仏教的価値観ではクリスチャンの考えが自己本位に感じる【憎しみの感情が心に眠っている悪魔を呼び起こす】


義妹が再び悪魔に憑りつかれた

日本では誰もいないところで声が聞こえる人にはPsikolog(精神科)でお薬を処方して貰うことを勧めますが、インドネシアのクリスチャンの教会関係者にとっては神と悪魔との対話は日常的なものであるため、僕のような無神論者には見えない何かに対して話かけたり、笑ったり、涙を流したりするのは普通の光景です。

うちの嫁さんの妹(義妹)はドイツ留学からインドネシアに戻り原子力による植物の影響を研究している公務員研究員なのですが、とにかくガラスのように繊細な心の持ち主で、ある事件をきっかけとして心が傷ついたことにより、狐憑きにでもあったかのように意味不明なことをつぶやくようになりました。

以前彼女は悪魔に憑りつかれたことがあり、複数の教会を回って祈祷師(Pendoa)に悪魔祓いのお祈り(Doa)をしてもらい、そのとき猿だのトカゲだのジャワの婆だのの悪魔を吐き出させ、しまいには祈祷師の指示通り中部ジャワのソロの実家まで行って、開かずの部屋で埃をかぶっていた鏡台を破壊し、クリス(ジャワの剣)の木製の模型を焼却したことがあります。

正直なところ「またかよ・・・」という気持ちでしたが、一応身内に当たる人間で心優しい優秀な女子であるため、PSBB(大規模社会制限)の最中にもかかわらず、自宅に呼んで祈祷師に悪魔払いをしてもらった結果、幸い今回は過去の事件のフラッシュバックによるもので軽傷だったようで、何かに憑りつかれたような表情が和らぎ、普通の会話ができるまでになりました。

異教徒である僕は、クリスチャンの信仰は尊重するが自分は巻き込まれるのは勘弁というスタンスであり、今後の義妹との接し方も知りたいので、嫁はんと一緒に祈祷師のお兄ちゃんの話を黙って聞いていましたが、こっちが日本人だと分かるとさっそく「イエスキリストを信じるか」「天国と地獄を信じるか」「聖書を読みなさい」などたたみかけられ、ある程度予想はしていたこととはいえうんざりしました。

彼らの話の要点としては、悪魔は誰しもの心の中にじっとおとなしくしているが、ひとたび憎しみの感情が湧き起こると悪魔を呼び起こす、だから人を憎んではダメ、彼女(義妹)がおかしな言動をするようになっても決して怒ってはいけません、我慢が大切ですということなんですが、正直なところ「我慢するのは俺だけかよ」という気持ちです。

仏教的価値観では理解できないクリスチャンの他力本願な考え

仏教的価値観には三力加持(さんりきかじ)というものがあり、困難を乗り越えるためには自分の努力と周囲の助けと仏様の力の3つが揃う必要があるという教えですが、たびたび悪魔に憑りつかれる義妹が可哀そうだとは思いながらも、本人の努力がイマイチ感じられず、そんな状況で祈祷師から面と向かってお前が我慢しろ的なことを言われると正直モヤります。

まあ人間の体は神によって創られたという前提の人々と、元をたどればピテカントロプスに行きつくと考えている自分が議論しても仕方ないわけで、初対面の若造の祈祷師に「あなたの行動はすべて聖書の中に書いてある」とか言われると「お前に俺の何が分かると言うんだ」という気持ちにもなりましたが、次回彼女が発症したら精神科ではなくてあんたの教会に連れていくよと言っときました。

仏教的価値観からするとクリスチャンの考えが自己本位に思えてならないのですが、何の見返りも取らず出張して悪魔祓いのお祈りをしてくれたり、帰り際に玄関にコロナウィルス駆除のアルコールを散布してくれたり、現世で徳を積むことで天国の主の元に帰りたいと希望している彼らが善人であることは間違いないようです。