「インドネシアの労務・法律」と聞いて思い浮かぶのは頻繁に発生する労働者によるデモ、手厚い権利で労働者を保護する2003年の労働法、産業の高度化を目指し外資の参入意欲を高めるためのオムニバス法による雇用条件の柔軟化などです。
労働組合のデモ集団が、旗を掲げバイクで走行する示威行動はsweepingと呼ばれ、工業団地内の各工場の正門に押しかけて、敷地内で破壊活動されたくなかったら、人身御供として一定人数をデモに加わらせるよう要求するため、集団がどんどん大きくなっていくのですが、私もCikarangのJababeka工業団地やKarawangのKIIC工業団地の客先訪問中にsweeping集団に押しかけられ、夜まで行内から出られなかった経験が何度かあります。
労働法(UU No 13 Tahun 2003 労働に関するインドネシア共和国法律2003年第13号)に外国人労働者の雇用についての規則がありますが、いかにもインドネシアらしいのが外国人は人事業務に就くことを禁じられていることであり、建国五原則パンチャシラの下で民族の多様性を重視するためには、インドネシア人を評価できるのはインドネシア人のみという理念が反映されているのだと思います。
インドネシアの雇用関係は労働法に基づき、労働者が手厚く保護されていると言われてきましたが、2020年に制定されたオムニバス法によって退職金の減額(現行最大32カ月分⇒ 最大25カ月分)と経営側の裁量による最低賃金の設定(国の実質経済成長率とインフレ率の和 ⇒ 経営側が各州の経済成長率またはインフレ率に沿った最低賃金を設定)という労働法の2大聖域に踏み込む改正が盛り込まれました。
私がインドネシアに来た1997年当時の一人当たり名目GDPは1,000ドル前後、当時日本の30分の1程度で、2024年が約5倍の5,000ドル前後となり、インドネシア経済の躍進が顕著であるにもかかわらず、庶民の生活に対する不満が依然として強くデモが頻発する理由は、インフレや物価上昇を考慮したルピアベースの実質GDPは、2倍弱にしか成長しておらず、庶民の生活水準はマクロ経済的な数字ほど大幅改善していないからだと考えられます。
当ブログでは私と同じようにインドネシアに関わり合いを持って仕事をする人が、日常生活やビジネスの現場で出会うさまざまな事象のコンテキスト(背景)の理解の一助となるような労務や法律についての記事を書いています。
インドネシア格差社会の実態|労働争議・階級闘争が続く理由と企業利益の構造
インドネシア各州の最低賃金(Upah Minimum Provinsi)は、インフレ率やGDP上昇率を加味して決定されますが、毎年のように発生する労働団体による激しい賃上げデモの影響で、製造業を中心とした国内企業は企業活動に支障をきたしています。
日系ITサービス業界でも、年に一度行われる1on1の評価面接では、普段は温厚で従順に見える技術者達が、よりよい待遇を勝ち取るために、バチバチに給与アップ要求の根拠を主張してくるのが普通であり、日本のような『やりがい搾取』といった悪習は理解すらされないと思います。
インドネシアを含む東南アジアの格差社会には、昔ながらの労働階級とブルジョアジー間の階級闘争色が強いのは、企業はオーナー同族経営が多いため「会社の利益=収奪」のイメージが強く、シンプルに二元論化されやすいからだと思います。
本来、会社の利益は資本家(投資家)のものであり、投資家に還元されない分は再投資にまわされるか、労働者の待遇アップに使われるかして、世の中に還元されていきますが、利益剰余金として内部留保(配当金には利益準備金として別管理)されると、お金が市中で流通しなくなり日本のようにデフレになります。 インドネシア格差社会の実態|労働争議・階級闘争が続く理由と企業利益の構造 会社の利益は資本家のものであり、資本家に還元されない分は再投資または労働者の賃上げにより世の中に還元されていきますが、インドネシアの労働争議で階級闘争色が強いのは、同族経営が多いため「会社の利益=収奪」のイメージが強くシンプルに二元論化されるからです。 続きを見る
インドネシアの労働法(最低賃金・解雇・退職金)の適用範囲と雇用関係を終了させるプロセス
労働法を遵守すべき主体は「 法人の形態を取る取らないに係わらず、個人、パートナーシップまたは法人が所有する事業体であり、私企業・公営企業の別なく、賃金または別の形態の報酬を支給して労働者を雇用するあらゆる事業体(一般規定)」側にいる雇用主(Employer=Pemberi Kerja)であり、「個人、経営者、法人または他の形態の者で、賃金または他の形態の報酬を支払って、労働力を雇用する者」を指します。
