インドネシアでの噂話の信憑性

2014/09/07

ジャカルタ

インドネシアでの噂話の信憑性は非常に低く、狭い日本人社会の中での情報でもガセネタ率が非常に高いのは、日本人がインドネシア人から精度の低い噂話を、間違った理解に元づいて論評を加え、推論まで立てて次に流すことが多いからです。

ジャカルタ日本人社会の情報の信憑性

常々思うのですが、ジャカルタでは噂話の信憑性が非常に低い。要はガセネタ率が非常に高い。

だから自分の場合、日本人からの噂話は平均して2割引き、人によっては5割引きで聞いています。最悪なのはインドネシア人からの精度の低い噂話を日本人が聞いて、本当のように話すものだから、情報の信憑性がますます落ちます。

間違った事実認識を元に論評を加え、推論まで立てて次に流すので、話がとんでもない方向に行ってしまい非常に始末が悪い。あまりにガセネタが多すぎて、人の話は眉に唾をつけて聞くのが習慣付けられたため、非常に疑り深い性格になってしまいました。

日本人ですらこの有様ではインドネシア人からの噂話はもっと酷い。自分の部下にはこいつ7割は話を作っているんじゃなかろうかと思われるツワモノが居ます。

主観ですが、話の信憑性の低い人間は簡単に嘘をつきますし、しかもおしゃべりです。

先日は自分が客先であるA社でミーティングしている最中に部下がメッセージを送ってきました。

  • 今A社に居るんですけどトラブル対応に手間取っているので今日はB社に行けずごめんなさい。
  • いや、俺今A社に居るんだけど・・・

これだけ渋滞が酷いと早く帰宅の途につきたいという気持ちはわからないでもありませんが、あまりにも軽率で間抜けだよなぁ。

情報の信憑性の測り方

人間は皆、長所と短所があって、長所だけを見てあげて短所に目をつむってあげれば、誰とでもいい関係を築いていけるんだと思いますが、自分にとってはこういう「ガセネタ」や「悪意のない嘘」はそれほど重要なことではありません。

そもそも自分自身も気づかないうちに結構ガセネタ流していることあると思います。「お前は思い込みで判断を下す傾向がある」と言われることすらあります。

だから情報の信憑性を判断する材料としては以下がポイントになります。

  1. 話す人が誰か
    この時点で上述のとおり2割引きから7割引きまでにグループ化されています。
  2. 誰からの情報か
    この段階で7割引きの人に7割引きの人から聞いた話を聞かされた場合、もう純度100%のガセだと判断します。
  3. どんな場で聞いた話か
    酒の席での話の精度はガクッと落ちます。

人間の性格は一生の間でそれほど変わるものではないと思うのですが、自分の場合インドネシアに来てから、自分の中で何か変わったことを1つ挙げろと問われた場合、「人からどう思われているかを気にしなくなった」というところかもしれません。

もともと内向的で人間関係を作るのは苦手な自分ですが、この変化の原因を自己分析してみると「他人は自分をいろいろ論評することが自分にとって実害を与えることはあまりない」というのが判ってきたからです。

これが芸能人であれば人気に影響しますし、レストランであれば風評被害で客足が落ちることで、被害甚大かもしれませんが、自分の場合はジャカルタ在住日本人の中のただの人。

そもそも噂話に取り上げられるほど知名度も高くなければ関心ももたれていないと思われ、とりあえず仕事に悪影響を及ぼさない程度であればどうでもいい、というくらいドライに考えています。

自分の大好きな黒澤映画「椿三十郎」の中で、三十郎が誘拐された上代のことを、以下のように評する場面があります。

  • 自分が馬鹿だと思われていることを気にしないだけでも大物だ。

仮に自分のことを馬鹿だと思っている人がいても、その人がそれほど賢い人である確立は低いですし、仮に自分のことを嫌なヤツだと思っている人がいても、その人が他人からイイ人と思われている確立も低いと思います。こう考えると自分に関する噂話が、嘘か本当は大して重要なことだと思わなくなります。

仮に仕事で問題起こして、お客さんの間で悪い噂が広まったとしても、幸いなことに日系企業の駐在のお客さんは最大5年で入れ替わりますので、悪い噂が出たとしてもどうせそのうち薄れていくだろう、という思いもあります。

