9月30日事件後、共産主義イデオロギーの脅威から国を守るという大義名分で暴動が起きました。スハルト体制の終焉に伴い、中華系インドネシア人をターゲットとした扇動による暴動も発生しました。しかし、2019年の暴動では、同じ手法での扇動が民主主義国家インドネシアでは通用しないことが証明されました。
-
-
インドネシアの歴史年表と時代区分|王朝・植民地支配・独立・大統領政権の全体像
5世紀頃、中部ジャワに仏教のシャイレーンドラ王朝やヒンドゥ教のマタラム王朝が誕生し、ラーマーヤナやマハーバーラタが文化として浸透しました。1602年、オランダは東インド会社を設立し、植民地支配を拡大しました。行政の中心地バタビアは現在…
続きを見る
この記事でわかること
- インドネシアでは、共産主義イデオロギーの脅威を理由に暴動が起きましたが、民主主義の成熟により同じ手法での扇動は難しくなっています。
- 2019年の大統領選挙では、ジョコウィ大統領が再選され、プラボウォ支持者による抗議デモが発生しましたが、暴動には至りませんでした。
- 1998年のジャカルタ暴動では、中華系インドネシア人がターゲットとなり、多くの犠牲者が出ましたが、2019年の暴動では同様の事態は避けられました。
- インドネシアは情報統制から解放され、インターネットを通じて自由に情報を得ることができるようになり、フェイクニュースの拡散が抑制されています。
- インドネシアの民主主義は成熟し、表現の自由が認められることで、特定の人種をターゲットとした攻撃を扇動することが困難になっています。
2019年インドネシア大統領選と暴動:ジョコウィ再選、プラボウォ支持者の抗議と混乱の記録
2019年4月17日にインドネシア大統領選挙の投票が全国の投票所TPS(Tempat Pemungutan Suara)で行われました。約1ヶ月間にわたる開票作業では500人以上の死者が出る過酷な状況でしたが、調査会社(Libang Kompas, Indo Barometer, LSI Denny JA, Median, Kedai Kopi)のクイックカウント結果から、インドネシア最大の穏健派イスラム組織NU(Nahdlatul 'Ulama)が支持する現職のジョコウィ大統領が中部ジャワから東ジャワで票を伸ばし、急進派FPI(Front Pembela Islam)が支持するプラボウォ氏はイスラム色が強い西ジャワからスマトラ島で票を伸ばすことが予想されていました。
政府は2020年12月にFPIを強制解散させ、活動全般を禁止しました。中央ジャカルタ・プタンブランにある本部を閉鎖し、インターネット上の発信も含めて徹底的に取り締まる方針を発表しました。
5月21日、総選挙委員会KPU(Komisi Pemilihan Umum)は大統領選挙の最終結果を発表し、ジョコウィ氏が55.5%、プラボウォ氏が44.5%でジョコウィ氏の再選が決まりました。プラボウォ氏陣営は開票作業に不正があったと主張し、KPUの集計結果を受け入れることを拒否しました。開票結果公表の翌日22日、プラボウォ氏支持者が中央ジャカルタのサリナデパート付近で抗議デモを行い、Tanah Abang地区、Slipi地区、Palmerah地区などで民衆(Massa)または暴徒(Perusuh)と治安部隊(Aparat Keamanan)が衝突し、一般民間人も含めて8名の死者が出ました。
この民衆(暴徒)が政府側の人間なのか、対立陣営側の人間なのか、それとも第三者側の人間なのかは不明ですが、Twitter(X)やInstagramなどSNSを通して治安部隊による発砲、殴る蹴るの扇動的な出所不明の暴力動画が拡散されました。フェイクニュースの拡散を防止する目的で、TelkomselやProxlなどの携帯キャリアーの電波からSNSやWhatsAppなどへの動画、画像のアップロードが制限され、Facebookには全く繋がらなくなりました。25日お昼過ぎにこの制限は解除され、Facebookにも繋がるようになりました。
インドネシア語で抗議デモと治安部隊との「衝突」はBentrokan、「暴動」はKerusuhanといいます。何をもって暴動と定義するかについて、インドネシアでは「車をひっくり返したり火をつけたり勝手に騒ぎを起こす(rame-rame sendiri)」のが暴動とされています。今回の出来事は集団的な略奪(kerampokan)などは発生しなかったものの、一部勢力が扇動して投石したり車に火をつけたりしたので明らかに暴動だとされています。
5月24日夜、プラボウォ氏陣営は憲法裁判所(Mahkamah Konstitusi)に、開票作業にて各地から寄せられた開票結果が操作され、プラボウォ氏の得票が意図的に少なくして集計用のコンピューターに入力されたなど、組織的で大規模な不正があったと異議申し立てを行い受理されました。これにより、大統領選挙の公正性についての審査が行われ、その有効性の有無が法的に判断されることになりました。
1998年ジャカルタ暴動の背景と実態:通貨危機・スハルト政権・中華系迫害の記憶
