人間の行動は脳が感情と思考をコントロールした結果であるということ

2020/09/24

インドネシアの小学生

人間は感情と思考という二大要素を存分に発揮して生きていくものですが、その感情と思考をコントロールするものが脳であり、感情と思考の働きの結果が行動となって表れるという事実は、うつ病や適応障害、依存症などの現代病の患者と向き合う際に注意すべき点を理解する上で重要です。

ジャワ

インドネシア生活における思考と感情

人間は弱い生き物ですから感情に支配されて勘定の赴くままに意思決定したり行動したりするものですが、結果は得てして非合理的なものになりがちなので、相手の感情を汲み取りながらも自分は感情に流されない合理的な思考訓練が重要だと考えます。

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依存症患者と接する上で重要なこと

人間は感情と思考という二大要素を存分に発揮して生きていくものですが、その感情と思考をコントロールするものが脳であり、感情と思考の働きの結果が行動となって表れるという事実は、うつ病や適応障害、依存症などの現代病の患者と向き合う際に注意すべき点を理解する上で、一番重要なポイントだと考えます。

僕の親族にもパワハラを受けたことで適応障害になり、特定の建物に近づくだけで動悸や吐き気に襲われる人が居ますし、先日二度目の逮捕をされたジャニーズの元メンバーも、酒を止めたくても脳が酒を求めて感情に指令を出すため止められないというアルコール依存症で、脳が正常に機能しなくなる病気です。

一時期、うちのアパートに引き取っていたサタン(悪魔)に取りつかれた義妹が、部屋に籠って神やサタンと一人で会話する光景は異様でしたが、無宗教という立場の人間として言わせてもらうと、彼女はサタンに取りつかれたのでも何でもなく、幼い頃に傷ついて心の奥底に眠っていたトラウマが、なんらかの強烈なストレスで突然暴れだし、深すぎる信仰心故に脳の働きが神にすがることでしか安心感が得られないという、神(イエスキリスト)への依存症だと思います。

僕も以前はこういう現代病と言われるものは、単純に根性が足りないから、意思が弱いから、理性的に考える能力が低いからなどと切り捨てていましたが、近隣者が疾患したことで情報を収集するようになり、はじめて深刻な病気であることを理解したくらいですから、世間一般の認知度はもっと低いものと想像します。

ツイ廃、Youtube中毒、ネトゲ廃人など、程度の差こそあれ現代社会では誰もが依存症になるリスクを抱えており、これはパチンコや競馬などのギャンブルと同じく行為依存(プロセス依存)と呼ばれ、アルコールや薬物の摂取によるものは物質依存と呼ばれますが、両者とも脳が刺激を求めて行動を起こさせている点では同じであり、違う点といえば行為依存は物質依存ほど身体を壊さないことくらいです。

依存症者本人の阻喪(そそう)の尻ぬぐいをしたり、正論で諭したり指導する行為はイネイブリング(助長する行為)となり逆効果であり、家族も病人のことで頭がいっぱいになり疲れるので、適度に距離を取りまずは自分の日常生活をキチンと整えることが重要であり、自分の生活に余裕が出来ると相手の問題に上手く対処しやすくなります。

悪魔に取りつかれた義妹を一時期アパートに引き取り共同生活をしていた時、「教会に行きたい」というのでこっちは準備して待っていると本人は部屋でボーっとしていっこうに準備をしなかったり、「寿司が食べたい」というので和食屋に連れて行ったら食欲がないと言い出したり、「ヨーグルトが食べたい」というのでわざわざ買いに行ってあげたら結局食べずに捨てたり、「居候の分際でなんだコイツは!」と怒りを抑えることの連続でした。

脳が感情や思考を正常にコントロールできなくなると、意味不明な独り言を言ったり、ケラケラ笑ったり、横柄な態度を取ったりするようになり、こちらにも感情がありますから頭に来るわけですが、相手は脳が正常に身体をコントロールできない状態であることを理解し、暴力行為や他人に迷惑をかけるような一線を越える行為をしない限りにおいて理解してあげる寛容さが必要かと思います。

依存症のメカニズム

今はアフターファイブに会社の同僚と飲みに行くより、プライベートはきっちりと分けてジムに行ったり勉強したりするような意識高い系の人が多いのだと思いますが、僕が新卒入社した1990年代中盤は業後に会社の人と終電ギリギリまで飲むのが普通で(会社にもよると思いますが)、しかも寮住みだったりすると土日も会社の人と飲み会三昧で、学生時代の延長みたいな感覚でした。

新卒入社時、平日は毎晩同期と飲み会、土日も寮で飲み会、もともと酒弱いのに毎日飲むと体が慣れて量飲めるようになり、なんか気が大きくなって益々飲むようになるという。あのままいったら体壊すか依存症になっていた気がする。山口メンバーのニュースはとても笑えない。

家系的に酒を飲むとすぐに赤くなりビール一杯で眠くなるレベルだったのが、毎日休む日もなく(当時休肝日という概念はなかったはず)浴びるように飲み続けるとそこそこ飲めるようになり、酒に弱いというコンプレックスが克服されたようで嬉しくて、飲むのが楽しくて仕方がない状態でしたが、今では体質的に酒が飲めない人間が飲み続けることが肝臓に大きな負担となることは科学的に証明されています。

アルコール依存症のメカニズム

  1. 酒を飲む。
  2. 報酬系と呼ばれる脳の回路が刺激される。
  3. 効果が表れる。
  4. 効果を記憶した脳はちょっとしたきっかけで飲めと命令する。
  5. 脳は依存対象の刺激に慣れてちょっとの刺激では反応しなくなる。
  6. より強い刺激を求めて摂取量・頻度が増加する。
  7. 効果が切れると不快な感覚が出現。
  8. これを避けるためにまた摂取。
  9. 1に戻る。

このループを何百回か繰り返すと体を壊すんでしょうが、僕の場合は酒の席で会社の先輩やお客さんにまで迷惑をかけることがあったので、仮にあのまま同じような生活を続けていたとしても、新卒の若造として許される時期が過ぎたころに手痛い目にあって、酒に飲まれていることを自覚しておそらく更生できたのではないかと思います。

過去の自分の行動の選択を悔やむことに意味はない

インドネシアには「Hidup mati di tangan Tuhan(生きるも死ぬも神の手の内)」という言葉があり、今置かれた環境の中でのrejeki(神の思し召し)に感謝しながら生きて死んでいくものという、一神教であるイスラム教ならではの人生観と死生観が根付いています。

日本人のほとんどは脳が体全体をコントロールしている重要な部分であると粗方理解していると思いますので、人間の現実の行動が脳が感情と思考をコントロールした結果であるという説明で納得するのですが、宗教では人間の行動は神、もしくは教祖に与えられた運命の下で行われていると信じられることが多く、このような宗教観を悪用した特定の新興宗教に依存する人の考えを変えさせることの難しさは、相手が現実世界とは違う、理屈で説明のつかない世界にいるところにあると思います。

いずれにせよ過去の人生の分かれ道の選択を思い出して「あのときああしていれば今頃成功していたのに」と後悔して落ち込むという行為がナンセンスである理由は、「あのとき」の行動は脳が働いた結果として、必然的になされた選択であり、歴史に「もしも」はあり得ないのです。