かつて有効だった日本とインドネシアの間の情報格差を利用したビジネスであるタイムマシン経営は、インターネットが普及し情報がフラット化されたことにより、タイムラグ短縮してしまった現在では通用しなくなりました。 インドネシアのビジネス インドネシア市場でのビジネスで重要な要素は価格とブランド、コネの3つと言われますが、必ずしもこれらを持ち合わせない日本人はどのように戦えばよいのか。これはインドネシアに関わり合いを持って仕事をする人にとっての共通の問題意識かと思います。 続きを見る
インドネシアと日本の間で可能なタイムマシン経営
今年4月に一時帰国したときに再認識したことは、月並みですが「日本のご飯がいかに美味いか」ということでした。
成田から福岡空港に夜8時頃到着し、なんでもいいから取り合えず飯食おう、と入った空港の洋食屋のとんかつがあり得ないくらい美味い、特に日本の白ごはんは格別ですな。
ジャカルタではあまり日本食屋に行くほうではないのですが、いや日本人ですから吉野家には当然行きますが、吉野屋はもう日本食の枠を飛び越えて、インドネシアのソウルフード化しつつあると思います。
Hoka Hoka Bentoのように独自進化するのだけは勘弁してほしいですが、日本の食文化がインドネシア人に受け入れられている光景を見ると素直に嬉しいです。
タイムマシン経営とは今では使い古された言葉になりましたが、要は先進国と後進国との間にある流行のタイムラグを利用して、先進国での成功例を後進国で実践するビジネスモデルです。
ジャカルタ在住日本人の間の酒の席で「日本の成功例をジャカルタに持ってきて一儲けしよう」と盛り上がった経験は一度や二度じゃないでしょう。
日本人が日本とインドネシアとではどちらが起業し易いか、といえば事務的手続きで言えば、間違いなく日本のほうが簡単かつローコストで起業可能でしょう。
最近インドネシアは外国人一人当たりの最低資本金が上がったり、就労ビザの取得条件が厳格化されたり、外資規制の雰囲気が強まっているくらいですから。
ただこれはインドネシアに数年滞在しインドネシア特有の事情を知った人がリスクとして考えるマイナスの側面であり、日本からインドネシアでのスタートアップを考える人にとっては、広大な未開の潜在市場に参入するためのほんのささいなハードルかもしれません。
ハードルの向こうには広大な更地が見えるはず。
日本で生まれたネットベンチャーのタイムマシン経営の親モデルはアメリカの最先端ネットビジネスが中心でしたが、果たしてインドネシアにとってのタイムマシン経営のモデルは日本の成功例なんでしょうかね?
そもそもタイムマシン経営という手法がどれだけ有効なんでしょうか?
僕の部下(女性)がドラえもん大好きでBBM(BlackBerry Messenger)のプロフィール写真がドラえもんになってるんですが、そういえば未来の国からMesin waktuに乗って来たネコ型ロボットでしたね。
情報のフラット化によりタイムラグが短くなるとタイムマシンの価値が下がる
僕は8年前までバリ島でインドネシアの家具や雑貨の輸出の商売をしていたことがあるのですが、このときは日本とインドネシアのモノと情報の距離感・タイムラグを利用したビジネスモデルでした。
簡単に言えば「日本にはモノも情報も少ないインドネシアの商材を扱うビジネスをされる方々へのお手伝い」であり、ネットショップブームとアジア雑貨ブームに乗ってそれなりにうまくいきました。
ところがこれがうまくいくのは「日本にはバリ島のモノも情報も少ない」という条件付きであり、バリ島旅行人気に火がつき、旅行者が現地でエスニックな家具やバッグと出会い、誰にでも簡単にネットショップが開設できる、という時代の進歩とともに、僕のビジネスモデルは斜陽に向かい始めました。
インターネットの普及に伴い情報がフラット化し、中小零細同業他社が乱立し市場が出来上がったところに、後発の大手が参入し先発零細を駆逐していく、という典型的な負けパターンにはまるわけです。
かつて日本でタイムマシン経営と言われていた10年ほど前に比べて、今はタイムラグがほとんどなくなっていますので、時代の先読み能力とアイデアを形にする開発力のあるスタートアップにとっては、後発大手が来ても駆逐されないような強固なビジネスモデルを築けるように、初期段階から支援するインキュベーターやシードアクセラレーターの金融力が重要になってきます。
つまりこれって日本と同じような状況になりつつあるということではないのでしょうか?
アメリカで生まれたキックスターターのような資金調達サイトが日本でREADYFORのようなネットベンチャーとして生まれていますが、なにせ前述のとおりタイムラグが短いために、本家のアメリカで発生しているクラウドファンディングという資金調達モデル自体の成熟過程の問題が、そのまま日本で発生することになります。集めるだけ集めてドロンというやつです。
日本の過去を基準に考えたインドネシアの未来予測というタイムマシン的発想が通用しなくなっているのが今の現状だと思います。
「インドネシアにまだないもの」という発想までは間違いないとして、今の時代にはその先の持続的成長モデルをいかに構築するかに、経営者の方々は知恵を絞られていると思います。
City Walkのパパイヤで買い物ついでに「越後屋」か「ばり馬」どっちに入ろうか、と選べるなんて本当幸せな時代になりました。
かつては毎週土曜日に協栄プリンスビル(現在のWisma Keiai)にとんこつラーメン食べに行くのが唯一の食の楽しみ、という時代もありましたから。。。
インドネシアでタイムマシーンと言えば真っ先にドラえもんのMesin waktuというくらい、ドラえもんは日本とインドネシアの草の根友好に貢献していますが、僕の場合真っ先に思い出すのはhitomiのplastic time machineという曲です。
バリ島内をクタからウブドゥ、ウブドゥからトゥガナンへ北へ南へと奔走していた頃、車中で繰り返し聞いて不安になりそうな自分を勇気付けてくれました。