インドネシア語の旧字体の変化例としてSoeharto(oeがuに変化)、Jogjakarta(jがyに変化)、Tjinta(tjがcに変化)Moesjawarah(sjがsyに変化)、Djakarta(Djがjに変化)、Njonja(NjがNyに変化)があります。
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インドネシア語
インドネシア語は英語のように単語が繋がることで表記と発音が異なる難しさがなく、書いてあるとおりにローマ字読みすれば一定レベルまでは理解し合えるという点で、他民族他宗教国家を一つにまとめるための公用語にインドネシアを選定したことは先人の英断だったと思います。
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インドネシア語の旧字体
自分は午前中、グランドインドネシアのDjournal Coffeeで仕事をすることが多いのですが、スタバのアイスブリューコーヒーが、仕事終えたあとの休憩時に飲みたいローストの効いたビター系とすれば、ここのアイスコーヒーはライトでさっぱりフルーティー、朝一の目覚めのコーヒーにぴったりだと思います。
Djournal Coffeeはインドネシアのトレンドの最先端を発信するコンセプト創作集団Ismayaグループがプロデュースするだけあって、厨房内の調理器具やインテリアなどすべてにおいて、モダンクラシックなコロニアル調の雰囲気を演出しており、なにより「Journal」ではなく「Djournal」と旧字体(ejaan lama)を使った店名がスパイスを効かせています。日本語で例えると「ゑびす(うぇびす)ビール」とか「ホテルくれなゐ(くれなうぃ)」みたいなもので、頭の「Dj」は今の「J」と同じであり、同じ例としてインドネシア人にとって真っ先に思い浮かぶ代表格が、tanah air(祖国)のibu kota(首都)の旧字体である「Djakarta」ではないでしょうか。
「j」は「y」(イェー)と発音したので、頭にDが付いて「ジャカルタ」になるのですが、自分の知らない異国の古き良き時代が思い浮かぶようでなんだか趣を感じます。
実はJakartaと綴られるようになったのは1945年の独立後のことで、歴史的に見るとごく最近の話になるのですが、時代とともに変遷してきた昔の名前は、現在でも愛着をもって地名や店名として使われています。
- 14世紀はSunda Kelapa⇒今はAncol付近の港名
- 16世紀にはJayakarta⇒リーズナブルなJayakarta Hotel、JakartaならKota地区、バリ島ならKuta地区にあります。
- 17世紀から20世紀前半のオランダ統治時代はBatavia⇒なんといってもCafe Bataviaが有名
- 1942年に旧日本軍がDjakartaに改名⇒Djakarta Theater XXIという系列映画館が有名
日常生活の中でもインドネシア語の旧字体表現は「Dj」以外にもときどき目にすることがあり、懐古的な雰囲気を醸し出したり愛着を持っていることを表現したりするために、敢えて現代風の書き方に変えないことがあります。
- 「oe」が「u」に変化:Soeharto(スカルノ)、Soeharto(スハルト)両大統領
- 「j」が「y」に変化:これは逆に考えがちですがYogyakarta(ジョクジャカルタ)が新しい書き方で、昔は「Jogjakarta」でした。
- 「tj」が「c」に変化:日本で言えば「愛ちゃん」という女性をインドネシアではTjintaという名前で目にすることがありますが、もちろん今のCinta(愛)です。男性だとTjandraさんはCandraさんになり、サンスクリット語で月を意味します。
- 「sj」が「sy」に変化:Moesjawarah(ムシャワラ)はインドネシア伝統の合議制に基づく相互理解みたいなもので、インドネシア人(特にジャワ人)の特性を的確に表現しています。
- 「Dj」が「J」に変化:やはり男性の名前でDjahdjahさんのように、親が愛着を持って旧字体で命名するケースが多いようです。
- 「Nj」が「Ny」に変化:Njonja Soehartoと書いてスハルト大統領夫人になりますが、今のNyonya(婦人)です。
インドネシアでは目上の人を敬う心や歴史に対する自負心など、古いものに対して尊敬を抱き大事にする心は、東アジアの儒教的価値観に基づく絶対的強制的上下関係とは異なります。
歴史の中で培われてきた自然体のものとして感じられ、日常生活の中で旧字体表記に出会ったときには、筆者や作者がどのような背景でその言葉を使っているのか想像すると、作品に対する理解がより深まるかもしれません。