インドネシア人は日本人より生活力が高いと言える理由

2020/07/13

バティックTシャツ生産

インドネシア人は会社以外の副業からの収入があるのが普通であり、車や不動産といった高額な資産に対する購買意欲は益々高まっています。コロナ禍でも日銭を稼いで生き延びようというインドネシア人の生活力の強さは、日本人が真摯に見習うべき点だと思います。

インドネシア人

インドネシアの人々

インドネシアは2億6千万人の人口のうち4割がジャワ島に集中しており、300あると言われる民族の中でジャワ人が45%、スンダ人が15%を占め、総人口の9割がイスラム教徒であり、多民族他宗教のインドネシア人の求心力となるべく制定されたのがパンチャシラです。

続きを見る

組織の中に居ると生活力が減退する

さきほどGrand Indonesiaで昼飯を食べて買い物して、台湾スイーツで一服して、なんだかんだで週末に飛んでいくお金の額はエライことになっていますが、ふと思ったのですが、普通のインドネシア人って1ヶ月どうやって生計を立てているんだろうということ。

僕の部下連中は平均的なインドネシア人に比べれば間違いなく高給取りに分類されると思いますが、今のジャカルタの物価水準の中で生活するには決して贅沢ばかりはできない金額です。

彼らは副業を持っており、会社の仕事が本業なのか副業なのかどっちか分からないレベルの人間も居ますが、その一方で安く生活する知識と知恵も持っており、こういうのを全部ひっくるめて生活力と言うとすれば、インドネシア人の生活力は日本人より圧倒的に高いと思います。

さっきいつも利用しているランドリーのお兄さんがシャツ届けに来ましたが、20代前半と思われるこの兄ちゃんは零細経営ながらスタッフ1人を雇用してランドリービジネスを営んでいます。

教養とか収入とか資産とかいう面で言うと自分はこの兄ちゃんよりたぶん上だと思いますが、明日世界の終わりの一歩手前くらいまで国土も経済も崩壊したとき、より長く生き抜くのは間違いなくこの兄ちゃんのほうだと思います。

組織の中に守られた環境で仕事をしていると、仕事の成果は自分一人で成し遂げたような錯覚に陥りますが、その成果を生み出すために他の構成員が歯車のように連動して役割を果たしています。

ただし勘違いしているようで実は心のどこかで不安を感じています。

  • 会社無くなったら自分は生活していけるのだろうか?

個の力が試される時代

うちの嫁はんはインドネシア大学の日本語学科出身なのですが、大学の花形的存在は工学部や経済学部であり、残念ながら日本語学科はマイナー学部の一つに過ぎません。

当時経済学部の人間から上から目線でよく言われたそうです。

  • 何のために日本語なんて勉強しているの?何の役に立つの?

その時の嫁はんの回答はこんな感じ。

  • 日本語を勉強しているおかげで日本人へのインドネシア語の家庭教師としてお金を稼げるわ

この言葉の破壊力はすごい。

  • 私は家庭教師でお金を稼いでいるけど経済学部のあんたは自分でお金稼げてるの?

そこまでは言わなかったようですが、自分が言われたらグウの音も出ないでしょう。

どんなに「こんな立派な仕事ができるんだぞー」と理屈をこねたって、組織を離れれば自分の生活力のなさを知らされ唖然とする、アパート賃貸収入、株式投資、フリーランスで仕事、などなど何でもいいんで独力で収入を確保できるかというのは非常に重要だと思います。

こう考えると年齢とか学歴とかあまり意味ないかもしれません。

生活力を測るには組織を出たときにいかに生活していけるか、というシミュレーションをしないと見えてこない、そういう意味ではやっぱインドネシア人は生活力高いです。

まあそこら辺にバナナとカンクンが生えている熱帯気候のインドネシアは日本よりも飢え死にのリスクは低いので「とりあえず何かやってみようか」というように、何事も躊躇せず自分で背中を押しやす環境にあるとも言えます。

コロナ禍で益々熱くなるインドネシア人の副業ブーム

2020年4月からインドネシアでは新型コロナウィルス感染拡大防止のため、PSBB(大規模社会的制限)が施行され、消費者の購買意欲が制限された影響で業績を悪化させた企業が、生き残りをかけて事業縮小を断行した結果、4月までに解雇PHK(Pemutusan Hubungan Kerja)された従業員の数は700万人に達すると言われており、このまま企業の事業縮小が続けば職を失う人々が益々増える可能性があるため、コロナ感染リスクよりも経済へのマイナス影響が深刻であるという判断の下で、苦渋の策として6月からPSBBが段階的に緩和されてきました。

しかし本日7月13日の新規感染者数は1,282名と相変わらず1,000人を超える勢いで、現在の感染拡大状況からすると、7月3日から16日までの14日間で予定されていたジャカルタのPSBBは延長必至であり、ジャカルタ特別州知事のアニス氏は今の状況が改善される見込みがなければ「PSBBからの移行期間(masa PSBB transisi)」という現在の位置付けから、元の「社会的制限」に再強化する可能性も示唆しています。

そんな先の見えない状況下で、最近はSNS上でインドネシア人による「ブラウニーの販売始めました」「レンタル自転車始めました」という、副業プロモーションを頻繁に目にするようになりました。

以前は副業で「携帯電話売ってます」「アボカド売ってます」とか聞くたびに、インドネシア人って本当に生活力が強いなあと感心していたけど、最近は「車5台でレンタカーやってます」「日本人にアパートの部屋貸してます」とかスケールの大きい話を普通に聞くようになって時代が変わったなあと思う。

