人間は極端な環境の変化に順応できるほど強い生き物であり、その場に居るときはありがたさが理解できない生き物であり、心細いときほど人の優しさが身にしみる生き物です。2020年から2021年のコロナ禍の影響で仕事が激減する中で、かつてバリ島で会社を解散しニート状態のまま一年間過ごした経験が生かされるとは思いませんでした。
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インドネシアの生活
ネットで何でも情報は収集できる時代ですが、他人からの情報は基本的に点でしかなく、点と点を繋げることは自分の頭の中でしかできません。また新しいアイデアを生み出したり複雑なことを考えるためには、過去の経験に基づく知識が頭に記憶されている必要があります。
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バリ島でのニート生活で学んだ人生の教訓
バリ島時代の日記読み返してみるといろいろ考えることがありました。会社を解散してニート状態で1年間過ごしたときの生々しい心境が綴ってあるのですが、今の多忙な日常からは想像できないような対極にある生活をしていました。
これ、自分で言うものなんですが「底辺までダレ切った人間を社会復帰させる」という臨床心理学の課題に対するサンプル事例として今の自分は役立てる気がします。幸いなことに精神疾患や不適応行動を引き起こすこともなく以下のようなありがたい教訓を得ることができました。
- 人間は極端な環境の変化に順応できるほど強い生き物である。
- 人間はその場に居るときはありがたさが理解できない。
- 人間は心細いときほど人の優しさが身にしみる。
生活のランニングコストを抑えるためにインドビジョンを解約しただけなのに、これをもって自分が隠遁生活に入ったと自虐的に「賞賛」しています。
日記の日付は2007年5月6日で、世間から隔絶されたという被害妄想を綴っています。これでよく生活できていたものだと今更ながら感心しますが、人間一人では生きて行けないという言葉が身にしみて理解できました。
仕事をくれるお客様への感謝の気持ち、社会生活を送る上で大切なことにもかかわらず、つい見失いがちになることだと思います。どんな時でも「ありがたい・ありがたい」と感謝の気持ちを唱えることで心身ともに平穏でいられると、昔タケノコ先生に教わったような記憶があります。
人間誰しも不安でさびしいときは、ささいなことに感動します。ただここまでしおらしく書いているにもかかわらず、今ではすっかり謙遜の気持ちも忘れてついつい傲慢になりがちです。
今となってはこんな生活をしていたという事実が奇跡のようにも思えますし、その一方で明日にでも今の生活を根底からぶっ壊して新たな変化を求めるために行動を起こす、というマグマが自分の奥底にグツグツ煮えたぎっているのも事実です。