ブログを書く目的が多くの人に読まれることで発生するアフィリエイトやアドセンスの収益の場合、思うように成果が出ないと継続意欲が失われます。長く続ける秘訣は達成感を求めるのではなく、書いたことで頭の中が整理されたという爽快感と学習感が得られるかどうかです。
-
インドネシア生活における思考と感情
人間は弱い生き物ですから感情に支配されて勘定の赴くままに意思決定したり行動したりするものですが、結果は得てして非合理的なものになりがちなので、相手の感情を汲み取りながらも自分は感情に流されない合理的な思考訓練が重要だと考えます。
続きを見る
神童も二十歳過ぎればただの人
インドネシアに来て明日からもう23年目に突入します。
いまだに毎月1回は実家の母親に電話を入れるというルーティーンだけは欠かさずにいるのですが、最近でこそあまり言われなくなったとはいえ「せっかく大学まで行ったのに何でインドネシアなんかに行ったのかね」と毎回のように言われる愚痴に辟易としておりました。
自分で言うのもなんですが、小学校から中学生までは勉強しなくても常に成績優秀な早熟型の少年時代を過ごし、身長も小学6年生のときは後ろから3番目だったのが、中学の3年間で周りの同級生にごぼう抜きされ、気が付いたら前から3番目にまで後退していました。
運動神経も良かったんですよ、走るの早かったし。小学5年生時の市内地区リレー大会ではアンカーとして出場し、伝説の3人抜きで劇的優勝をもたらしたのは今でもいい思い出です。
しかし自らの走力のピーク時とも言える6年生時の大会には悲しい思い出しかありません。
- 前半で引き離して相手の戦意を喪失させたい
この監督の作戦のせいで2番目を走らされました(スタートは女子なので)。
自分はアンカーでもっとも力を発揮するタイプだ!と信じて疑わなかったのに、面白くもおかしくもない前半の2番目とは・・・
第一走者の女子からバトンを引き継いだ時点なんてまだ勝敗の行方が見えない団子状態ですから、案の定前を走る他校のランナーが壁になって失速してしまい、本来の力を発揮できずあっけなく終了。自分には生来、混戦の中を抜け出す生存力が欠けていたのかもしれません。
勉強せずとも成績上位なうえ、高校受験で人生で最大の集中力を発揮してしまうほど頑張ってしまったおかげで、実力以上の高校に進学してしまい、入学した後の3年間は随分苦労しました。
ソフトバンクの社長や旧ライブドアの社長などを輩出した九州一円の頭のいい連中が集まって来る高校に、勢いだけで受かってしまった自分なんて、シロナガスクジラの群れの中に紛れ込んだツチクジラのような存在でした。
とにかく高校では鳴かず飛ばず、50人のクラスの中で30位~35位くらいという中途半端な位置の常連で、学年全体(220人くらい)で150位くらい。勉強の成績が何よりも優先して評価される進学校の中にあって存在感ゼロの自分。
そんな自分が、科目別順位で一回だけ学年トップをとって校内をざわつかせたことがあります。
試験結果の上位者は総合順位と科目別順位で貼り出されますので、総合順位で130位の自分の名前が、ただ一科目とはいえ紙の一番上に載っているのを見たときは、嬉しいというよりもただ笑ってしまったことをいまだにはっきり覚えています。ちなみにその科目は現代文です。
不満の鬱積した人間というものはどこか屈折したところがあり、その不満の原因を何か斜め上の場所に捜し求めるものらしく、自分の場合は図書館で借りて読んだレーニン「帝国主義論」の中にその答えを見出だしました。
学力至上主義は間違っている!このシステムを作っているのは誰だ?体制だ。体制を支えているのはいわゆるブルジョアジー(資本階級)だ。労働階級(まだ働いてなかったけど)は闘争しかない。戦え! みたいな・・・・。
多国籍企業の収奪性を論理的に説いた本でしたが、中途半端にかじったくらいでまわりの友人に社会主義体制のすばらしさを説いていた当時の自分を説教してやりたい・・・。
そして高校卒業後に東西ドイツを隔てていたベルリンの壁が壊され、ゴルバチョフ書記長を最後にソビエト連邦も崩壊。
- おまえの社会主義思想はどうなったんだ?