噂話の信憑性が低いインドネシア

インドネシア語でおしゃべりなヤツのことをcerewetとかmulut ember(バケツの口)とか言いますが、日本と同じようにインドネシアでも男のおしゃべりはみっともない、という風潮は一応あるようです。

上述のとおり僕はインドネシアでの噂話の信憑性は5割引きから7割引き程度だと思っているので、頼んでもいないのに「あなたに情報を分けてあげる」的に上から目線で話を聞かされるのが非常に不快です。

だいたい「Jangan bilang ke siapa2 ya(誰にも言わないでね)」と前置きされて聞かされる話が価値ある情報だった試しはありません。

  1. ロクでもないどうでもいい話
  2. 既に皆が知っている秘密でも何でもない話
  3. 何らかの意図をもって秘密の話という形で僕に伝えたい話

せいぜいこの程度の話であり、秘密の話を教えてあげるという恩着せがましい気持ちを持っているヤツに限って、僕に秘密を漏洩するという行為自体で逆に信頼を落としていることに気づかないもんです。

漏洩するだけならまだしも密告、つまり仲間を売る話だったときは最悪で、鬼塚栄吉が生徒の吉川に言った名台詞を思い出しました(GTOの第4話参照)。

  • 同じクラスのダチをチクろうなんてヤツは俺は信用しねーぜ

ただ「こいつがもったいぶって話す情報がどんだけのものか聞いてみたい」という誘惑に勝てないときは一応話を聞いてあげるのですが、十中八九たいした話じゃありません。

内緒の話もすぐに広まるインドネシア

あくまでも僕の経験の範囲で言わせてもらうと、インドネシア人は「自分の胸のなかに閉まっておく」ことが苦手な民族だと思います。

インドネシア人に「誰にも言うなよ、絶対に言うなよ」とダチョウ倶楽部のコント並みに念を押せば推すほど誰かに話したがる、もしくはその情報をうまく利用してやるという不埒な考えをおこす傾向があるように思います。偏見かなー。

情報量で優位性を保とうとする奴は、自分が価値があると信じている情報が相手にとって必ずしも価値があるとは限らないということに気づかない間抜け人間なので、情報の使い方が恩着せがましかったり間接的な告げ口であったりして、逆に自分の評価を落としてしまうことに気づかないのだと思います。

で、相手の意図があからさまに腹黒い感じがしたときにはさすがに以下のようにはっきりと言います。

  1. Saya tidak peduli.(気にしない)
  2. Bukan ulusan saya.(俺には関係ない)
  3. Saya tidak tertarik hal itu.(お前の話に興味がない)

ただし毎回つれない対応すると門が立つので、たまに興味を持って

  • Terus gimana?(それでどうなのよ?)

と前のめりになって詳細を聞いてやろうとするとすると

  • Maaf tidak bisa kasih tahu lebih dari ini.(ごめんなさい、これ以上は言えないんです)

とか言いやがる。

もうねアホかと、バカかと。。。

秘密の話は誰かに話さないと精神の安定が保てない人間の性

以前僕の部下の一人が大手デベロッパー(建設会社)のシステム部門マネージャーとして転職したときは、その会社のGeneral Managerがそいつの友人だったという強力なコネ付きですし、今回は別の部下が業界第5位の大手銀行のシステム部門への転職活動をしております。

上司の僕が何でそんな情報を知っているかと言えば、直接本人から

  • 僕、転職活動中です。採用されたら来年1月に辞めますけど、不採用のときは引き続き働かせてください

と打ち明けられたからです。

よくもこんな図々しいことを涼しげな顔で言えるもんだというのは置いておいて、普通こういう話は採用通知を貰ってから連絡するものだと思っていましたが、正直者なのか腹黒いだけなのか、それとも天然なのか定かではありませんが、とりあえずは

  • せっかくのチャンスなんだから頑張れ

と返事しておきました。

一応建前として「よくぞ僕にだけ打ち明けてくれた」ということで約束どおり秘密を守って誰にもしゃべりませんけど、予想通りチーム内で知らないのは僕とあと1人だけという、あいかわらずの情報筒抜け、内緒の話は誰かに言わないと精神の安定が保てない気質は今日も平常運転です。

ビジネス上、インドネシアで秘密保持契約(Non-disclosure agreement=NDA)を結ぶことにはほとんど意味がないようにすら思えるレベルです。

会社辞めるのを止めた言い訳

で、インドネシアで業界第5位の銀行と言えば、日本で言えばりそな銀行くらいのレベルでしょうから、よほどのコネがないと無理なんですが、そいつの場合は奥さんがその銀行でアナリスト(職位はマネージャー)として働いているから絶対採用されるはずと自信満々です。

