人間は感性と理性を最大限に発揮して生きる生き物であり、無理に感情を押し殺したとしても、自分の中で感性と理性のバランスを取ろうとする防御本能が働くため、心理的に、社会的に意思に反する不可解な行動をとることがあります。
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インドネシア生活における思考と感情
人間は弱い生き物ですから感情に支配されて勘定の赴くままに意思決定したり行動したりするものですが、結果は得てして非合理的なものになりがちなので、相手の感情を汲み取りながらも自分は感情に流されない合理的な思考訓練が重要だと考えます。
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人間は自分の中で理性と感性のバランスをとろうとする防御本能がある
自分は医療系ドラマが大好きで、中国の海賊版サイトで「バチスタ3 - アリアドネの弾丸」を観ていますが、漫画の無料読み放題サイト「漫画村」に対して、行政が通信事業者にサイトのブロッキングを要請した経緯もあり、著作権保護の流れから、今後海賊版サイトは規制の対象になっていくのだと思われます。
ここに登場する宇佐美壮一刑事(福士誠治)は、上司である北山審議官(尾美としのり)からの教えを忠実に守り、警察の表にだせない闇の仕事を冷徹に粛々とこなしていきます。
- いついかなるときも感情は殺せ
いわゆる日本のドラマにありがちな感情に左右されない冷徹キャラですが、この感情を殺せるというのは、経済活動を営む人間にとって最強の能力であり、株や仮想通貨の取引でも、感情を殺して粛々と実績に基づくエビデンスにしたがって売り買いを続けることができれば勝てるのでしょうが、人間としてはどうしても感情が邪魔をします。
- 人間は感性と理性を最大限に発揮して生きる生き物である。
感性のみを殺すことはアイデンティティ(自己同一性)を否定する自傷行為とも言えるわけで、仮に感性を殺すことが出来たとしても、人間は自分の中で感性と理性のバランスを取ろうとする防御本能が働くため、時には心理的に、時には社会的に意思に反する不可解な行動をとります。
例えば自分の場合の心理的に不可解な行動の例として、過去の嫌な思いをした記憶が突然よみがえり、無意識のうちに頭の中で自分の都合の良い結果になるような再現ドラマをシミュレーションしてしまい、ふと我に返ったとき「俺何を変なことを考えているんだろう」と自己嫌悪に陥ります。
このような心理的な倒錯は、他人に迷惑をかけることはないので、特に問題にはなりませんが、社会的に不可解な行動の場合は、他人に迷惑をかけるという特徴があるためやっかいであり、自分の場合は外出先で嫌な目にあった後、アパートに帰って無関係な嫁さんに愚痴をこぼすというものです。
最近世間では、長い間努力して社会的地位を築いている、教師とか官僚などお堅い仕事の人が、軽犯罪や性犯罪で身を滅ぼしてしまうニュースが目につきますが、ほんの一瞬の出来心から足を踏み外したように見えても、実は長年の理性による感情の抑圧に心身が耐えられず、自分の中でバランスをとろうとした結果、社会的な不可解な行動を取ってしまった結果なのかもしれません。
人間は理不尽な相手を責めずに憐れんでやることができるのか?