2019年5月に発生した暴動も、1998年5月のジャカルタ暴動(Kerusuhan Mei 1998)と同様に、社会を混乱に陥らせようという明確な意図を持った特定の集団に扇動された可能性があります。しかし、通貨危機による物価上昇で庶民の不満が鬱積し、貧富の差に対する嫉妬が怒りとなって中華系インドネシア人に向かうよう扇動された結果、略奪や暴行、焼き討ちによって1,000人以上の犠牲者が出た前回の暴動とは規模的に比較になりませんでした。
32年間続いていたスハルト政権では、KKN(Korupsi汚職・Kolusi談合・Nepotisme縁故主義)が蔓延し、1997年7月のタイ通貨危機に連鎖して発生したインドネシア通貨危機(krisis moneter 略してクリスモン)により、燃料(BBM Bahan Bakar Minyak)価格が急騰しました。タクシーに乗るたびに初乗り料金が値上がりしていると錯覚するほどでした。
米(Beras)、砂糖(Gula pasir)、油とバター(Minyak goreng dan mentega)、牛肉・鶏肉(Daging sapi dan ayam)、卵(Telur ayam)、牛乳(Susu)、とうもろこし(Jagung)、灯油(Minyak tanah)、塩(Garam beryodium)、これら9つの生活必需品Sembako(Sembilan Bahan Pokok)の値上がりに一般庶民の不満が募り、スハルトファミリーだけが私腹を増やしているというような、独裁国家ではご法度だった為政者への批判が公然と聞かれるようになりました。連日学生を中心としたデモが国民協議会MPR(Majelis Permusyawaratan Rakyat)前に集結し、政治の不安定と経済混乱からのReformasi(レフォルマシ 改革)を訴える行動がヒートアップしていく中で、特定の集団によって扇動された疑いが強いあの暴動が引き起こされました。
5月13日、当時スミットマスビルのスディルマン通り側が封鎖されてしまったので、裏のSenopati通りに出て車に乗りましたが、前方のMampang交差点に群集が見えただならぬ気配だったので即Uターンしました。大型スーパーGOROから略奪したばかりの戦利品をカートで運ぶ群れを尻目に、ところどころに集結している群集を避けながら徘徊すること4時間あまり、平和的に行進する学生のデモにまぎれてスディルマン通りを北上し、装甲車が行き交う戦場映画さながらの状況の中で無事Kuninganの自宅に戻りました。
その後数日間は政府による外出禁止令が出され、解除されるとすぐにオジェック(バイクタクシー)をチャーターし、最も被害が大きいとされたコタ地区に向かいました。ガジャマダ通りからグロドック周辺の写真を撮って回りましたが、大通り沿いの建物のガラスは投石でことごとく割られ、中華系銀行として標的となったBCA銀行のATMは破壊され、通りの中央を流れるバタンハリ運河(Batang Hari)にバスが突落とされていました。
そしてそのとき撮影していたカメラは、購入したばかりのものでしたが、そのグロドックは建物自体が既に焼き討ちで見るも無残な状態でした。
事例:外出禁止令が解除されると、被害の大きかったコタ〜グロドック周辺をオジェックで回り、投石で割れたガラス、破壊されたBCAのATM、バタンハリ運河に突落とされたバス、そして購入したばかりのカメラで撮影したグロドックのカメラ屋が焼き討ちで無残な姿になっていた現場を記録しました。
要点:1998年5月のジャカルタ暴動では、中華系の商業拠点が組織的に標的とされ、都市の中心部が一気に破壊されたことを示す実地の記録です。
-
-
インドネシアの大統領選挙と歴代大統領の変遷
スカルノからスハルトへの政権移譲は1965年の事件後に行われました。1998年の暴動を機にハビビが大統領に昇格しました。2004年からインドネシアでは大統領の直接選挙が始まりました。
続きを見る
暴動の変遷と民主主義の成熟:インドネシアの歴史に見る民意と流行語の力
スハルト政権退陣後のインドネシアでは、Reformasi(革命)、krisis moneter(金融危機)、Cinta Rupia(ルピアを愛そう)といった流行語が生まれました。これらは国民感情を素直に代弁するものでした。
2019年の暴動では、中華系インドネシア人をターゲットとした略奪は見られませんでした。インドネシアはインフレ率が抑えられ、国民の所得水準も向上しています。民主主義の下で表現の自由や知る権利が認められ、不満が鬱積しにくい環境が整っています。これにより、特定の人種をターゲットとした攻撃を扇動することは難しくなっています。
当時は情報統制された独裁政治の下で、政府にコントロールされたメディアの情報に民衆が影響されやすい状況でした。しかし、インドネシアは民主主義国家としての経験を積み、インターネットで政治経済情勢や過去の歴史についての情報を取捨選択できる環境が整っています。1998年当時とは環境も国民の知的レベルも異なり、同じ規模の暴動を扇動することは難しいでしょう。
インドネシアの初代大統領スカルノ政権後期には、インドネシア共産党PKIが党員500万人、共産主義青年団300万人、支持者1000万人という巨大な勢力に成長し、スカルノ政権を支えていました。
