール遺跡の知名度が日本で向上しました。ボロブドゥール遺跡は安山岩で作られ、三層の円壇と釣鐘上のストゥーパ…

続きを見る

イスラム教王朝時代とオランダ領東インドの時代(近世から近代)

イスラム教の新マタラム王朝

16世紀にマジャパヒト王朝の後、新マタラム王朝がスノパティによって建国され、イスラム教勢力が強くなりました。南ジャカルタのスノパティ通りには、エスニック色を控えた洗練されたタイ料理店NOBLE by Zab Thaiがあります。

ディポヌゴロパンリマ・ポレムタイ料理

事例:中部ジャワのジョクジャカルタとソロは、1755年の新マタラム王朝の王位継承問題で分裂しました。ジョクジャカルタ家のスルタンとスラカルタ家のススフナンに分かれ、スルタンを冠する高級ホテルが南ジャカルタにあります。

要点:新マタラム王朝の分裂は、地域の文化的な影響を残しています。

16~17世紀にはアチェ王国が隆盛を誇り、スルタン・イスカンダル・ムダが1607年に即位しました。彼の名は南ジャカルタのガンダリアモール前の大通りに残っています。

オランダ統治への反乱

1603年にオランダが東インド会社を設立し、オランダ領東インドが成立しました。これに対し、アチェ王国ではパンリマ・ポレム9世率いるアチェ軍がトゥク・ウマールを中心にオランダ軍とゲリラ戦を展開しました。

事例:北スマトラのバタック地方では、シ・シンガ・マンガラジャ12世が1878年からオランダ軍とゲリラ戦を繰り広げました。彼の名は南ジャカルタのスディルマン通りに残っています。

要点:オランダ統治に対する反乱は、インドネシア各地での抵抗運動を象徴しています。

西スマトラのミナンカバウでは、イマム・ボンジョル指揮のもとパドリ戦争(1821年-1837年)が起きました。同時期に新マタラム王朝のディポヌゴロ王子がジャワ戦争(1825年~1830年)を指揮し、民衆の支持を受けてジャワ島全土に拡大しました。

このようにスマトラ島やジャワ島でオランダ植民地支配に対する抵抗がありましたが、最終的にはオランダ軍に制圧され、植民地支配が確立しました。

日本統治時代以降(現代)

ジャカルタの中心部に位置するタムリン通りとスディルマン通りは、それぞれインドネシアの歴史において重要な人物にちなんで名付けられています。タムリンは民族主義思想家の中心であり、スディルマンは大日本帝国陸軍が創設した郷土義勇軍の初代司令官として独立戦争を戦った国軍の父と称される人物です。

ホテルサリパシの北でMRT第2期のThamrin駅工事が始まっている。tugu jam Thamrinはtaman Bantenに移設されるそうです。 タムリン通り

1965年9月30日から10月1日にかけて、共産党(PKI)に近いスカルノ大統領新鋭部隊が決起し、6人の国軍将校を拉致して殺害する事件が発生しました。この事件で犠牲になった一人がアフマッド・ヤニ司令官です。

事例:1997年、私はBlok Mのカラオケ屋のお姉さんに連れられて、「パンチャシラ・サクティ」記念碑と「共産党の裏切り」博物館を見学しました。当時はスハルト政権下末期で、親共産主義を自負するお姉さんは政府機関に知られたら逮捕されてもおかしくない時代でした。

要点:この時代、共産党に関する展示物はプロパガンダ的な意味合いを持ち、政府の監視が厳しかったことが伺えます。

西ブカシSummarecon名物RoundaboutからTol入口方面を結ぶ道路の名前が9月30日事件で亡くなったAhmad Yaniさんだった。インドネシアの道路に冠される英雄の中では比較的新しい時代の人で、JakartaならPulo Gadung方面へ進んだ環状線にぶつかる下道、バリ島ならBadung市場からKartini通りに入った北の先。

Bekasi

インドネシア

インドネシア共産主義と9月30日事件の影響

9月30日事件はスカルノ大統領を支えた共産勢力のパワーバランスを崩しました。スハルト政権下でインドネシアは完全に反共産路線に傾きました。PKIはかつて世界で三番目に大きな共産党でした。

続きを見る