ただ日本の企業感覚からすれば、職場結婚して共働きというのならともかく、同じ会社に奥さんが居るから旦那も一緒に働かないか?という発想はありえないと思うのですが、部門さえ違えば全く問題ないということです。

今回の募集人数が3人で応募者が14人、そのうちコネがあるのが5人なので実質5人で3つの椅子を取り合うことになり、残りの9人はかませ犬でしかない、試験問題も嫁さんからばっちり漏洩してもらっている(おいおい 笑) ので自分の採用は9割5分確定している、という彼のBBM(Blackberry Messenger)での報告に対して、僕も精一杯繕って

  • 良かったな、これでお前も晴れてエリートの仲間入りだな

と彼の明るい未来を喜んであげました。もちろん棒読みで。

で、今日のお昼に

  • 会社辞めるの止めます

メッセージが来ました。

聞いてもいないのに、転職を止めた理由は「仕事はじめが来年の7月だから」と意味不明なことを言うし、そもそもいかにも思いとどまった感を醸し出すところが恩着せがましい。

ほっとくと「会社に残ってやったんだから給料上げろ」くらい言いそうな勢いなので、現在の不景気の状況、多くの会社でレイオフされる人が出ていること等を丁寧に説明してあげた上で、これ以上あさっての方向に向かわないように

  • 今は耐えて時期を待て

と諭しました。

なんかこっちが慰留したみたいに形になっちゃったのが引っかかりますが、実際のところ転職止めたのか不採用だったのかは敢えて聞いていません。興味ねーし。

日系企業で働くインドネシア人

ジャカルタでインドネシア人の社員を複数人管理しながら仕事をしていますが、出会いあれば別れがあるように、何かのタイミングで彼ら彼女らは辞めていきます。

辞めた後に彼ら彼女らが何をするかといえば、客先のIT担当として働く者、ジャカルタの同じ業界のライバル会社で働く者、独立して商売をはじめる者、でも失敗してまた同じ業界に出戻るもの、などのパターンがあります。

ちょうど今日、同じ業界のライバル会社で働くかつての部下がBBM(Blackberry Messenger)送ってきまして、かつてこっちで一緒に働いていた同僚とこんどはそっちのライバル会社で一緒に働くようになったとのこと。

(2019年8月追記)一世を風靡したBlackberryはほとんど見かけることはなくなり、インドネシア人のスマホ上でのコミュニケーションはWhatsAppに移行しています。

こういう話を聞くとジャカルタのIT業界も狭いもんだと感じますが、一度日系企業で働いた人は、よほど日本人に対して嫌な思い出でもない限り、次の転職先も「雰囲気に慣れている」日系企業になる傾向が強いので、新しい職場で再会、というのはよくある話です。

実際、客先の担当インドネシア人が突然辞めたと思いきや、別の客先で同じようにシステム導入の担当として付き合うことになったりするのはよくあることで、この場合前のプロジェクトが上手くいっていればプラスに働きますが、上手くシステムがまわっていなかったりすると、後のプロジェクトにまで尾を引きます。

この「日系企業の雰囲気に慣れている」というのはどういうことかと言うと、

  1. 日本人独特のインドネシア語のクセ
    nya(ニャー)とかkah(カー)とかを語尾に付けて角が立たないように伝えようとするインドネシア語の意図を噛み砕いて理解できる。
  2. 日本人が作る相手との距離感
    オフィスのスタッフにも運転手にもオフィスボーイにも人類平等、敬称「さん」付けして距離感を取ろうとすることを理解できる。
  3. 責任の所在をあえて明確にしない
    和を尊び誰か人を責めるより罪を憎むことに共感できる。
  4. 決定に時間と手続きがかかる。
    十分過ぎるほど話し合って議論が煮詰まってから決定されることを我慢できる。

インドネシアにはムシャワラ(Musyawarah)という話し合いによる合議制を重視する風土がありますが、これらの日系企業の雰囲気を理解できるインドネシア人は、日本にもムシャワラの文化に近いものがあると理解してくれます。

ですから欧米系の企業で働いていたインドネシア人の日系企業への転職組は非常に少ないのは十分理解できます。