ただ現実問題として、内需頼みのインドネシア経済がひとたび停滞に陥ると、コストを削減したい雇用者側と、最低賃金以下でもとにかく雇用の機会を得たい労働者との需要と供給の関係から、UMP(州が定める最低賃金)以下で働くインフォーマルセクター(統計外で行われる経済活動)が膨らんでいます。
事業主が労働者を雇用する際の条件となるものが就業規則(PP=Peraturan Perusahaan)であり、10人以上の労働者を雇用する経営者はいずれも、就業規則を作成する義務を負い、最寄の労働移住省(Disnaker=Dinas Tenaga Kerja dan Transmigrasi)に提出し承認を得る必要がありますが、経営者と労働組合との間で別途労働協約(PKB=Perjanjian Kerja Bersama)がある場合には就業規則は必要ありません。
解雇(PHK=Pemutusan Hubungan Kerja)された労働者が、不当解雇だとして雇用者をDISNAKERに訴え出た際の争点となるのが、この就業規則や労働協約の解釈の仕方の相違になります。
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インドネシアの労働法(最低賃金・解雇・退職金)の適用範囲と雇用関係を終了させるプロセス
インドネシアの労働者は労働法によって手厚く保護されているとはよく言われる理由は、勤続年数によって大きく膨らむ退職金や会社都合での解雇の難しさにあります。
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インドネシアの外国人就業規則から考える日系サービス業のビジネスモデル
外国人就業の前提条件に技術力(専門知識)を有しインドネシア人に移転すべきものであると明記されているということは、インドネシアに恒久的施設PE(Permanent Establishment)として事業所を構える以上、そこでは納税の義務とインドネシア人への技術移転の義務が発生すると言えるわけです。
昔、インドネシアで起業した経営者に言われたことですが、自分で仕事をしないことは自分で仕事をすることよりも大変で、自分の刀を抜く(自分で仕事をする)のは、後でその何倍もの仕事をしてもらうためにやるという意識を持ち、自分というリソースに対してレバレッジを効かせることの重要性を教えられました。
インドネシアに進出しようとする日系企業(特にサービス業)にとって描くビジネスモデルの中では、間接費を下げると同時に生産性を上げるという課題がのしかかってくるため、インドネシア人スタッフの比率を高め現地化を推進すると同時に、日本人は経営+技術または経営+営業として、新規案件獲得または既存プロジェクトのフォローまで出来ることが求められるようになると考えます。
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インドネシアの外国人就業規則から考える日系サービス業のビジネスモデル
インドネシアに恒久的施設PE(Permanent Establishment)として事業所を構える以上、そこでは納税の義務とインドネシア人への技術移転の義務が発生します。
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インドネシアで名誉毀損は刑事罰に!SNSの発言が訴えられる時代
警察への被害者による刑事告訴(pengaduan kriminal)または第三者による刑事告発(pelaporan kriminal)とは、被害者が刑事処分を求めて警察に申告することです。
裁判所(pengadilan)への民事訴訟(acara perdata)は損害賠償金の支払いを求めて弁護士(pengacara)を通じて裁判所に民事裁判の申し立てを行う行為で、刑事訴訟(acara pidana)は国家を代理した検察官(kejaksaan)が行います。
Pencemaran Nama Baik(名誉毀損)として告訴されると、警察からSurat Perintah Dimulai Penyidikan(捜査令状 SPDP)が届くようです。
インドネシアの法律は民法(Hukum Perdata)と刑法(Hukum Pidana)とに分かれていますが、KPK(Komisi Pemberantasan Korupsi)は独立機関(Lembaga Independen)であり、立法・行政・司法の機関が関与すると疑われる疑惑については、本来検察(Kejaksaan)が行う捜査・起訴(裁判にかけること)をKPK独自で実行する権限があります。
