インドネシアのキリスト教徒は人口の3%弱を占めるカトリックと、7%弱を占めるクリスチャンと分類され、クリスチャンとは正確にはKristen Protestanと呼ばれる宗教改革後に分裂したプロテスタントを信仰する人々であり、礼拝時に歌われる讃美歌もカトリックとは異なり現代のポップミュージック調です。
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インドネシアの宗教
インドネシア人の87%を占めるのがイスラム教ですが、日常生活やビジネスの現場ではカトリックやクリスチャン、ヒンドゥーなどさまざまな宗教に接する機会があります。インドネシアに関わり合いを持って仕事をする人が、さまざまな事象のコンテキスト(背景)の理解の一助となるような宗教に関する記事を書いています。
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カトリックとクリスチャンの違い
うちの嫁はんは本来カトリック(Katolik)ですが、最近偶像崇拝に疑問を感じだしてクリスチャン(Kristen)の教会を見学するようになり、しまいには洗礼(baptis)まで受けてしまいました。
信仰ってそんなに気軽に変えてもいいのなんでしょうか?
僕と嫁はんが結婚した当時はバリバリのカトリックだったのですが、神父さんが書類を間違えて何故かクリスチャンで登録されているというロークオリティーです。
インドネシアのキリスト教徒は一般的にカトリックとクリスチャンと分類されますが、クリスチャンとは正確にはKristen Protestanであり、プロテスタントの人は自分を「クリスチャンです」と言います。
紀元前から既に信仰が広まっていたユダヤ教から、西暦元年にキリスト教カトリックが分派し、16世紀に聖職者による教会建設という名目での免罪符の販売など、退廃した行状に対して反発したマルチンルターによって起こされた宗教改革をきっかけに、カトリックからプロテスタントが分裂しました。
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多宗教国家インドネシアで死んだ後の天国への帰り方と地獄への逝き方
インドネシア人が無宗教の日本人に「死ぬとき不安じゃないの?」と聞くのは「現世で何をすれば地獄じゃなく天国に帰れるのかを知らないで過ごすなんてあり得ない」と言っているわけで、イスラム教もキリスト教も天国に帰るか地獄に逝くかの審査は似たようなものだが天国に行っても格差はあるとのことです。
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カトリックの洗礼では水を浴びせるくらいの軽い儀式なんですが、クリスチャンの場合はプールで牧師に本格的に沈められます。
水に沈んで1回死んで、水から起き上がって生まれ変わる、という意味らしいのですが、洗礼が終わって迎えに行ったら
と握手を求めてきたのにはちょっと引きました。
ちなみに日本で一般的に聖職者のことをカトリックでは神父、クリスチャンでは牧師と呼ぶようですが、インドネシアではカトリックはRomo(ジャワ語)、クリスチャンはpendeta(オランダ語起源)またはgembala(呼称的に使う)、両方通用するのがpastor(英語起源)、非常にややこしいです。
クリスチャンのミサは日本人的にはドン引きする
関係ないですが、僕は幼稚園のクリスマス会で主役のヨセフ役に抜擢された演技派であり、練習が始まってから毎日のように周りのガキども(お前もな)から、マリア役の女の子と「ヒューヒュー熱いよ、熱いよ」とからかわれるのが辛くて、もみの木役とかトナカイ役とかにしとけば良かったと後悔した苦い記憶があります。
僕も結婚するときの書類上は一応クリスチャンになっておりますが、先祖は浄土真宗東本願寺大谷派という仏教のお寺に眠っておりますので、神様が競合しないようにという理由で、基本礼拝には付き合いませんが、一応インドネシアでカトリックとクリスチャンの日曜ミサには何度か参加したことがあります。ジャカルタにあるカトリックの教会で有名なジャカルタ大聖堂(Gereja Cathedral)とか、サリナデパートの近くのテレシア教会(Gereja Theresia)とか、バリ島クタのSt.Fransiskus Xaveriusとか行きましたけどだいたいどこも同じです。
賛美歌を歌うコーラス隊の歌唱力は教会によって差があるとはいえ、基本厳粛な雰囲気の中で粛々と行われます。
一方でクリスチャンの礼拝は、歌あり踊りあり余興ありのノリノリのパーティー感覚で行われ、牧師の説教も初代林家三平の落語並に激しくキレキレです。
クリスチャンの場合、この説教の上手さが重要であり、カリスマ的な牧師が芸能人並みに写真付きで紹介されるのは、イスラム教の説教に近いものがあります。
余興と言ったら罰が当たりそうで怖いですが、このクリスチャンの礼拝の中では牧師による奇跡の実演があり、迷える子羊達を空気砲で吹き飛ばしたり、気絶させたり、泣かせたりします。
日本人的にはドン引きする内容ですが、たぶん信じている人には効果がある、一種の催眠術ではないかと疑っています。
プロテスタントクリスチャンの讃美歌
プロテスタントクリスチャンの賛美歌と言えば、かつてウーピー・ゴールドバーグ主演の「天使にラブソングを」でゴスペルが一躍有名になりましたが、世界的にはアメリカンポップっぽい現代的な旋律の歌が流行のようです。
今、賛美歌界で世界中から注目されているらしいオーストラリアのヒルソング教会(Hillsong Church)の賛美歌バンド「ユナイテッド(United)」のジャカルタ公演が昨日の夜、Kota Kasablanka Hallで開催されました。
賛美歌界とか言われてもなんのこっちゃと思うかもしれませんが、インドネシア全土のクリスチャン達の間では「あのHillsong Unitedがジャカルタに来るよ」と、数ヶ月前からザワついていたくらいです。
前方の立見席40万ルピア、後方の椅子席100万ルピアと決して安くはないチケット料金ですが、5000人収容のホールは超満員でした。
聴衆の9割方は中国系インドネシア人であり、先日のパリのテロ事件の影響もあってか会場の外は警察と軍関係者による警備がものものしくちょっと緊張しました。
僕は嫁さんと立見席から観ましたが、ぎっくり腰再発という爆弾をかかえる身として2時間半立ちっぱなしはさすがにキツかった。
ただ曲は悪くないので、僕みたいに全く宗教に関心のない人間でも結構ノリノリで、途中で曲に合わせてジャンプとかしちゃったりしたくらいです。
5000人が曲に合わせてジャンプするもんだから、床が突き抜けるんじゃなかろうかと心配したくらい揺れていました。
英語の歌詞を意識しなければ普通の外タレのコンサートと変わりませんが、明らかに様子が違うのは
- 最初から最後まで全曲聴衆も一緒に歌うえるように歌詞がスクリーンに表示される。
- 聴衆は歌いながら手を天にかざす、胸の前に手のひらを差し出す、そして祈る
- 曲の合間のトークが牧師のミサっぽい
バンドの歌唱力も演奏力も良くて十分楽しめましたが、次はもういいかなあ。。。
僕は特に信仰のない人間ですが、日本に居た頃はインド古典音楽のファンであり、カッワーリーというイスラムの宗教歌も大好きです。
信仰はなくとも宗教歌を芸術として楽しむことはできますが、好き嫌いの基準はただ一つ、それを聴いて泣けるかどうかだけであり、残念ながらクリスチャンの賛美歌では今のところ泣けない、魂を震わすようなカトリックの古典スタイルのほう泣けます。