日本人は宗教を持たないために霊や魂について真剣に考える機会がなくスピリチュアルワードに弱いのだと思います。キリスト教的価値観では人間は肉体と精神と魂の3つで構成され、人間だけが魂を持つが故に魂を通して神の存在を感じることができます。 インドネシアの宗教 インドネシア人の87%を占めるのがイスラム教ですが、日常生活やビジネスの現場ではカトリックやクリスチャン、ヒンドゥーなどさまざまな宗教に接する機会があります。インドネシアに関わり合いを持って仕事をする人が、さまざまな事象のコンテキスト(背景)の理解の一助となるような宗教に関する記事を書いています。 続きを見る
日本人は魂とか霊とかいう言葉に弱い
「Body and Soul」といえば、昨日の内閣改造に伴う人事で内閣府政務官に内定した自民党の今井絵理子参議院員がメンバーだったSPEEDのデビュー曲であり、インドネシアの老舗女性ファッションブランド名でもあります。
Soulは日本語で「精神」と訳するのが最もしっくりくると思うのですが、精神は感情や意思、思考など、人間だけでなく犬猫などの動物も持っており、この世で生きる上でフル活用するものです。
- 精神=感情+意志+思考
だから「ソウルフル(soulful)」に歌うのは、「感情をこめて」歌っていることになるはずですが、世間一般ではこれを「魂がこもった」と表現する場合が多いと思います。
まあ「魂」と言ったほうが、より大きな超越したパワーを発しているようなインパクトが出るからですが、同じような未知の系統の言葉に「霊」があります。
「全力で頑張ります」よりも「全身全霊で頑張ります」のほうが頑張っている感は強いのは、「霊」という言葉があの世から蘇った見えないパワーを出している感があるからです。
- 日本人は霊とか魂とかスピリチュアルワードに弱い。
近年、子宮系女子とかパワーストーンなどのスピリチュアルビジネスや、科学的根拠に基づかない民間医療や手かざし療法などが横行するのは、日本人は霊とか魂について真剣に考える機会が少ないからではないでしょうか?
本来、日本には山や川など自然界のすべてに宿っている八百万(やおよろず)の神から霊的スピリットを感じ取り、パワーを吸収しようとする土着信仰である神道がありますし、毎年8月中旬のお盆には先祖の霊がこの世に戻ってくることも知られています。
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インドネシアのジャワの神秘信仰と日本の八百万の神
日本の神道は山や川など自然界のすべてに宿っている八百万の神から霊的スピリットを感じ取り、パワーを吸収しようとする土着信仰であり、ジャワのアニミズムkejawenも自然界のそれぞれのものに固有の霊が宿るという似たような信仰です。
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それにもかかわらず日本人が霊とか魂という言葉を売りにしたビジネスにひっかかりやすい理由は、ズバリ信仰心のなさ、無宗教であるからだと考えます。
キリスト教的価値観から見た人間を構成する要素
キリスト教的価値観では、人間はBody(肉体)とSoul(精神)とSpirit(魂)の3つに要素から構成されています。
さらに「健全な精神は健全な肉体に宿る(A sound mind in a sound body.)」という古代ローマの詩を元にした慣用句にもあるように、心の知的な働きをmind(精神)と定義すれば、人間は以下の要素で構成されることになります。
- 英語:Human being = Body + Mind + Soul + Spirit
- インドネシア語:Manusia = Tubuh + Jiwa + Hati + Roh
- 日本語:人間=肉体+精神+心+魂
旧約聖書では神は6日間で天地を創造し、土を捏ね人間の身体を作り生命を与え魂を吹き込むことでアダムが造られたわけですが、この魂こそが人間にとって神の存在を感じることができる部分であり、死んだ後の魂は神(主)の元に帰ります。
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イスラエルの民の歴史である旧約聖書の創世記に記述されるノアの方舟
弊社の社名に付くBAHTERAとの関連性を問われる鯖の押し寿司のバッテラは、ポルトガル語の小舟を意味するbateiraを語源とします。旧約聖書の創世記に記述されるノアの方舟はインドネシア語ではBahtera Nuhになり大きめの船のことをBAHTERAと呼びます。
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宗教的価値観になじみのない日本人が魂と聞くときにイメージするのは、死んだ後に魂だけが幽体離脱して宙をさまようみたいなゲゲゲの鬼太郎的世界観ですが、クリスチャンであるうちの嫁はんは、魂こそが人間の根源的なものであると信じています。
インドネシア語のtubuhは目に見える肉体そのものであり、jiwaはemosi(感情)、kehendak(意思)、pikiran(思考)の3つから構成され、人間だけでなく犬や猫などの動物もjiwa(生命)を持っています。
しかしroh(魂)を持つのは人間だけであり、神が人間を作った永遠で最高の超越した存在であり、人は神になれるはずも無く会うこともできないが、神は確かに存在することを感じとることはできるのはそのためらしいです。
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多宗教国家インドネシアで考える悟りの境地に達するという仏教観
仏教的価値観では、現世で努力と実践を繰り返すことによって涅槃寂静の境地に達し、煩悩から解脱し悩みがなくなる状態こそが悟りの境地と言えるのですが、これは簡単なことではないので、一般の人々にとっては死ぬ前に「いい人生だった」と感じられることが最終目標となるのだと考えます。
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残念ながら宗教心のない日本人である自分には理解できない世界観ですが、宗教について意識して考えることで見識が広まるのはインドネシアに来て良かったと思うことの一つです。