ちなみに刑事訴訟と民事訴訟は当事者が違います。
- 被害者が警察に刑事告訴、または第三者が刑事告発する。
- 警察が捜査して容疑者(被疑者)を逮捕し、留置所に入れる。
- 48時間以内に検察に送検され拘置所に入れる。書類送検の場合は容疑者は自宅に帰される。
- 立件とは、検察官が「刑事事件において検察官が起訴する(公訴を提起する)に足る要件が具備していると判断して、事案に対応する措置をとること」
- 起訴は検察が原告となって刑事訴訟を起こすための手続き 起訴されてはじめて被疑者は被告人となる。提訴とは関係当事者が裁判所に民事訴訟を起こすこと。
- 控訴は第一審の判決に対して不服がある場合にとる手続で、上告とは控訴審(第二審)に対してするものです。
ただインドネシアの刑務所は、金と権力の力で待遇を変えられることは周知の事実であり、該当記事にあるe-KTP汚職で国家に200億円の損失をもたらした元国民議会議長は、懲役15年のはずが2025年の独立記念日8月17日に釈放されていますし、2008年に贈収賄で5年の懲役を受けた女性実業家が、エアコン、テレビ、カラオケルーム完備の『監獄の中の宮殿』と呼ばれた個室で、美容トリートメントを受けていたことが大きな話題になったのは記憶に新しいところです。
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インドネシアで名誉毀損は刑事罰に!SNSの発言が訴えられる時代
インドネシアではSNSの普及により選挙や政治活動において相手を貶めることを目的とした偽情報の流布が行われるようになったことで、オンライン上での名誉毀損に関する告訴のニュースを目にするようになりました。
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インドネシア汚職撲滅委員会KPKとは?権限・役割・汚職事件の実態
インドネシアの汚職撲滅委員会KPK(Komisi Pemberantasan Korupsi )は2001年のメガワティ政権時に発足した組織であり、国家の歳入を借款や海外援助ではなく税収で賄う健全な国家財政基盤を築く上で大きく貢献してきました。
インドネシアはKorupsi(汚職)とKolusi(談合)とNepotisme(縁故主義)を合わせてKKNと略しますが、本来の意味は Kuliah Kerja Nyata(学生インターン仕事)だということを忘れてしまうほど汚職のニュースが多いわけですが、それを撲滅すべく監視しているKPKも調査能力の低下や、インドネシア国家警察 Polri(Kepolisian Republik Indonesia)との汚職捜査の行使権争いで評判が落ちました。
2017年まで私がジャカルタKuninganのKPK本部近くのアパートに住んでいた頃、ことあるごとにデモ隊や報道陣の車両が作る渋滞に辟易とするほどでしたが、2019年10月の改正汚職撲滅法でその権限が縮小された後は、以前ほどの活気が失われてしまったようで残念です。 インドネシア汚職撲滅委員会KPKとは?権限・役割・汚職事件の実態 インドネシアの法律は刑法(Hukum Pidana)と民法(Hukum Perdata)に分かれていますが、KPKは独立機関(Lembaga Independen)であり、立法・行政・司法の機関が関与すると疑われる疑惑については、本来検察(Kejaksaan)が行う捜査・起訴(裁判にかけること)をKPK独自で実行する権限があります。 続きを見る
インドネシアのMPRとDPRの違いとは?知られざる立法機関の変遷と現在の権限構造
私が初めてインドネシアに来た翌年の1998年にスハルト大統領が退陣した後、2001年から2002年のメガワティ政権時に三権分立のうちの立法権が国民協議会MPRから国民議会DPRに移され、これにより国家の権威の最高機関は事実上DPRとなりました。
三権分立が確立した実行主体の最高権力
- 行政:大統領
- 司法:最高裁判所MA(Mahkamah Agung)
- 立法:国民議会DPR
2004年のユドヨノ大統領時代の大統領直接選挙で本格的な民主主義がはじまり、2014年のジョコウィ大統領の誕生で完全な民主主義国家の仲間入りしました。 インドネシアのMPRとDPRの違いとは?知られざる立法機関の変遷と現在の権限構造 三権分立のうちの立法権がMPR(Madjelis Permusjawaratan Rakyat)からDPR(Dewan Perwakilan Rakyat)に移ったのはメガワティ政権時であり、ニュースでMPRという言葉自体を聞く機会が減りました。 続きを見る