インドネシア生活

コミュニケーションのプロレス的要素【日本の格闘技ブームの変遷から見えてくること】


1970年代から80年代にかけてのプロレスブームに熱中した小学生時代

1970年代後半から80年代前半、僕が小学生の頃は空前のプロレスブームであり、当時はジャイアント馬場を中心とした全日本プロレスと、アントニオ猪木を中心とした新日本プロレスの二団体がしのぎを削っており、土曜日は塾が終わると夕方に始まる全日本プロレス中継に間に合うように、自転車で猛ダッシュで帰宅しました。

もともと1951年に日本プロレスでデビューした力道山が、外国人レスターを空手チョップで打ちのめす姿が、敗戦で自信を失った日本人を熱狂させたのが日本のプロレスブームの始まりであり、力道山の死後に日本プロレスが分裂し、保守本流としてスタートしたのが全日で、亜流と見なされた新日は地方巡業の開催場所を借りる際に、地元の反社会的勢力から露骨な妨害を受けるなど苦労したようですが、1983年頃にはタイガーマスクや藤波辰爾、長州力などのスターを擁する新日が人気面で全日を圧倒し、金曜ゴールデンタイムに新日が放送され、全日は土曜の夕方枠に追いやられていました。

新日や全日、女子プロレスも含めて地方巡業が地元(福岡県大牟田市)や近隣の柳川や久留米で開催されれば必ず観戦に行き、馬場さんと一緒に写真を撮ってもらったり、場外乱闘でリングから降りてきたブルーザーブロディに頭を掴まれたり、今でも大切な思い出として記憶に残っていますが、全日の遠征時にリングサイドに座って居たマジックドラゴンという、テレビでは放映されない無名の覆面レスラーに声を掛けてもらった(内容は忘れた)ことを、学校で大いに自慢したことを覚えています。

その後マジックドラゴンはハル園田というリングネームで、マスクを脱いで活躍していたようですが、僕も高校生になり受験勉強で忙しくなり、プロレスとは疎遠になっていたちょうどその頃に、南アフリカ航空295便墜落事故が発生し、乗客名簿の中に新婚旅行を兼ねて海外興行に向かっていたハル園田夫妻の名前がありました。

あの時のニュースの衝撃は思い出すだけで胸が痛くなります。

プロレス熱が高かったのは小学生低中学年の頃で、当時は全日で活躍していたミルマスカラス・ドスカラス兄弟とかリッキースティムボートとか派手な空中殺法を使う攻撃的スタイルに憧れ、プロレスはショーだ、八百長だという周りの大人達に反発していました。

ただアントニオ猪木のドロップキックで、足が顔面に届いていないにも関わらず相手が派手に吹っ飛んだり、藤波辰爾が頭にナックルパート(握り拳の曲げた指側、掌の下方の辺りで相手を殴打)を受けて、後方に大きく受け身を取る不自然な反動を観ながら、子供心にプロレスがリアルファイトではないことは薄々感付いてはいました。

プロレスと総合格闘技の違い

1980年代後半になると新日は猪木、藤波の時代から、武藤敬司、蝶野正洋、橋本真也の闘魂三銃士を中心とした、レスラー自身のカリスマ性を表現するスタイルに変化し、全日は三沢光晴、川田利明、田上明、小橋健太のプロレス四天王による、技と技、力と力のせめぎ合いという伝統的スタイルを継承した上で個性を表面に出すスタイルが確立されていきました。

僕が大学浪人生をしていた1988年頃からは、前田日明がプロレスのショー的要素よりもリアルファイトを全面に打ち出した第二次UWF(第一次UWFは1984年に旗揚げされたものの格闘技性重視と興行重視を内部対立により解散)が爆発的ブームとなり、格闘技性重視を主張しUWFを離れた元タイガーマスクこと佐山聡がシューティング(今の修斗)を旗揚げし、これらが1990年代に生まれるK-1やPRIDEなどの総合格闘技(MMA=Mixed Martial Arts)ブームの源流となりました。

最近はインドネシアでも総合格闘技が人気ですが、1999年~2000年にかけて柔術界最強と言われていたグレイシー一族を次々と破った桜庭和志の名前がインドネシアでは知られるようになり、当時バリ島に引っ越したばかりの自分も、ハードロックカフェのスタッフから「オー、サクラバ」と握手を求められた記憶があり、同じ日本人というだけでなんだか誇らしい気分を味わうことができました。

日本人がインドネシアに持つ「得体の知れない期待感」【自国に対する自負心の向上】

 

相手を倒すことを目的とする総合格闘技は「相手に攻撃させないスポーツ」であるとも言えるわけで、これは相手の技を受けることで試合が成立するプロレスとは似て非なるものであり、かつてクリス・ジョン(Chris John)というボクシングのWBA世界フェザー級スーパー王者が国民的英雄となったお国柄、リアルファイトに慣れたインドネシア人にプロレスが理解されるかどうかは微妙かもしれません。

プロレスはリアルファイトではないといえ、お互いの信頼関係の元で相手の技を受けることで、いかに相手の良さを引き出すかという真剣勝負のショーであり、その意味で新日のジュニアヘビー級の藤波辰爾や棚橋弘至は代表的なカタリスト(触媒)的能力に長けたレスラーだったと思います。

馬場なら十六文キックや三十二文キック、猪木ならコブラツイストやジャーマンスープレックスホールド、藤波であればドラゴンスープレックスやドラゴンロケットといった必殺技を相手が受け止めることを前提として成立しているため、相手の技を受けないことを前提としてリアルタイムでプロレスの必殺技が見られないのは当然なわけです。

小学生の頃は斜め上から打ち下ろされるチョップや、横からの張り手を受けて、藤波が後ろに大袈裟に受け身を取るのがわざとらしくて嫌いだったけれど、あれは木村健吾や長州力といった攻撃力のある相手の動きを最大限に魅せる技術だったのであり、タイミングをうまく外して急所を避けることでダメージを軽減しながら組み立てられた試合は「名勝負数え歌」と称され、それを観る観客は感動し興奮したのです。

偏見を持たず相手の考えを引き出すコミュニケーションスキル

プロレスは力と技のぶつかり合いで観客を魅了させるショー的要素満載の黎明期から、レスラー個人のカリスマ性を重視するスタイルに発展を遂げていきましたが、観客を興奮させ感動させるという共通の喜びを目的としているという意味で、日常生活でお互いの意見を交換し最善の結論を導いていくことを目的とした、議論やコミュニケーションに近いと言えます。

一方で総合格闘技のようなリアルファイトは勝者と敗者が得る金と栄誉の差が大きく、どちらかが得するために戦うという意味で、人間の感情や言葉で相手を言い負かし論破することを目的とした口喧嘩やディベートに近いかもしれません。

このように考えたとき、コミュニケーションとしてのプロレスの技術が最も高いのは、元々格闘技経験はなく陸上選手から始まったが故に、相撲や柔道、空手といったあらゆる格闘技のバックグラウンドをもつレスラーの技を受け止め、無意識のうちに相手の攻撃力を最大限に引き出すことが出来る藤波辰爾選手であり、そのファイトスタイルは偏見も持たずに相手の考えを聞き出すコミュニケーションスキルに該当すると思います。



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