インドネシア時事問題

勝ち組と負け組の基準【社会に漂う閉塞感の正体】


ブラック企業が生まれた経緯

1990年の春、大学の入学式を終えて、サークル(新聞関係)の新歓コンパで六本木に連れて行ってもらい、生まれて初めてカラオケ屋に入ったのですが、関東近辺出身の同級生達は高校の頃からカラオケで遊び慣れているので、我先に持ち歌を入れるのに忙しい中、田舎者丸出しでカラオケのシステムすら理解できておらず一人オドオドしていた僕に気づいた優しい女の先輩が「これなら歌えるじゃーん」みたいなノリで入れてくれたのが、当時CMで頻繁に流れていた「リゲインの歌」でした。

ちょうどバブル経済崩壊の足音が忍び寄ってきていたとはいえ、まだまだ世界で戦う勤勉な日本人を「ジャパニーズビジネスマーン」と誇らしげに歌うことに何の躊躇もなかったのですが、あれから失われた20年(または30年)を経て、一人あたり名目GDP(物価変動を考慮しない)も世界5位内圏から26位(2018年)にまで下落するなど、世界経済における今の日本の立ち位置では少しおこがましい感じすらします。

しかしこの世界経済における地位低下という理由以上に、我々日本人が表立って「ジャパニーズビジネスマーン」と鼓舞するのが憚られるようになった理由が、長時間低賃金労働が社会問題となり、「働き方改革」の旗印の下で働き過ぎることを社会の害悪とみなす風潮であり、これに社会人となったゆとり世代(2002年施行の学習指導要領による教育を受けた世代)がうまくハマりました。

大学の経営学の講義で、終身雇用、年功序列、企業別組合という三種の神器を軸とする日本的経営こそが、日本の世界一の経済と技術を支える源泉だと評価されていると学んだ記憶がありますが、アメリカで出版された「Japan As Number One(日本から学べ)」という本の翻訳版が日本でベストセラーになるなど、日本人は外国で評価されてはじめて自分を肯定的に評価しがちな人種なんだと思います。

当時は長時間労働でも賃金が高かったため「働いたものが正当に評価される」健全な状態でしたが、1999年に日産のCEOに就任して「コストカッター」として財政危機状態の日産をV字回復させた(ように見えた)カルロスゴーンに象徴されるように、景気低迷でモノを作っても売れないビジネス環境で、コスト削減により年功賃金や長期雇用、企業福祉など日本的経営の家族的な要素が削減された後には、体育会的な理不尽な上意下達の風潮だけを引き継いだブラック企業が残る結果となりました。

僕の親族にもパワハラにより適応障害を発症した人間がいますし、大手広告代理店や居酒屋チェーン店で自殺者が出る痛ましい事件は社会問題となり、ブラック企業は淘汰されるべきだと思いますが、その風潮によりがむしゃらに頑張ることに対する否定的な同調圧力が出来上がり、社会に閉塞感が生まれているようにも感じることもあり、これまた日本人は0か100かで考えがちな人種なんだと思います。

本当の「勝ち組」とは?

ちょうど僕がインドネシアに来たばかりの頃、1997年から98年にかけて山一證券や北海道拓殖銀行が倒産するまでは、銀行不倒神話なるものがまかり通っていた時代であり、日本的経営は金融業界においても行政を中心に業界全体を一丸となって守っていく護送船団方式という市場慣行として存在していましたので、今話題の「半沢直樹」の前作である第二期で、金融庁の黒崎検査官が東京中央銀行に対して融資先の伊勢志摩ホテルを実質破綻先として分類するよう厳しく迫る場面を見ると隔世の感があります。

バブル崩壊後の失われた20年(または30年)で金融業界はもちろん、通信、交通運輸、商社などで統廃合による業界再編成が進み、その過程で企業間で待遇の格差が広がった結果、いつしか「勝ち組」「負け組」という言葉が生まれました。

終身雇用や年功賃金制、手厚い福利厚生施設が保証されていた、高度経済成長からバブル経済期には聞いたことがなかった「負け組」というレッテルは、他人からではなく自分で自身に貼り付けてしまう自虐性に問題があるのですが、電脳雑伎集団によるスパイラル社の買収を阻止し、半沢の予告どおり子会社である東京セントラル証券が親会社の東京中央銀行を叩きつぶした後、銀行に栄転する半沢は部下達に勝ち組と負け組の基準を語ります。

  • 私は「勝ち組」「負け組」という言葉が大嫌いだ。銀行は勝ち組、俺たち子会社の社員は負け組だと大半が認めていたが、今はどうだ?君たちは大銀行が総力を上げても成し得なかった事を成し遂げた。どんな会社にいても、どんな仕事をしていても、自分の仕事にプライドを持って日々 奮闘し、達成感を得ている人の事を本当の勝ち組と言うんじゃないかと俺は思う。

まさに失われた20年(または30年)後に醸成された社会の閉塞感の中で、コロナ禍に追い打ちを掛けられて自信を失いつつある我々に対して「もっと本気だせよ」と叱咤激励しているかのような言葉ですが、他人と比較して自虐的にならないためには、勝ち負けの基準は自分に置くしかないのだと思います。

イソップ寓話の中でロバを売りに市場に行く親子は「ロバに乗らずに歩くなんて馬鹿な」と言われては息子をロバに乗せ、「子供が楽して親が歩くなんて」と言われては父親がロバ乗り、「子供だけ歩かせてかわいそうだ」と言われては2人ともロバに乗り、「痩せこけたロバがかわいそうだ」と言われては親子でロバを担ぎますが、自分の基準を持たずに周りの意見に流されると、しまいにはロバが暴れて川に落ちて死んでしまうことになります。





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