ゴードンラムゼイ氏、インドネシアの西スマトラでルンダン作りを学ぶ

2020/07/05

パダン料理

インドネシア料理は、素材の味を最大限に引き出す日本料理や、味の上に味を足していくアメリカンな料理とは全く異なる考え方の上に成立しており、素材を煮る、揚げる、焼く、炒める過程の中で、香辛料で味付けすることによって深みを付けていくのが大きな特徴です。

料理バトル番組人気に貢献したラムゼイ氏

ゴードン・ラムゼイ氏(Gordon James Ramsay OBE)は、もともとスコットランド出身の三ツ星レストランのオーナーシェフですが、僕が最初に知ったのは2005年にインドネシアの衛星放送Indovisionで放映されていた「Hell's Kitchen(地獄の厨房)」アメリカ版の中でチーフを務めていた時であり、赤チームと青チームに分かれた若手シェフ達が、毎週ラムゼイ氏から出される課題に即した料理を作り、特別ゲストや視聴者からの審査の結果、最下位の人間が脱落していくという料理バトルのリアリティ番組でした。

1990年代の日本の代表的な人気料理番組である「料理の鉄人」では、和食・中華・イタリアンの世界で名の知れたスターシェフ同志による、プライドを掛けたガチンコバトルの中にいくつもの感動が生まれましたが、「Hell's Kitchen」では癖のある若手シェフ達のチーム内でのいがみ合いが生み出すハラハラ感、チーフであるラムゼイ氏が若手シェフ達を容赦なくボロクソに怒鳴り散らすサディスティック感、追い詰められぐうの音も出なくなった若手シェフ達が最後はヤケ気味、キレ気味に「Yes Chef!!」と怒鳴り返す最後のレジスタンスといった、異常な極限環境の中で生まれる偶然性の面白さがありました。

その後2010年から始まった「Master Chef(天才料理人バトル)」は、アマチュアの料理自慢のシェフ達が、発表された課題に即した料理を作り、ラムゼイ氏を含む3人の審査員に厳しく論評され、毎週最下位の人間が脱落していく番組ですが、番組の性格として「Hell's Kitchen」ほどの暴力性はなく、回が進むごとにシェフ達が成長していく様子が教育上も好ましい番組と認められたのか、参加者を8歳から13歳の子供に限定した「Master Chef Junior」も製作され、幅広い年齢層から観られる人気番組となり、番組の顔としてラムゼイ氏の名前は世界的に有名になりました。

2011年からはインドネシア版「Master Chef Indonesia」も製作され、2020年現在までシリーズが続いていますので、オリジナル版の審査員であるラムゼイ氏も、インドネシアでそこそこの知名度があり、今回ナショナルジオグラフィックチャンネルの世界の料理探索シリーズ(Uncharted「未知」)の中で、パダン料理の人気メニューであるルンダン(Rendang)の調理法を学ぶ旅として西スマトラ(おそらくパダン)を訪問したことが大きな話題となりました。

料理バトル番組「マスターシェフ」で有名なゴードン・ラムゼイが西スマトラ(多分パダン)でルンダン作りを学んで、最後はルンダンオムレツを作っていた。さすがのスターシェフもドリアンは苦手のようです。

香辛料で味に深みを付けていくインドネシア料理の特徴

ルンダンは2017年版にCNN Travelの「世界の料理ベスト50」で1位に選ばれており、2019年版でも11位にランクインするなど、美味しい牛肉の煮込み料理として、日本でもある程度の知名度がありますが、隣国マレーシアとの間でたびたび衣食住に関する文化の剽窃騒動が発生している中で、少なからぬインドネシア人がルンダンもマレーシア料理と間違われることを心配していたこともあり、今回のナショナルジオグラフィックの放送で、ルンダンの故郷が西スマトラであることを世界に認知させることが出来たという喜びのコメントが多々上がっていました。

パダン料理の代表「ルンダン」

1997年9月30日の夜、僕はインドネシアでの最初の晩飯としてジャクサ通り(Jalan Jaksa)のパダン料理屋に入ったところ、注文もしていないのにおっちゃんが勝手に小皿に乗った料理を目の前に積み上げていき、(初日からぼったくりかよ・・・)と呆然としながらも覚悟を決めて「どれが一番のお薦めなの?」と聞いて、勧められて食べたルンダンが激ウマだった時の衝撃は、今も記憶に残っています。

2022年1月現在、Repezen Foxx(レペゼンフォックス)のDJ社長が、「世界一のDJになる」目的の一環でインドネシアに1年間住みはじめ、ジャカルタからYoutubeを更新していくことを公言されていますが、ホテルでの離隔明けにDJ社長がパダン食堂にルンダンを食べに行く動画を見たとき、これを視聴している日本のファンの間でルンダンの知名度が上がることを願った次第です。

「Paling enak di dunia ini!!」の連呼を見て食べたくなったルンダン。2017年のCNN Travel「世界の料理ベスト50」で1位、2019年版でも11位にランクイン、確かに時と場合によっては寿司や焼肉よりも美味しく感じる。

時に「インドネシア料理は揚げ物が多く、すべてにおいて味が単調」と揶揄されがちですが、そもそもインドネシア料理は、素材の味を最大限に引き出す日本料理や、味の上に味を足していくアメリカンな料理とは全く異なる考え方の上に成立しており、素材を煮る、揚げる、焼く、炒める過程の中で、香辛料で味付けすることによって深みを付けていくのが大きな特徴です。

パダン食堂でも"Hidangkan saja ya"または"Tatiang saja ya"と言えば、レストランみたいにたくさんの小皿に小分けしたおかずをテーブルに並べてくれますが、nangkaなどの野菜やcabe hijauも有料となり、manatiang(ミナン語で給仕するの意味)してくれたサービス料金がかかります。

1603年にオランダが、当時のインドネシアの首都バタビアに東インド会社(Verenigde Oost-Indische Compagnie=VOC)を設立した大きな目的が、赤道直下の高原地帯が育む原料を精製した香辛料の確保であり、今回ラムゼイ氏もガランガル(ショウガ科の植物の地下茎)、赤唐辛子、青唐辛子、ニンニクなどの新鮮なスパイスと、ヤシの実の内側の果肉から精製するココナッツミルク(santan)を贅沢に使って料理することに対して「夢が現実になった」と最大限の賛辞を送っています。

Tol Jakarta-CikampekのRest Areaで見かけるRestoran PadangはRM Simpang Rayaが多いが、元々そういう戦略なのか、Tolの運営会社PT.Jasa Margaは国営だが特定の民間企業優遇でコンプライアンス上問題ないのかと思ったが、KFCがなくCFCばかりのTaman Miniの運営会社PT.Taman Wisata Candiも国営だった。

パダン料理の中でもルンダンは値段も高い主役級の存在であり、味付けや肉の柔らかさが店全体の評価基準となるため、大衆パダン食堂やパダンレストランにとって、まず最初に開発すべきなのが絶品のルンダンではないでしょうか。

住友資本EJIP工業団地は今以上の敷地拡張が難しく、既存テナントへのソフトサービス拡充という限られた成長戦略になると思います。昼飯はpeyek udangが絶品のDua Sepakat、ただパダン料理の本場ミナン人技術者曰く『美味しいがジャワ人の味付け』。日本のインド料理店が美味しいという話と重なります。