1965年9月30日、左派の大統領親衛隊が陸軍トップ6人を殺害し、革命評議会によるクーデターを企てましたが、これをスハルト少将が制圧しました。その後、共産党勢力の一掃を図るための「赤狩り」が行われ、100万人規模の犠牲者が出ました。
事例:1965年の9月30日事件後に発生した共産党支持者の虐殺は、共産主義イデオロギーの脅威から国を守るという名目で行われたものでした。1998年5月の暴動はスハルト独裁体制の終焉に乗じて中華系インドネシア人をスケープゴートとした特定の集団が扇動したものでした。
要点:2019年の暴動は、同じ手法で社会を扇動しようとしたものの、民主主義国家となったインドネシアでは通用しなくなったことを示しています。
-
-
インドネシア共産主義と9月30日事件の影響
9月30日事件はスカルノ大統領を支えた共産勢力のパワーバランスを崩しました。スハルト政権下でインドネシアは完全に反共産路線に傾きました。PKIはかつて世界で三番目に大きな共産党でした。
続きを見る
歴史の過渡期には秀逸な流行語が登場する
インドネシアの革命と言えば、初代大統領スカルノ氏から第二代スハルト氏に変わった1965年の9月30日事件が有名ですが、1998年のBBM値上げをきっかけに激化した学生運動とそれに乗っかった暴動でスハルト政権が退陣したReformasi(革命)が挙げられます。この時期に暴動に巻き込まれたり、軍や警察の発砲によって犠牲者が出たことは、悲しい出来事として記憶に残り続けるでしょう。しかし、観光客気分の抜けない外国人である私には事の重大さは理解できませんでした。
日本でPUFFYの「アジアの純真」を聞きながら「どこかアジアで仕事してみたい」というワクワク感を持ってやってきた私にとって、不謹慎を承知で言わせてもらうと、スディルマンを行き交う装甲車を見ても、投石でボコボコになった商店街を見ても「アジアってすごい」と気分が高揚するだけでした。客先の銀行からクニンガンまで暴徒を避けながら逃げた時も、暴動の翌日にオジェックをチャーターしてコタの投石と略奪状況を見物に行った時も、アトマジャヤ大学前のデモ見物中に警察が突然発砲しだしてノートPCで頭をかくしてビルの裏に逃げた時も、不謹慎承知で実際楽しくて仕方なかったのです。今だったら怖くて国外脱出しているかもしれません。
インドネシアの流行語は国民感情を代弁する秀逸なものばかりだと思います。Reformasi(革命)の後にKrisis moneter(金融危機)がやってきて、国が傾きかけたときに自然発生した3つ目の流行語がCinta Rupia(ルピアを愛そう)です。
2025年8月インドネシア全土で暴動拡大 物価高騰や税率アップによる庶民の生活苦と対比される階級特権に対する反発
2025年8月末、インドネシアではDPR(国民議会)の政治家や役人などの階級特権に対する不満が高まり、物価高騰や税率アップによる庶民の生活苦が重なり、ジャカルタを皮切りにバンドゥン、マカッサル、ジョグジャカルタなどでデモが広がりました。このデモは一部の扇動者によって市庁舎への放火やDPR議員、財務大臣の個人宅の略奪に発展しました。31日には、私が住むブカシの市警察署も襲撃され、スマレコン地区に侵入した暴徒を住民有志で追い払う様子がSNSで確認されました。
インドネシアはASEAN最大の経済大国であり、私が初めて訪れた1997年には一人当たり名目GDPが約1,000ドルだったのが、2024年には5,000ドルに成長しました。しかし、庶民の生活水準はマクロ経済的な数字ほど改善しておらず、特権階級がKKN(汚職・収賄・縁故主義)によって蓄財していく様に対する怒りが高まっています。インフレや物価上昇を考慮したルピアベースの実質GDPは2倍弱にしか成長していないためです。
景気低迷の要因として、2017年の米中貿易摩擦の影響が考えられます。中国からのアメリカ向け輸出が減少する一方で、インドネシアが代替市場となり安価な中国製品が流れ込み、国内製造業を圧迫しました。インドネシア最大の繊維製造メーカーである中部ジャワのSritexが2025年3月に操業停止に追い込まれ、10,000人以上の解雇が行われました。繊維、電子部品、自動車部品などの製造業が中国製品との競争を強いられ、業績悪化による減産・閉業が相次ぎ、失業者が増加しています。
大規模デモ初日に、中央ジャカルタでデモを鎮圧する警察特殊部隊BRIMOBの車両にGojekドライバーがひき殺されたことが国民の怒りを煽り、一部扇動勢力に利用されました。今回の暴動は市民団体、労働団体、学生団体による自然発生的な扇動や、ジョコウィ政権2期10年に渡って優遇された警察に対する国軍が仕掛けた扇動など、様々な詮索がなされています。略奪映像につくコメントの多くが怒りに満ち、「略奪に遭って当然」といった雰囲気があり、過去の暴動時に感じられた『インドネシア人庶民の良心的感覚』が希薄で非常に不気味です。国民の怒りが本物であるとしても、混乱が長期化することで民間企業による解雇が増え、インドネシア経済をさらに停滞させることが懸念されます。