インドネシア生活で危険を感じた出来事の振り返り

2017/04/28

ジャカルタ

日本人が普通に生活している分には凶悪犯罪に会う可能性は極めて低いですが、スリ、置き引き、強盗等の犯罪者は日常生活のどこにでも居るのがジャカルタなので、外を歩く際にはゴルゴ13並に前後左右に常時警戒を怠らないほうがいいと思います。

歩道橋の下で集団強盗に合った思い出

先日自分の部下が電車内でスリに合いまして、リュックを20cmほどきれいに切り裂かれており、スマホは抜かれたようですが、幸いKTP(身分証明証)とかSIM(運転免許証)の入った財布は無事だったようです。

彼は同じ手口でスマホを抜かれたのがこれで2回目らしく、電車の中で油断しやすいという本人の資質を考慮しても、見ごとなスリの仕事です。

実際のところ満員電車やバスの中やモールの人ごみの中でカミソリで切り裂くというのは、インドネシアのスリの典型的な手口であり、昔バスの中で売上金盗まれたと泣いていたおじさんのリュックも、縦方向に一線切り裂かれていました。

スリや置き引きは軽犯罪に該当すると思いますが、インドネシアでは仮にその場でドロボウが捕まった場合、周囲の人は免罪符を得たかようにボコボコに殴ってもOKみたいな風潮があります。

盗むほうも命がけであり、実際客先の工場のインドネシア人が「昨日隣に泥棒が入ったので殴り殺してやったよ」と涼しい顔で物騒なことを言うのを聞いたことがあります。

MRT工事が始まる前のThamrin通りのデモの写真

MRT工事が始まる前のThamrin通りのデモの写真。当時はまだ歩道橋がありました。

先月3月頃に日本大使館から歩道橋付近でスリの被害が出ているといった注意喚起のメールが来ていました。

歩道橋を降りたところは意外と死角になっており、僕もインドネシアに来てすぐの頃Plaza Indonesia前の歩道橋を降りたバス停前で、集団強盗にあったことがあります。

ちょうどCitiBankのATMから現金7juta引き出した後で、ポケットに詰め込んだまま歩道橋を上ろうと、手前のバス停に差し掛かったとき、バス待ちの人がたくさん居ることに気づきました。

その瞬間、いきなり彼ら全員が振り向き、そのうちの一人から口を塞がれ、足をすくわれ、周囲に人垣を作られ、ポケットに手を突っ込まれて現金を抜き取られようとしました。

そのときは運よく札束の上にエリクソンの携帯電話を入れて、ポケットから抜けないくらいパンパンにしてあったので、一銭もとられる間もなく10人ほどの集団全員がまさに「クモの子を散らすように」という表現がぴったりなくらい逃げていきました。

現金は取られませんでしたがズボンがビリビリに破れたのと、いとも簡単にひっくり返されたことに対する屈辱感で相当落ち込みました。

それ以降街を歩くときには「外に出れば、七人の敵がいる」というくらいの勢いで、前後左右チラチラ振り返りながら歩くという若干怪しいクセがつきました。

 

(2019年8月追記)自分が集団強盗に合ったバス停前の歩道橋は、MRT開通により撤去され、信号付き横断歩道に生まれ変わっています。周囲からの見通しもよくなり昔のような危険な雰囲気は感じられません。

インドネシア生活事件簿

この事件は思い出すだけでも胸糞が悪くなりますが、強いて前向きに考えればインドネシアに来て早々に集団強盗に合ったのが幸いしてか、その後危険な目に合うことが数えるほどしかなかったと言えるかもしれません。

  1. Mangga Duaでタクシーに乗り込む際にPereman(チンピラ)に囲まれた
    タクシーに乗り込む際に縄張りとして仕切っているPremanに5,000ルピア払うのを拒否したら、5~6人に囲まれそうになって小額紙幣数枚ばら撒いて逃げました。
  2. Tanah Abangの按摩屋でPeremanどうしの抗争に巻き込まれる
    投石合戦という原始的な戦いに巻き込まれて、飛び交う石がガラス窓を粉々に破壊する様子に生きた心地はしませんでした。
  3. Atma Jaya大学付近の学生デモ見物中に軍が発砲
    1998年に学生が数人犠牲になった有名な事件で、間近で銃声を聞いたのは初めてだったのでノートPCで頭を隠してビルの後ろに逃げ込みました。
  4. Bali島Sanurのブティックで解雇した従業員の親戚一同に殴りこみをかけられた時
    刺されてもいいようにシャツの中に雑誌を入れて、足元に洋服陳列用の鉄パイプ隠してましたが、リアルで一番怖かったのがこれかも。

お手伝いに仕入代金7juta盗まれたとか、部屋に入れた女の子に色仕掛けで20万ルピアほど盗まれたとか、カーゴ業者にだまされて他人の船代まとめて払わされたとかの詐欺や軽犯罪であれば、これまでに何度経験したか数知れません。

しかし長年インドネシアに居ながら身の危険を感じる事件が数えるほどしかなく、しかも全部自業自得というのはある意味ラッキーだったと言えるのかもしれません。