インドネシア刑法改正による民主主義の後退【宗教的制約を道徳的規範にとどめるか法に持ち込むか】

KPK法改正に続く刑法改正案

昨年8月に嫁はんと二人で中部ジャワTegalから南へ45kmの山奥の村Guciの温泉ホテルに夜8時頃予約なしで宿泊しようとしたら、なんとシャリア(syariah イスラム法)に基づきsurat nikah(婚姻証明書)の提示を求められました。

Guciの渓谷と温泉プール

そんなもの都合よく携帯しているわけないので、自分と嫁はんの結婚指輪の内側に彫られた名前と、嫁はんのKTPと自分のKITASの名前を照合して、なんとか婚姻関係を証明できたというレアな体験をしました。

インドネシアは中東諸国のようなイスラム国家ではなく民主主義国家であり、アチェ州など一部地域でシャリアが適要されるのは知っていたとはいえ、婚前前の男女が同じホテルの部屋に宿泊するのはケシカランというホテル側に対して、婚姻関係を証明するという体験はむしろ新鮮でした。

現行の刑法(KUHP=Kitab Undang-undang Hukum Pidana)の中では、既婚の男女による不倫は姦淫(zina)、つまり性に関する不道徳であるとして禁止されていましたが、先日9月18日に提出された新刑法草案ではzinaの定義が婚前外性交渉全てに該当すると解釈の幅が広げられています。

今回の刑法改正によって以下の民主主義国家としての国民の権利が侵害されるのではないかという懸念が出ています。

  1. 婚外性交渉、未婚カップルの同居の禁止⇒基本的人権の侵害
  2. 大統領や公的機関への侮辱や虚偽報道・宗教への冒涜に対する罰則
    宗教の冒涜に対する罰則強化⇒言論の自由の侵害
論議されている刑法改正案RUU(rancangan undang-undang) KUHP(Kitab Undang-undang Hukum Pidana)

自分は今の嫁はんと結婚する前にジャカルタとバリ島で通算4年ほど同棲していましたので、これも通報されれば半年以下の禁固または罰金を言い渡されることになります。

また婚外性交渉を認めないということは、同性婚を認めていないインドネシアにおいては、実質的にLGBT(Lesbian, Gay, Biseksual, dan Transgender)を認めないと法で宣言するようなものであり、LGBT差別が助長されるという懸念も出ています。

改正刑法は明日24日の国会DPRで可決され、2年後の2021年から施行される見込みで、先日20日ジョコウィ大統領は採決の見送りを国会DPRに要請したところですが、既にオーストラリアやニュージーランドからはバリ島への旅行のキャンセルも出始めているようです。

9月17日にはKPK(Komisi Pemberantasan Korupsi 汚職撲滅委員会)法改正案が国会DPRで可決・成立したばかりであり、KPKの自主捜査権・逮捕権・公訴権が制限されるようになることもあわせて、インドネシアの民主主義の退行が懸念されています。




2019年総選挙における民主化勢力とイスラム勢力の二極化

2019年4月の大統領選挙、国会DPR選挙はジョコウィ候補側=民主勢力、プラボウォ候補側=イスラム勢力という二極化、分断化と評されることが多いのですが、それを印象付けたのが両候補を支援する政党のイデオロギーの違いでした。

2017年4月に元ジャカルタ特別州知事アホック氏がイスラムに対する冒涜政治家というレッテルを貼られ、知事選挙で敗れた後に禁固2年の判決を受け投獄されましたが、そのアホック氏の支援組織が母体となって生まれたのがグレース・ナタリー氏率いるインドネシア連帯党(Partai Solidaritas Indonesia 略してPSI)であり、ジョコウィ候補支持を明確に打ち出しました。

PSIはイスラム法に基づく一夫多妻制の反対、LGBTの権利の尊重という、国民の9割をイスラム教徒が占めるインドネシアにあって極めてリベラルな印象がありましたが、残念ながら今回の選挙において国会DPRの議席は取れませんでした。

対照的にウマラー(Umara 宗教指導者)とウンマ(umma 宗教共同体)に近いイスラム政党を目指す福祉正義党(Partai Keadilan Sejahtera 略してPKS)がプラボウォ候補支持を明確にし、SNSによる情報戦の中で「PSIはLGBT容認の政党」を印象付けることで、ジョコウィ候補側にダメージを与えようとする動きがあり、ある程度の成果を上げたと考えられます。

というのも自分の身近な例で言うと、クリスチャンであるうちの嫁はんもその友人達も同性婚を絶対に認めませんし、仕事上のパートナーである敬虔なイスラム教徒のインドネシア人も、LGBTの存在を絶対に理解しません。

しかしこれが今のインドネシアのマジョリティの庶民感覚であり、大多数の声はLGBTに対して批判的であることは否定できません。

宗教的制約を道徳的行動規範でとどめるか法に持ち込むか

民主主義の下では主権は立法府や行政府ではなく国民に帰属され、法の下で国民の活動や権利は保護されますので、民主主義の退行と言う場合は、主権が国に属し法によって国民の活動や権利を規制するということです。

ではイスラム法は民主主義の法律と適合するのかという問題ですが、絶対的な主権は神に帰属すると考えた場合は民主主義と相入れませんが、規範は規範としても実際に実行していくのは国民であると寛容にとらえたのが、民主主義国家としてのインドネシアにおける従来の法の考え方でした。

インドネシアの場合、政宗分離で宗教的価値観はあくまで道徳的な行動規範として制約を持つのみで、法的な制約はなく、これが「緩いイスラム国家」と言われる所以であり、婚外交渉や性的少数者であるLGBTの存在自体が、法に抵触すると判断されるのであれば、それはあきらかに法の下の平等に反する民主主義の退行と言えると思います。

インドネシア国民の民意によって選ばれた政治家によって起草された改正法案が国会で可決されても仕方のないことかもしれませんが、できれば今年4月の総選挙で選ばれた国会議員による、10月からの新議会で審議を継続してもらいたいものです。

というのもこれまで提起されては立ち消えを繰り返してきたアルコール規制法案やハラール法案がどうしても脳裏に浮かび、行きつく先がビンタンビール禁止、バビグリンや豚骨ラーメンも禁止の悪夢がよみがえるのです。

イスラム的価値観は道徳的行動規範にとどめて、他民族他宗教の集まりを束ねるための英知である「多様性の中の統一」というインドネシアの国是に立ち返ってくれることを願って止みません。