インドネシア人部下が優秀だと日本人上司は間抜けでいられる 【インドネシア人との付き合い方を考える】

本記事の概要

マウンティングの本来の意味は哺乳動物が交尾する際に、オスがメスに馬乗りになることですが、相手が他人と比較して優越感に浸っていることをマウンティングと表現する場合、自分が自意識過剰、被害妄想なんじゃないかと疑ってみる必要があります。

考え方が違うからそこに誤解が生まれ、誤解に対する感情の持ち方も人それぞれ違うから喧嘩が発生するわけで、そこで歩み寄って新しい人間関係を築いていくか、決別するかの選択をすることこそが社会生活というものだと思います。

マウンティングの本来の意味


最近、相手よりも優位に立とうとすることを何でもかんでも「マウンティング」と表現することに違和感を持っていたのですが、ちょっと古い格闘技好きからするとマウンティングといえばケン・シャムロックとかドン・フライがUFC(Ultimate Fighting Championship)でマウントポジションからのパンチを繰り出す様子が目に浮かびます(適当)。

本来はサルとかの哺乳動物が交尾する際に、オスがメスに馬乗りになることをマウンティングと呼び、最近では人間世界でも「職場マウンティング」とか「飲み会マウンティング」とか使うようですが、事例を見ると「他人と比較して優越感に浸っている」とか「小事を大事に見せかけて相対的に自分の地位を高めようとする」とかありますけど、これって単に言っている人が自意識過剰、被害妄想なだけなんじゃないでしょうか。

他人は自分と同じようには考えていない


最近人から教えてもらった言葉ですが

  • 他人は自分と同じようには考えていない。10人居たら10人とも理解の仕方が違う。

この言葉ですべて説明できることであり、考え方が違うからそこに誤解が生まれ、誤解に対する感情の持ち方も人それぞれ違うから喧嘩が発生するわけで、そこで歩み寄って新しい人間関係を築いていくか、決別するかの選択をすることこそが「社会生活」というものだと思います。

もともと人間は承認欲求と自己顕示欲のカタマリですから、自分をアピールする方法が回りくどくなったときに「マウンティングした」とか、されたとかいう話になるのですが、インドネシア人の場合はもっとシンプルにわかりやすくアピールしてくるので、日本人が使う「マウンティング」とか言う言葉を、インドネシア語で説明してもたぶん理解できないでしょう。

日本人とインドネシア人の考え方の違い


これは日本語とインドネシア語の言語構造の違いよるものであり、言語構造は民族性に大きな影響を与え、これがインドネシア人と日本人の一般的な考え方の傾向となって実体化されます。

今仮にインドネシア人と日本人の考え方の違いを一つだけ挙げろと強引な質問をされたら、僕なら

  • 日本人は自分自身で責任を取ろうとする一方で、インドネシア人は周りの誰かが必ず助けてくれると考えているところ。

と回答しますが、この他力本願的思考のおかげで、ある意味日本人よりもインドネシア人のほうが、精神的により健康ではいられると思います。

僕は思考がインドネシア人化してしまったせいか、どんな困難な問題が発生しても、どうせインドネシア人部下の誰かが必ず助けてくれるだろうと考え、そのためには

  • 俺にはこの問題を解決する能力がないからどうか助けてくれ。

ということを全力で訴えますが、インドネシア人は優しいのでここで上司である自分に対してマウントポジションに入ってきたりはしません。

屁理屈を言えば、いい加減な日本人上司として体を張って反面教師を勤めることで、インドネシア人部下を育成しているとなるのですが、インドネシア人部下が優秀だと、上司の日本人は少し足りないくらいがちょうどいいんじゃないかと本気で思っています。

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