じゃがたらお春は、バタビアでオランダ人とのハーフと結婚し、富を築いた成功者だったようです。女衒に騙され売り飛ばされてきたからゆきさんは、インドネシアの各地に根を下ろして生活していました。敗戦後、インドネシアに残った日本人兵士がインドネシア人と共にオランダ軍・イギリス軍と戦いました。
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インドネシアの歴史年表と時代区分|王朝・植民地支配・独立・大統領政権の全体像
5世紀頃、中部ジャワに仏教のシャイレーンドラ王朝やヒンドゥ教のマタラム王朝が誕生し、ラーマーヤナやマハーバーラタが文化として浸透しました。1602年、オランダは東インド会社を設立し、植民地支配を拡大しました。行政の中心地バタビアは現在…
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この記事でわかること
- じゃがたらお春は1625年にバタビアに追放され、成功を収めました。
- ジャカルタの地名は16世紀のJayakartaから1945年にJakartaに変わりました。
- オランダ領東インド時代、多くの日本人が商業活動を通じて現地社会に関与しました。
- インドネシア独立戦争では日本人残留兵がオランダ軍・イギリス軍と戦いました。
- カリバタ英雄墓地にはインドネシア独立戦争で戦った日本人兵士が眠っています。
令和とともに振り返る「じゃがたらお春」とジャカルタの歴史的地名の変遷
2019年4月30日は平成最後の日で、翌日から令和元年が始まります。平成31年は1月から4月までで、5月から12月までが令和元年となります。昭和64年は7日間しかなく、昭和64年生まれの人は非常に珍しい存在です。

事例:小渕官房長官が「平成」と書かれた色紙を掲げたとき、多くの人が「昭和」から「平成」への変化に戸惑いを感じました。昭和が60年以上続いたため、元号が変わることに対する理解が浅かったのです。しかし、これは2回目の元号変更であり、1ヶ月の猶予があったため、反応は肯定的でした。
要点:元号の変更は社会に大きな影響を与えますが、経験を重ねることで人々の受け入れ方も変化します。
私がインドネシアに来たのは平成9年(1997年)で、「じゃがたらお春」がバタビアに来たのは寛永2年(1625年)です。彼女はオランダ領東インドのバタビアに追放されました。
「じゃがたら」という地名は、16世紀のJayakartaがなまってJacatraとなり、1945年のインドネシア独立後にJakartaと綴られるようになりました。歴史的な地名は、地名や店名として使われています。
- 14世紀はSunda Kelapa⇒Ancol付近の港名
- 16世紀にはJayakarta⇒リーズナブルなJayakarta Hotel
- 17世紀から20世紀前半のオランダ統治時代はBatavia⇒ジャカルタの名所Cafe Batavia
- 1942年に旧日本軍がDjakartaに改名⇒Djakarta Theater XXIという系列映画館が有名
「じゃがたら文」からは、お春さんが日本に帰りたがっていた様子が伺えますが、実際にはバタビアで成功を収めていました。彼女の遺言状はコタ地区の国立公文書館に保存されていますが、展示はされていません。
公文書館には、インドネシアの歴史上重要な公文書が展示されています。オランダ東インド会社の総督の邸宅だった建物や中庭を歩くだけでも、歴史の重みを感じることができます。


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ジャカルタの歴史的観光地とその魅力
ジャカルタの旧市街地コタ地区はオランダ統治時代の商業中心地でした。モナスは1975年に完成し、インドネシア独立の象徴として知られています。イスティクラルモスクは世界で3番目に大きいモスクです。
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20世紀初頭のインドネシアに生きた日本人たち──トコ・ジャパンとからゆきさんの記憶
1602年に東インド会社が進出し、オランダの植民地支配が300年以上続いたオランダ領東インドには、19世紀後半から20世紀前半にかけて多くの日本人経営の商店、トコ・ジャパンが存在しました。1900年には三井物産がスラバヤに日本企業第一号の出張所を開設し、1897年にはメダンに最初の日本人会が結成されるなど、日本人社会が形成されていました。




事例:「じゃかるた新聞」から購入した「日本人が見た100年前のインドネシア 日本人社会と写真絵葉書(青木澄夫著)」によれば、行商人や売薬商、女衒に騙され売り飛ばされた「からゆきさん」たちが、バタビア周辺だけでなくインドネシア各地に根を下ろして生活していたことが記されています。中央ジャカルタのプタンブラン公営墓地にある日本人納骨堂には、商店を営んでいた日本人商人以外にも、多くの「からゆきさん」の遺骨が納められていると言われています。
要点:オランダ領東インド時代、日本人は商業活動や労働を通じて現地社会に深く関与していました。特に「からゆきさん」は、望まぬ形で異国に渡り、現地で生活を築いた例として記憶されています。
インドネシア独立を支えた日本人兵士たち──カリバタ英雄墓地に眠る“もう一つの歴史”
日本の総理大臣がインドネシアを訪問する際には、南ジャカルタのカリバタ英雄墓地で献花、参拝を行います。ここには、インドネシア独立戦争で共に戦った日本人残留兵が眠っています。第二次大戦終戦後、インドネシアに残った日本人兵士たちは、再進してきたオランダ軍・イギリス軍と戦いました。



インドネシアの独立記念日である1945年8月17日は、日本からの独立を意味しますが、その後のオランダ軍・イギリス軍との戦いを経て、1949年に名実共に独立を果たしました。
- 1602年:東インド会社の進出によりオランダ領東インドとなる。
- 1943年2月:日本軍の侵攻によりオランダ植民地統治が崩壊し日本の軍政下に入る。
- 1945年8月15日:日本の終戦記念日=天皇陛下による玉音放送で国民にポツダム宣言受諾を伝えた日
- 1945年8月17日:インドネシアの独立記念日=インドネシアが独立を宣言
- 1945年:再進してきたオランダ軍・イギリス軍との独立戦争
- 1949年:名実共に独立。
事例:2015年4月に安倍総理もカリバタ英雄墓地を訪れ、献花を行いました。墓地には、埋葬された年ごとに氏名が壁に彫られています。
要点:カリバタ英雄墓地は、インドネシア独立戦争における日本人兵士の貢献を象徴する場所であり、彼らはインドネシア人にとっても日本人にとっても英雄とされています。
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インドネシア独立の背景と日本軍政の影響
インドネシアは1945年8月17日に独立を宣言しました。独立はオランダと日本の支配を経て達成されました。独立宣言書には日本の皇紀が使用されていました。
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