運命は偶然よりも必然だと感じるインドとインドネシアでの現地体験

2020/08/29

インド

学生時代の強烈なインド体験が現在インドネシアで仕事をしていることに繋がっているという点で、運命は偶然ではなく必然と言えます。インドネシアは植民地時代の東インド会社を通した交易を通じてインド文化の影響を受けています。

今でも自分の中で影響力を発揮しているインド体験

大学生になってすぐに沢木耕太郎の「深夜特急」や蔵前仁一の「ゴーゴーインド」読んで、何かアジアって面白そうだなとは感じていましたが、最後に背中を押されたのは藤原新也がガンジス川のほとりで人間の手を咥えている犬を見て発した「人間は犬に食われるほど自由だ」という言葉であり、この得体のしれない言葉の中に何か憧れに近い感情が湧いたことで、早々にパキスタン航空の格安45日Fixedチケットを購入し、那覇、高雄、バンコクを経由してカルカッタに到着したのが二年生の夏休みでした。

印度に行けば人生観変わる!と信じて那覇⇒台北⇒バンコク経由の超激安1か月Fixdのチケットでカルカッタに降り、安宿街サダルストリートまでの途中のバス停で干からびたじいさんを見て1か月は無理!ってなった。でもそれで初インドネシア時のハードルが地表近くまで下がったのが確か。

空港でのしつこい勧誘に抗いきれず乗ったタクシーは知らない場所で途中停車し、わらわらと塀を乗り越えてきた5~6人の仲間達から囲まれるという恐怖体験から始まって(空港で警察のおじさんがタクシーの運転手を僕に何かあったらお前を逮捕すると脅してくれていたので助かった)、安宿街サダルストリートまでの途中で老人が炎天下の砂誇り舞う道端であおむけに行き倒れている光景に唖然とし、ドミトリーの相部屋とは聞いていたものの案内されたのは夜空が綺麗な屋上のコンクリート床だったことに愕然とし、インド上陸後2時間以内に「ここで一か月とか絶対無理!」と半泣きになりました。

そこでA型肝炎を患って静養中の、関西某国立大学のブント(社会主義学生同盟)の下部組織の自称リーダーである大学8年生のお兄さんが弾いていたシタールの共鳴し合う美しい音色に感動し、バラナシのガンジス川沿いには弾き方を教えてくれる道場がいっぱいあるという情報を鵜呑みにして、早速一番安いバラナシ行きの夜行列車のチケットを買って、駅から帰る途中の市場で知り合った絨毯屋のおっちゃんの店で、勧められたチャイを飲んだ後に強烈な睡魔に襲われ、本能的にバッグを抱えて強引に市場から脱出して、意識朦朧としたままホテルまでたどり着くという、インド到着から数日間で貴重な人生経験を重ねていました。

インド音楽といっても映画で出てくるノリノリのダンス音楽ではなく、古典音楽の特徴はラーガ(Raga)という特定のテーマを表現する旋律の型が、朝昼夕晩という時間帯ごとに、喜びとか悲しみという感情を表現しており、そこにTeen Taal(16拍子=4+4+4+4)、Ek Taal(12拍子=2+2+2+2+2+2)、Jhap Taal(10拍子=2+3+2+3)などのターラ(Tala)というリズムが入ってくると、ラーガの基本メロディ(ガット Gat)の最初の入りの音とターラの1泊目が絶妙に出会いながら、自由な即興によるソロ演奏が展開され、そしてまたターラの1泊目に戻ってくるという、仏教の輪廻転生のような世界観を構成しています。

茶色く濁ったガンジス川のほとりのゲストハウスからは「ガンジスで死にたい」という最期の希望をもって、インド各地から集まってきた人達の死体を焼く煙が見える部屋で、夜な夜な鐘と太鼓のリズムとともに聞こえてくるヒンドゥの祈りの歌を聴きながら、シラミや南京虫を駆除しながらベッドの上でラーガのガットを練習していた当時は「人生観が変わった」などという大それた変化は感じませんでしたが、あれから20年以上経ち、ある程度の社会人経験を蓄積した今、あのときの光景を思い出すと、自分を縛り付けている鎖が解けるような感覚があり鳥肌すら立つくらいです。

インドネシアで仕事をしているのは偶然ではなく必然

最近でこそインドネシアはASEAN最大の経済大国として、G20サミットにも参加するなど国際的に存在感が高まりましたが、20数年前は観光地として人気だったバリ島の知名度は高いものの、それがインドネシアに属するということまで知っている人は少数派で「インドと何が違うの」くらいの人のほうが多かったように記憶しています。

インドという表記は中国語の「印度」に由来するという説が有力らしいですが、英語ではIndiaなのだから日本語でも「インディア」だったら混乱も減るはずで、むしろインドネシアではIndomobilやIndomieなどの企業名やブランド名でIndoという短縮形が多く使用され、インドネシア人からWhatsAppのメッセージの中で自国のことを「indo」と表現されて「はぁ、インド?」と戸惑った経験がある人は多いはずです。

インドは英語でIndia、中国語で印度だから、WhatsAppでインドネシア人から自国のことをindoって書かれて「はぁ、インド?」「啊、印度?」ってなるのは日本人と中国人だけなのかな?

また1602年にジャヤカルタ(Jayakarta)と呼ばれていた今のジャカルタ近辺を、香辛料貿易の基地として首都バタビア(Batavia)と呼んだ、オランダ東インド会社(East India Company)の「インド」とはヨーロッパ、地中海沿岸地方以外の地域を指していたようですが、インドネシアの現在の通貨ルピア(Rupiah)は当時インドから流入してきたルピー(Rupee)から来ているようです。

僕がインドネシアに来てすぐに「インドネシアの中のインド」を感じたのが大衆音楽のダンドゥット(Dangdut)であり、街中でもタクシーの中でも頻繁に耳にするダンドゥットを聞いて、インドネシアでもボリウッドが人気なんだなあと勘違いしたくらい、インド音楽に親しんだ人間ならタブラの音が入るだけでインドの雰囲気を感じてしまうと思います。

人口の多さと国土の広さから、8月下旬の今も新型コロナウィルス新規感染者数がアジアで右肩上がりで増え続けているのはインドとインドネシアだけであり、人種も宗教も異なる(北インドのイスラム教、バリ島のヒンドゥ教という部分は重なる)大国ですが、僕にとっては強烈なインド体験が結果的に海外で仕事をするきっかけにもなったわけで、それが一度も来たことがなく予備知識も少ないインドネシアだったのは、芥川龍之介の名言「運命は偶然よりも必然」「運命は性格の中にある」だったような気もします。