当時の友人に嘲笑され、ぐうの音も出なかった苦い思い出があります。
学生時代に見つけたやりたい仕事
大学に入学時はまだバブル経済の余韻が残っており、有名企業のOBから出てくる潤沢な寄付金を使って、いろんなサークルのコンパで渋谷や六本木のカラオケやバーをタクシーでハシゴするという美味しい目を味わえたのはラッキーだったかもしれません。
ただ大学生活4年間は長すぎました。2年で十分。一刻も早く社会人になって独立したかった。3年目くらいから本当に大学がつまらなくなり、自慢じゃないですが4年生の1年間はゼミ以外には1コマも講義を受けていません。
よくあれで単位揃ったものだと不思議なくらいですが、四半世紀経ったいまだに留年する悪夢を見ます。キャンパスに行かないので試験の日程を知らず、たまたま訪れた構内の掲示板の張り紙を見たら、今ちょうどその試験の真っ最中だった、ギャーみたいなやつです。
こんな自分でも学生時代に習得しておかないとヤバいと考えたのがキータイピング(プログラミングではない)。まだMicrosoft Windowsが発売される前の時代です。
生粋の文系人間の自分にとって、パソコンなんてフェラーリと同じくらい縁遠い存在だったわけですが、二年生時の選択科目で何んとなしに受講したFORTRAN 77を使ったプログラミングの実習授業で初めて触った無機質なボタンの集合体、キーボードに打ちのめされました。
間違って押したら何かとんでもない事態が発生するんじゃないかという恐怖心から、人差し指で恐る恐るピコピコとキーを叩きながら、チンタラとアルゴリズムのコードをコピーしている自分の横で、実習サポートの理工学部の院生にチッと舌打ちされたときは軽く殺意を覚えましたが、逆にこのキータイピングを華麗に出来るようになれば、コイツらくらい社会で偉そうにできるんだと確信しました。
小さい頃から郵便局の定額預金に貯めていたお金を全額引き出し、ビックカメラでCanonのワープロ(パソコンではない)を購入し、付属していたお馬さん競争ゲーム(後に世に出る「北斗の拳 激打MAX」のようなキータッチ練習用ゲーム)で、ブラインドタッチを練習しました。
そして世の中でキーボードをカシャカシャ叩いている人々が、具体的に何をやっているのかよく理解できていなかったにも関わらず、商学部の金融専攻の自分が就職活動での希望業種をシステム開発一本に絞ったのは
- 格好よくキーボードをカシャカシャ叩いている人になろう
という目的があったからです。
苦労して進学した割にはあまり青春をエンジョイした学生生活ではありませんでしたが、軽いノリではあるとはいえ将来なりたい自分像がなんとなく見えてきたのが、唯一の学生時代の収穫だったかもしれません。
何でインドネシアに来たのか
新卒で東京の金融系システム会社で2年半働いた後、インドネシアのシステム会社に転職してきました。
今でこそ海外就職も一般的な進路の選択肢として検討される時代ですが、当時は変人扱いされかねないほどの稀な選択であり、退職時の各部署への挨拶周りの時も「病気とか犯罪に気を付けてね」みたいな戦場にでも送り出されるような雰囲気でした。
- 何でインドネシアなんかに行ったのかね
母親からよく言われていたお決まりの愚痴に対する答えをよくよく考えてみたら、結局のところ大した理由はないんですね。
自分が入社2年目の1996年にリリースされたPUFFYの「アジアの純真」という歌が好きで、何度も聞いているうちに学生時代に何度か旅行に行ったインドや東南アジアが懐かしく感じられました。
特にサビに入る直前の「流れ出たら アジア」とイキる部分にはハートを揺さぶられました。
- 活気のあるアジアのどこかでシステム開発の仕事をしたいと思っていたところたまたまインドネシアに行きついた
学生時代にアジア各国を貧乏旅行したり、日本でインドの楽器シタールを5年ほど勉強していたり、アジアに惹かれる遠因はいくつかありましたが、一番の決め手となったのは奥田民生率いるユニコーンが好きで、彼がプロデュースしたPAFFYの歌からアジアへの郷愁が呼び戻されたというくらいですから、人生どう転ぶか分からないものです。
なんでブログを10年も続けていられるのか
今年の9月は第4次安倍改造内閣で環境大臣に就任した小泉進次郎さんの発言で大いに盛り上がりました。
- 23年後の自分は何歳かなと、インドネシア初渡航時から考えていた。だからこそ、自分は健康でいられれば、23年後に渡航時の初心を忘れずにいれるかどうか、そこの節目を、自分は見届ける可能性のある人間だと思います。
ほとんど内容のないことを、いかにもあるように肉付けしてキリッと言い切れる人間に自分もなりたいと思っていますが「なんでインドネシアに来てこのブログを長々と続けているんだろう」と考えてみたところ、理由はひとえにブログを書くことによる学習感と頭が整理される爽快感が快感だったからと言えます。
だいたい日常生活でインプットされる情報の9割以上が、昔覚えたつもりでも忘れ去ってしまった知識の繰り返しといわれており、せっかく一度覚えたことのある知識でも、「本番」で出てこなければ知らないのと一緒になります。
「地頭が良い」とは蓄積された知識が有機的に(多くの部分が緊密な連関をもちながら全体を形作っているさま)連携されている状態であり、独創的なアイデアは幅広く体系化された知識をベースに生まれ、限られた時間の中で問題解決のためのアイデアが生まれます。
この知識の有機的な連携の網の中に、歯抜けのようにところどころに空いた知識の空白部分を丁寧に穴埋めしていくことで、人と対面したときに何を聞かれても返すネタを持っているという安心感が生まれます。
仕事も男女間の交渉も言葉で相手の心を揺さぶるゲームのようなものであり、頭の中で有機的に連携された知識の網をベースに、既存の知識を融合させることで化学反応を起こし、相手の心を揺さぶる新しい言葉を生み出すことができると考えます。
ブログを書く目的はGoogleアドセンスやアフィリエイトの収入だったり、ビジネスのLP(ランディングページ)だったり、たくさんの人に読んでもらうこと自体が幸せだったりすると思うのですが、長く続けられるコツとしては、ブログを書くことによって生み出される達成感ではなく、書くこと自体から学習感、言い換えれば自己満足が得られるかどうかにかかっていると思います。