インドネシアで有名なちょっと古い日本のドラマと言えば「東京ラブストーリー」ですが、もっと古い定番ドラマとして「おしん」があり、昔ジョクジャカルタのマリオボロ通りに同名の日本食レストランがあったくらいです。
このレストランが今も存続しているかどうかは知る由もありませんが、「おしん」はインドやパキスタンなど南アジアや、イランなど中東でも非常に知名度が高く、かつてエジプトのカイロでは「おしん」の放映時間に停電が発生し、放送を観られないことに怒った住民が電力会社やテレビ局に押し掛け、投石や放火等の暴動を起こすという事件があっとほどであり、これは貧しい身分から成功するまでの苦労話が、アジアや中東の人々の琴線に触れるからであり、先進国と言われる日本でさえ、今の自分達のような発展途上の時代もあったのか、と共感されるからなのかもしれません。
小林綾子演じる幼少時の「おしん」が、奉公先から逃げ出して雪道で行き倒れているところを、脱走兵である俊作(中村雅俊)が助け起こして、逃避先の山小屋で看病し、しばらく一緒に暮らすことになるのですが、囲炉裏の前でお互いの今後の身の振り方について話をしていたときに、俊作がおしんに諭した名台詞がこれです。
- どうしてこの人は自分につらくあたるんだろう、何か理由があるはずだ、それに思い当たったら、自分の悪いところは直す。でももし、おしんに悪いところもないのに、相手が横車を押すようなことがあったら、相手を責めずに、憐れんでやれ。
攻撃的な敵に出会ったときに、感情を押し殺して行動や言動を制御して、憐れんでやることは理屈ではできるかもしれませんが、理性と感性はバランスしようとしますので、頭の中で相手をやっつける想像をして憂さを晴らしたり、実際に愚痴をこぼせる相手がいないと、情緒の安定を保てないはずです。
バチスタ3で、心療内科医の田口公平(伊藤淳史)とコンビを組む「厚生労働省医療過誤死関連中立的第三者機関設置推進準備室室長兼桜宮AIセンター設立準備室」という長い肩書きを持つ白鳥圭輔(仲村トオル)は、「アクティブ・フェーズ(積極的聞き取り調査)」という、相手が触れられたくない痛いところを敢えて追求することで、感情的になった相手から本音を引き出すというエグイ技を使います。
これはまさに議論や喧嘩で感情的になったほうが圧倒的に不利になるという心理戦をたくみに利用した戦法ですが、追求するほうも故意に相手を傷つけるわけですから、強靭な精神力を持っていないと、精神の安定が保てないはずです。
- 喧嘩は感情的になったほうが負け
これは間違いなく絶対セオリーだと思いますが、実際には頭で判っていても実行するのは大変難しいことであり、人間は本来理性と感性のバランスをとろうとする防御本能を持ち合わせているものなので、セオリーどおりに自分をコントロールできず「今日もまた感情的になってしまった」と自己嫌悪に陥る必要はないのです。
理性中心で動く人と感性中心で動く人が妥協する方法
僕には5人のインドネシア人部下が居ますが、そのうち理性中心で動く人が3名、感性中心で動く人が2名います。
この場合に「理性中心で動く人は強い理性と弱い感性をもつ」、そして「感性中心で動く人は弱い理性と強い感性をもつ」と定義します。
人間は理性だけで動けるものでなく必ず感性の影響受けます。
株取引が難しいのは、データに基づく理性的なオペレーションをしていたとしても、必ず感性の影響を受けるからです。
うちの嫁はんは感性中心で動くため株取引には向いていませんでしたが、写真・デザイン・メークアップにはその才能を如何なく発揮します。
僕の部下の話に戻りますが、感性中心で動く人は理性中心で動く人の話を理解できたとしても納得まではできません。
何故なら強い感性が弱い理性を邪魔するからです。
そして理性中心で動く人は感性中心で動く人の話を理解も納得もできません。
通常、ここで喧嘩が発生します。
理性中心で動く人は、通常は強い理性で弱い感性をコントロールしていますが、時に弱い感性が強い理性を支配することもありうるのです。
感性は理性に先行しますので、あまりに酷い仕打ちを受けたりすると理性が登場する前に感性が主体となって肉体をコントロールしてしまうからです。
世間には簡単に「ブチキレる人」が居ますが、通常は感性中心で動く人であるケースが多く、ブチ切れた後には意外とケロッと平常に戻ります。
むしろ理性中心で動く人がたまに「ブチキレる」時のほうが、感性に肉体がコントロールされている状態に慣れていないため、予測不可能な行動に出るケースがあり怖いと思います。
それでは理性中心で動く人と感性中心で動く人が話し合いで妥協点を見出すにはどうすればよいのでしょうか?
僕が思うに、これは理性中心で動く人が感性中心で動く人に対して妥協するしかないと思います。
何故なら理性のほうが感性よりも妥協する余地が多いからです。
だから結果的に理性中心で動く人のほうが損する確立が高いです。
しかも感性中心で動く人は損させたことに罪悪感を感じない、というより理解できないのです。
妥協するということは相手を理解するということであり、「相手の気持ちになって考える」とはこういうことだと思います。
これができるのは理性中心で動く人だけであり、これは損な役回りだと思います。
だから僕が主にフォローするのは理性中心で動く人であり、感性で動く人に対しては結構冷たくあしらいます。
彼らは感性で動く分、裏表のギャップが激しくしかも腹黒いですが、表の部分だけ見てあげれば基本はイイ奴です。
(2020年9月追記)
その後の経験から実際には性格に表裏があるかどうかは感性と理性はあまり関係なく、腹黒い人は感性も理性も関係なく腹黒いようです。
感性中心で動く嫁と理性中心で動く僕との間で平和が保たれるには、常に僕が妥協する必要があります。
人生妥協の連続です。