沈黙は金という言葉に価値があるのは日本だけで、インドネシアではシャイで寡黙な人は単にSombong(傲慢)な人と誤解されますので、若干勇気を出しておしゃべりしたほうがいいです。
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インドネシア生活における思考と感情
人間は弱い生き物ですから感情に支配されて勘定の赴くままに意思決定したり行動したりするものですが、結果は得てして非合理的なものになりがちなので、相手の感情を汲み取りながらも自分は感情に流されない合理的な思考訓練が重要だと考えます。
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インドネシアで寡黙な人は誤解されやすい
インドネシア人はおしゃべり好きが多いというのは在住者ならだれでも感じることだと思いますが、日本人には多い「寡黙な人」はインドネシアには少ないし、悪気はなくともSombong(傲慢)な人だと思われてしまいます。
僕も本来寡黙な人間ですが、Sombongだとは思われたくないので、インドネシア人に対しては勇気を出して、興味もない天気の話や日本だと引かれそうなオヤジギャクをかましたりするんですが、本意ではないことを無理やりやろうとすることは結構苦痛です。
WhatsAppとかLINEとかでメッセージのやりとりする場合も、日本人が相手の場合はメッセージが着いたら、相手に「メッセージを入力中です・・・・」が表示されていなければすぐに返信しますが、インドネシア人の場合は15秒くらい間隔を空けて、相手が「言いたいことを言い切った」ことを確認してから返信します。
相手が間合いを考えず立て続けに分割メッセージを送ってくる場合には、こっちが間合いを整えてあげないと会話が成立しません。
僕のインドネシア人の部下で、1,000文字くらいのメッセージを小分けにして投下してくるヤツが居ますが、インドネシア語でそんな長文読まされるのは苦痛なので、仕返しにそいつへの返信は「Ohh」か「Iya」の一言で片付けます。
長文ごくろうさん、みたいな。
みんなしゃべりたいのであって人の話は聞きたくない
ただ本来は言いたいことをしゃべりたいという欲求はインドネシア人に限らず万国共通であり、それを我慢して相手との間合いをどの程度読むかの差であり、胸の中に溜め込みすぎて逆恨みするよりも、全部吐き出してすっきりしたほうが健康的だと思います。
要は皆しゃべりたい、メッセージを発したいのであって、人の話ってそれほど聞きたくないんじゃないでしょうかね?
だから仕事の打ち合わせとかでも、相手の信頼を得るために自分の専門知識を披露して「どうだ、すごいだろ」みたいなのはマイナスでしかなく、相手は本当は自分でしゃべって思いのたけを吐き出してそれを聞いて欲しいと思っている可能性大です。
システムの仕事をしていると、相手から信頼されるために業界知識を披露しがちになりますが、むしろ「自分はよく判らないので教えてくれませんか」みたいなスタンスでいったほうが打ち合わせがうまくいくような気がします。
ただあまりに判らないと甘えすぎると、相手によっては自爆する恐れがあります。コイツ何も知らねーな、みたいな。
これまで対人関係で数え切れないほどの失敗をしてきましたが、だいたい自分の「一言多い」が原因であって、コミュニケーションがうまくいったかどうかの基準は「どんだけ相手がしゃべってくれたか」に置くのがいいんじゃないかと思います。
人生で訪れる大きな決断の時
誰でも人生の中で大きな決断をするタイミングが必ず何度か訪れると思いますが、大人になって親に頼らず自立した生活ができるようになった後に訪れるのが本当に大きな決断だと思います。
金銭的に誰かに依存した状態で100%自分の意志で決断することは環境が許さないケースが多いと思われます。
僕の場合の最初の大きな決断は就職。
金融機関に就職する人が多い環境で全く色違いの業界、しかもスキャンダルで傾きかけていた銀行の子会社という傍からみたら最悪の選択をしたのですが、日頃の言動や行動から考えて特に周囲から見て違和感なかったかもしれません。
次がジャカルタに転職した時で、3度目が会社辞めてバリ島に引っ越しを決めたこと。そして直近がジャカルタに出戻ったこと。
当時は名誉ある撤退とか負け惜しみ言っていましたが、先日バリ島を訪問して、あのまま昔のビジネスモデルで食べていくのはキツイかなーと改めて感じましたから、決断して良かったと思います。
大きな決断をする時はまず一人で悶々と悩むと思いますが、結婚してからは一人で悩むと疲れるので嫁はん相手にひたすら思いのたけをしゃべりまくることで腹の中の思いを全部出し切った後に、はじめて自分が何をしたいのか、具体的な実現手段は何なのか、そのための費用はいくらくらいかかるのか、実行することで周りにどんな影響があるか、などを考える余裕が出てきます。
嫁はんからすれば迷惑な話かもしれませんが。
言葉にして伝えることの大切さ
以前日本在住の嫁はんの友人に言われたことがあります。
どんなに心の中に思っていても、何かの形で表現しないと自分もよくわからないし相手にも当然伝わりません。その心の思いを表現する手段が言葉であったり音楽であったりする。
だから音楽でどうやって思いを表現するかを一生懸命追求するミュージシャンというのは、僕の一番憧れる職業なのですが、歌で聴き手の心を揺さぶるという目的が同じなら「人間関係に悩んで」とかよりも「カフェの店員に一目惚れ」とかのほうが聴いて心地よい。
中島みゆきのすごいところは、悲壮感一杯の歌詞を独特の陰陽のある歌い方をによって、壮大な愛で包み込んでしまうことだと勝手に思っています。
頭の中で自分の思いを完結させて、最善の選択ができる人は、プロ棋士みたいに何十手先読みできるような特殊な職業に就いている人だけであり、普通の人は口に出して言うか文章化するかしないと、考えていることはまとまらず堂々巡りの無限ループになりやすい。
人に教えることが自分にとって一番の学習の機会になるといわれますが、どんなささいな内容であっても、それが社会的価値が小さいものであっても、外に対して自分の思いを発信することが、自分にとっては非常に意味があることなのです。