日本もインドネシアも従業員10人以上雇用する会社は就業規則(PP=Peraturan Perusahaan)の作成が必要であり、日本の場合は厚生労働省がひな形として公表している「モデル就業規則」の中の「許可なく他社の業務に従事しない」という記述が副業は好ましくないという雰囲気を醸造していましたが、2018年1月から働き方改革の一貫として、副業に関する規定を追加したことで副業を解禁する民間企業が増えました。

一方でインドネシアの場合は会社勤めしているインドネシア人でもほとんどが副業を持っていると言っても過言ではなく、「インドネシア人は給料が安いのに何で家とか車とか買えるんだ?」という昔からある在住日本人の酒の席での鉄板ネタに対して、考えられる理由はインドネシアには相続税や贈与税がないため親からの資産の授受が容易に行われること、そして会社からの収入以外に副業からの収入があるケースが多いことです。

インドネシアのGDP成長率は2019年までは5%程度を維持しており、最低賃金はここ10年でほぼ4倍にまで上昇し、車や不動産といった高額な資産に対する購買意欲は日本人を凌駕するほどになりましたが、2020年の第1四半期のGDP成長率は前年同期比2.97%に減速しており、今年一杯は消費市場は冷え込む見通しで、企業の業績悪化が続く中では会社からの給料に頼ってばかりはいられないインドネシア人の副業熱は益々熱くなっていくものと思われます。

近年税務署による個人所得に対する監視が厳しくなっているとはいえ、所得税に対する意識はまだまだ低いため、副業からの売上はほぼイコール収入となるのはインドネシアならではのメリットであり、コロナ禍でも何とか日銭を稼いで生き延びようというインドネシア人の生活力の強さは、日本人が真摯に見習うべき点だと思います。

インドネシアのコロナ禍を知恵で生き抜く人たち

僕がかねてからインドネシア人を尊敬する点の一つが「生活力があること」でして、かつて1998年から1999年の通貨危機に伴う不景気時には、某日系邦銀に出入りする機会が多くあり、システム部のスタッフ達は日常業務の合間に、持参したブラウニー、チョコレートキャンディー、靴下などを、社内の同僚に販売し、システム部のルームは戦時下の闇市の様相でしたが、インドネシア人のマネージャーもそれを当然のことのように黙認していました。

今回のコロナ禍でも解雇や自宅待機になった人達が、自家製のスポンジケーキやローストビーフなどの食料品から日用雑貨までを、口コミで繋がった人たちに販売しているようですが、今回が通貨危機時と大きく異なるのは、GoSendやGrabSendなどのデリバリーシステムが、気軽に利用できる環境があることであり、個人のサイドビジネスの商圏は大きく広がっています。

ボゴールの夫婦が15万ルピアの元手で近隣住民向けに売り始めたmanisan terong unguは、オンラインに乗せたことで今では1日当たり2~3jutaの売上を出すビジネスに発展。味はクルマに似ているらしい。

コロナ禍で収入が減り、自給自足を目指すために自宅の庭で野菜を育てていた主婦たちが、新鮮野菜を売りにして外部に販売を始めた事例があります。

空いている自宅の庭で直径30cmのポリバッグでトマト、ネギ、唐辛子、キャベツなどを育てて販売する36人の主婦達が3ヶ月で18juta獲得。一番高額なのがRp.8,000/kgのネギ、一番成長が早いのがレタスで20日で収穫、自治体の支援を受けて観光名所化の予定もあるとはすごい。

別の地域では計画的に村の住民が野菜を育てて販売する試みもなされたようで、栽培のノウハウに乏しく気候が合わないなどの要因でとん挫した事例もあるようですが、この地域の主婦は野菜を育てることに慣れていたことと、もともと自宅で食べる分に作っていたのがたくさん出来たので売ってみようという自然な流れが成功の秘訣なのかもしれません。

また農村部でミーアヤムの屋台をやっていた人が、所得水準の高い都市部に移動し、コロナ禍に合わせて極限まで価格を下げることで、他店が参入しずらい低所得者層向けの商売を行い大繁盛している事例があります。

低所得者層をターゲットとした一杯Rp.5,000のミーアヤム、レシピは独学、田舎から購買力の高いジョクジャの市街地に移転、コロナ禍に合わせて値下げした結果、売上Rp.2juta/日。インスタを見て旅行者も立ち寄るほどの繁盛店に。こんなご時世、知恵で生き抜く人の話は大好き。

かつて有名な経営コンサルタントの大前研一さんが、人間が変わるためには3つの方法しかないと言っていました。

  1. 時間配分を変える
  2. 住む場所を変える
  3. 付き合う人を変える

故郷のソロからジョクジャカルタに移転するして商売を立ち上げ直すということは、生活環境もビジネス環境も一新されゼロからの再スタートであり、大変な苦労があることは容易に想像できますが、鳴かず飛ばずだった商売から、低所得者層向けビジネスというコロナ禍での新しい試みにチャレンジするには、それくらいの変化が必要なのかもしれません。

かつて小売り(服・アクセサリー)をやった経験からすると、小売り商売は在庫管理と陳列管理、接客など日々の作業で疲れてくると、儲かっていても儲かっていなくても値上げしたくなるもので、「利益は薄いがお客が一杯だから損はない。価格が高ければ客は少ない。高いのは損だ」という確固たるマイクロビジネスの信念はなかなか真似できるものではありません。

コロナ禍の今、弊社を取り巻く環境も厳しいものがありますが、こういう知恵で逆境を乗り切る事例の中に、ビジネスのヒントが隠されているような気がしてなりません。