オランダによる植民地支配350年とは、東インド会社の船がBantenに到着した1596年から1945年までの349年間を指します。スカルノ大統領はナショナリズムを喚起し国家の連帯を築くため、この350年という期間をスローガンとして用いました。
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インドネシアの歴史年表と時代区分|王朝・植民地支配・独立・大統領政権の全体像
5世紀頃、中部ジャワに仏教のシャイレーンドラ王朝やヒンドゥ教のマタラム王朝が誕生し、ラーマーヤナやマハーバーラタが文化として浸透しました。1602年、オランダは東インド会社を設立し、植民地支配を拡大しました。行政の中心地バタビアは現在…
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この記事でわかること
- オランダによる植民地支配「350年」は、VOC商船がバンテンに到着した1596年から1945年までの約349年間を指します。
- 「350年」は初代大統領スカルノがナショナリズムを喚起するために用いたスローガンです。
- 全土が一貫して支配されたわけではなく、アチェ降伏(1903年)やバリ征服(1906年)など地域ごとに時期が異なります。
- VOCは商業活動に加え、条約締結権や軍隊の交戦権、植民地経営権を持つ勅許会社でした。
- インドネシアは1945年8月17日に独立を宣言し、毎年パスキブラによる国旗掲揚などの式典が行われます。
コロナ禍2度目の独立記念日:2021年インドネシアの式典と社会活動制限の現状

2021年8月17日から23日まで、ジャカルタのレベル4社会活動制限(PPKM Level4)が延長されました。感染者数の減少傾向からレベル3への緩和が期待されていましたが、コロナ禍下で迎える2回目の独立記念日もレベル4のままでした。
事例:ジャカルタではモールの収容人数が25%から50%に引き上げられ、レストランは全席数の25%またはテーブルに最大2人まで着席可能となりました。入館時には政府公認の専用アプリを使ったワクチン接種証明が必要です。
要点:社会活動制限の中で、感染状況に応じた柔軟な対応が求められています。
インドネシアは1945年8月17日に独立を宣言しました。この独立を祝う式典は国家的行事であり、地方政府ではオンラインで実施されることもありました。大統領宮殿での式典では、34州から68人の高校生がパスキブラPaskibrakaに任命され、国旗掲揚を担当します。
事例:西スラウェシ州代表のパスキブラに選ばれた女の子がコロナ陽性でキャンセルされましたが、再テストで陰性が判明し、陰謀論が浮上しました。
2020年には75回目の独立記念日を記念して75,000ルピアの紙幣が発行されましたが、2021年はコロナ対策への意識を高めるため、お祝いムードを抑えた印象でした。
「オランダによる350年支配」の真実:インドネシア植民地史の再検証
インドネシアの歴史において「オランダによる350年の植民地支配」という表現がよく使われます。この数字は、1596年にオランダ東インド会社(VOC)の商船がバンテンに到着してから、1945年の独立までの期間を指します。しかし、VOCの到来を植民地支配の始まりと見なすことには議論があります。
事例:VOCは商業活動に加え、条約の締結権や軍隊の交戦権、植民地経営権などの特権を持つ勅許会社でした。これにより、オランダ領東インドとしての植民地支配が始まったと考えられます。例えば、アチェ王国がオランダ軍に降伏したのは1903年、バリ島のバドゥン王国が征服されたのは1906年です。
要点:350年という期間は、インドネシア全土が一貫して支配されていたわけではなく、各地の王国が抵抗し続けた歴史を含んでいます。この期間は、初代大統領スカルノがナショナリズムを喚起するためのスローガンとして用いられ、一般的な認識となりました。

インドネシアの多様性と統一に貢献した言語と宗教 インドネシアはイスラム教を国教とせず、多様な宗教が共存しやすい環境を整えました。インドネシア語は少数派のムラユ語を基にし、多民族国家の統一に貢献しました。1945年に独立したインドネシアは、共和制を採用し国民主権の民主主義国家を目指し… 続きを見る インドネシア独立の背景と日本軍政の影響 インドネシアは1945年8月17日に独立を宣言しました。独立はオランダと日本の支配を経て達成されました。独立宣言書には日本の皇紀が使用されていました。 続きを見る